インドネシア マリノ農場からの報告   〜イネ〜 – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

インドネシア マリノ農場からの報告   〜イネ〜

AMDAでは2011年からアジアへの有機農業技術移転を目的とした
AMDAフードプログラムに取り組んでいます。
2013年度に開所したAMDAフードプログラム マリノ農場へ技術指導に訪れているスタッフから
新しいレポートが届いたので以下に紹介します。

 

イネ

乾季に入ったマリノでは地面もすっかり乾き川も干上がってきています。そして、
AMDAの田んぼでは稲が次々と穂を出し始めました。稲の花が咲き稲穂が出る時期に晴れの日が続くことはお米が実るためにとても良い条件です。より良い収穫を得るため現地のスタッフは水管理に害虫対策にと日々仕事に励んでいます。


今回は稲について少し掘り下げてみたいとおもいます。日本には稲に関することわざがありますが、インドネシアにも似たようなことわざがあります。例えば、
Seperti padi,makin berisi makin merunduk.
直訳すると、稲のように実がつまるほど猫背になる。
日本風に言えば、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」でしょうか。
知識や能力をもっていても、決して威張らず頭を低く垂れている。そういうことが美徳とされる土壌がインドネシアにもあるようです。

稲に関する名前をつけられている人もいます。
インドネシアではDewi(デビ)さんやSuriさんという名前の人がよくいますがこれはDewi Suriというインドネシアの稲と繁栄の女神の名前からとられています。
それからOryzaputri。オリザは稲のラテン語の学名です。プトゥリは日本風に言えば花子の子の部分でしょうか。こちらも女性の名前です。
日本でも名前こそ少ないですが苗字には稲や田が付く人が多くいると感じます。
日本人にとってもインドネシア人にとっても稲はとても大切で身近なものだったようです。

以前の記事でAMDAの田んぼに出たアナンゴという害虫対策用に虫とり網を作ったことを書きました。スタッフは夜な夜な田んぼに出てはこの虫取り網でアナンゴをとってくれています。原始的ですが幸いこの方法が功を奏し、AMDAの田んぼでは害虫が減り始めています。

アナンゴは日本でカスミカメと呼ばれているカメムシの仲間だと思われます。
現代では信じがたいことですが、農薬が普及する以前の日本ではカメムシの大発生のために飢饉が起きたことがあったそうです。享保大飢饉です。

一説によれば12000人以上の餓死者を出したといわれる享保大飢饉は天候不順によりカメムシとウンカという害虫が大発生したことにより起きたとされています。

日本では江戸時代に4度も大飢饉が起こりました。飢饉の時には飢えて亡くなる人の他に食べ物を探して山野に分け入り、時には毒草にあたることで命を落とした人もいたようです。そうした人が出ないようにと食用になる植物の種類と植え方や毒草の見分け方、害虫対策、食糧備蓄の方法について建部清安という医師が書いた農業書が「民間備荒録」という本です。

字の読めない人たちにもわかるようにと絵や図がたくさん使われたこの本が配られた東北の地方ではその後飢饉が減ったと記録にはあります。医師が農業書を書くというのも不思議な話しですがなるほどと納得がいきます。

私は今、スタッフにパソコンとプリンターの使い方を教えています。予定ではこのパソコンとプリンターを使ってその年の天候や稲の収穫量を記録したり、現地語を入れた害虫情報リーフレットや有機栽培米の販売促進用パンフレットなどを作っていく予定です。
もちろん最大の情報ツールであるインターネットも。誰でも気軽に「手作り民間備荒録」を作れる時代になりました。

先日スタッフの家を訪ねたら、他の農家を集めてパソコンや資料を使って堆肥づくりや大豆の生育についていろいろ解説してくれているところでした。意欲的に取り組んでくれているスタッフの姿が見られてとてもうれしかったです。

私が農学部の学生のころ聞いた話ですが稲という言葉の語源は、
「人間の命の根っこ」命根が短くなってイネになったのだそうです。
命の根っこを同じくする日本人とインドネシア人が共に稲作にはげむことができる平和な時代のありがたみを、私は今噛みしめています。