東日本大震災の被災地に入ったネパールTV 局のメンバーは、日本政府が震災から4ヶ月後には被害者全員に仮設住宅を提供し、生活のための補助金を支給し、現在は津波ですべてが流された地域にもう一度住みたいという被災住民の夢を叶えるために、被害を受けた地域を高台に移転して新しい街づくりを始めていることに驚きました。 ネパールでは、震災からすでに7か月が過ぎましたが、冬を迎えた今も多くの被災者はまだテントで暮らし、生活のために必要な水、電気、燃料、食料品などが十分に届いていない状況で、瓦礫もそのままの状態で残っており、復興までには15年も20年もかかると考えられています。今まさに復興事業が進んでいる日本の状況をネパールの国民や政府に伝え、地震被災者の状況が少しでも改善されるよう、被災者が将来に希望を持てるよう働きかけたいと思います。
また、アムダ大槌健康サポートセンタ―が実施している、仮設住宅に住んでいる人を対象にした運動教室、パン教室の話を開き、大切なものを一度に失うことになった被災者が孤立しないよう、交流の場を設け助け合うことが、前向きに生きる糧になることを実感しました。
岡山では西消防署の協力を得て、消防隊の役割や防災についての取り組みを学びました。
防災の基本は1)自分で自分の身を守る、2)近所の人たちが助け合う、3)政府や自治体などが支援する、の3つがあり、まずは住民たちの防災意識を高めてもらうことが大切だということがわかりました。 また、自治体が実施する防災訓練や防災教育の対象が子供達も含まれていることを知り、小さいころからの関わりが防災意識を高めるために大切であることに気付きました。
ネパールでは消防署といえば火事になった時にだけ動くものとして認識されており、主要都市にしかありません。しかし、日本の消防の国内外での多岐にわたる活動を知り、特別高度救助隊の高度資機材や特殊車両などの説明を受け、日本の最先端技術にただただ感動しました。ネパールでは地震で建物の下敷きなった人が、機材の不足から救出が遅れ、多くの命が失われました。 いつかネパールの消防署もこのような技術を持てるようになればと強く思いました。
アムダの本部では、長年アムダを支えてくださっているボランティアの方々とお話をすることができました。
阪神淡路地震をきっかけにボランティアに対する意識が変わったこと、お金や時間を超えて人のために動きたいという人々の気持ちと力を合わせて、1995年がボランティアの元年となった話は心に残りました。今回のネパールの地震でも、政府より先に国民が自発的に動き、積極的に被災者に物資提供などをして いました。ボランテイィアはものを提供することだけではなくて、お互いの気持ちを分かち合える大切な交流の場でもあることを感じました。
この研修では、報道の立場として日本でたくさんのことが学ぶことができました。ネパールに帰国して早々にイメージチャネルに日本の研修の報告をするとともに、近いうちに社内の記者たちを対象に「報道人としての防災認識を高める」ための講義を実施する予定です。また、番組を通じてネパール国民の防災認識を高めるために頑張りたいと思います。