東日本大震災で被災し、多くの命が犠牲になった南三陸町志津川病院が、2015年12月14日、南三陸病院・総合ケアセンターとして再スタートを切りました。
AMDAは東日本大震災の緊急救援に引き続き、復興支援の一つとして仮設の南三陸診療所、登米市の志津川病院に対し、年3回の医療スタッフの派遣を2014年まで3年間実施しました。医師、看護師、学生、調整員を含め述べ100人以上がこのプロジェクトに参加しました。
今回、AMDAのボランティア看護師として何度も南三陸診療所や志津川病院に支援に入った山河城春看護師が、新病院のオープンに参加し、入院患者の移送などを手伝いしました。
当日は、早朝登米市米山町の志津川病院の閉院式を行い、消防・自衛隊の協力を得て、順次入院患者を新病院の施設に移送しました。
南三陸病院は、90病床を有する大きな病院です。 午後は、看護師たちは移動したばかりの新病院で、病棟業務に追われていました。 16日からは外来診療も始まっています。
山河看護師は、「震災直後は家にも帰れずに仕事を続けたスタッフが、支援に入る度に来てくれるだけでうれしいと言ってくれていた。 今回、新しい病院が開業しとても感慨深い。 慣れるまで大変だと思うけど、自分で手伝えることなら声を掛けてほしいと伝えた。 AMDAの支援活動に関わった多くの方の想いをこめて活動させてもらった。」と話してくれました。