ロヒンギャ難民医療支援活動12: ロヒンギャ難民キャンプへ派遣した、押谷看護師からの中間報告 – AMDA(アムダ)
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ロヒンギャ難民医療支援活動12: ロヒンギャ難民キャンプへ派遣した、押谷看護師からの中間報告

2018年2月1日から、ロヒンギャ難民支援のためバングラデシュへ派遣した押谷晴美看護師より届いた中間報告を掲載いたします。2月7日現在の報告です。

【ロヒンギャ難民キャンプを視察して】
2/1に日本を出発し、2/2の夜中にバングラデシュの首都ダッカに到着。今回、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)からの2名の医師と合同で活動することになった。彼ら自身パレスチナ難民であり彼らの経験からもより効果的な支援ができないか模索できるいい機会と考えている。
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キャンプの様子
首都ダッカで調整ののち、2/4にロヒンギャ難民キャンプのあるコックスバザール地区に到着。翌日すぐに活動を開始した。ロヒンギャ難民同士の争いが増えてきている中、外国人支援者の安全確保のためにも、難民キャンプ入りが難しくなってきている面がある。かなり緊張感を持って検問を通り過ぎたが、無事キャンプ入りすることができた。と言っても、どこからが難民キャンプなのかわからないくらい、街全体がロヒンギャ難民キャンプになっていた。AMDAの診療所は比較的昔からある難民キャンプに近いところにあり、道路は政府やNGOの支援により舗装されていた。現地スタッフが診察をしている傍ら、私とUNRWAの医師2名はキャンプ内を案内してもらうことになった。以前は森だったと聞いてはいたが、ここに森があったのがわからないほど、多くの家で埋め尽くされていた。家は、竹とビニールシートやUNHCRから寄付されたテントが屋根として使われているのをよく見かけた。竹は次々と運ばれてきていて家づくりの資材となっていた。至るところで道路の舗装や家の建築が行われていた。
家の一角を商店にしている人が多く見られ、食品や生活用品まで全て売られていた。子供も野菜や果物を売っているのを多く見かけた。

【難民の生活環境】
キャンプを回りながら気になったのは、居住区画(セクター)による環境の差である。もともと森だったところを切り開いて難民キャンプにしているため、高低差がかなりあった。セクターによっては大通りからそれぞれ脇道が作られていてその道を挟んで家が並んでいる。家と家との間にある通路に井戸が設けられていたが、排水溝が整備されていないため汚水だらけのところもあった。高台にあるところは比較的綺麗なところもあったが、低い位置にある家や場所が悪いところの周囲は汚水まみれになっていた。
また、運よく外国からの支援のテントを手に入れられた人は良いが、そうでない人は黒いビニールを何枚にも重ねて壁や屋根にしなければならない環境にありかなり違いがあった。
トイレについては、渡航前に聞いていた内容からの改善は見られないと感じた。ごく一部で、消毒液が使用され清掃されているトイレも見られたが、まだごく少数の印象であった。実際、私も活動中に借りたトイレはただ囲いがしてあるだけで、穴もなく、糞尿はそのまま下の方に流れていっていた。その先には普通に生活スペースがあった。

【医療活動について】
7日より医療活動に実際参加した。AMDAの診療所には毎日120〜130人の患者が診察に来ている。長期間のキャンプ生活からのストレスか、胃痛や熱、疲労を訴える患者が多い。またこの時期バングラデシュは冬のため、夜になると冷え込むため風邪症状の患者も多く訪れる。
現在は限られたスペースでの診察のため、女性子供への配慮が十分にできていない。今後長期的に診察を続けていくために女性と男性の診察スペースを設けプライバシー保護に努める。また患者が座って待機できるように椅子も準備する予定である。現在政府からの許可待ちの状態である。
今後も引き続き、キャンプでの活動を行い2月12日に帰国の途につく予定である。