2018年6月ミャンマー、インド、ベトナムの3ケ国25日間の旅で出会った人たち〜ミャンマー編〜 – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

2018年6月ミャンマー、インド、ベトナムの3ケ国25日間の旅で出会った人たち〜ミャンマー編〜

AMDAグループ代表 菅波 茂

 

ラカイン州首相(写真右)と

AMDAが主宰して数々のプログラム/プロジェクトを行っている喜びの一つは各国ですばらしい人たちに会えることである。6月1日から25日間、日本〜クアランプール~ミャンマー〜インド〜ベトナム~クアランプールと各国におけるプログラム/プロジェクトの調整と推進のために現地を訪れた。活動報告を兼ねてお世話になった人たちを紹介したい。逆に言えば、これらの人たち無くしてはAMDAの活動も考えられないのも事実である。[pagebreak]

 

避難民キャンプに入る北川昌昭氏(左から4番目)

今回のミャンマー訪問の第一目的は、国際問題化しているロヒンギャ難民問題と関連した、ラカイン州におけるイスラム教徒以外のヒンズー教徒や仏教徒の国内避難民の医療支援である。AMDAは過去にアフガニスタン、コソボ、スリランカと紛争の両者に医療支援を行う医療和平を実施してきた。今回は第4番目の医療和平の実施が目的である。バングラデッシュのコックスバザールに避難しているロヒンギャ側の難民医療支援はAMDAバングラデッシュ支部が主体となって2017年10月より実施している。さかのぼれば、1992年に20万人近くのロヒンギャ難民がコックスバザールに避難した時に医療支援をしたのが始まりだった。AMDAとして初めて海外に医療チームを派遣した貴重な事例だった。

今回のミャンマー訪問では北川昌昭氏(株式会社ケイワイイノベーション)のお世話になった。岡山の人である。北川氏はミャンマーで日本の稲作技術により生産したお米を中国など日本以外の国々に輸出するプロジェクトを3年前から実施している。岡山県に本社のあるのみのる産業の田植え機を活用した貧しい農家の子どもたちに職業訓練をする学校の設立も考えている。非常にユニークな複合事業計画である。

 

CRRとのミーティング

6月5日。北川氏と共にラカイン州の州都にあるシットウエイ空港に飛んだ。ラカイン州でヒンズー教徒や仏教徒の国内避難民側の支援をしているCRR(Community of Racain Reconstruction)の方々に夕食に招かれた。ミャンマー医師会ラカイン州支部の医師2名も参加。事務局長は中学の数学の教師だったが、ファイティングスピリットの旺盛なお人柄だった。仏教徒の立場をじっくりと拝聴した。翌日の午前中にラカイン州首相をはじめとする内閣の方々と懇談をしたが、全般的にロヒンギャ問題を話題にすることを避けたい雰囲気だった。財政・企画担当相とラカイン州における有機農業の振興に話が弾み、ラカイン州における有機農業振興に関して協力することになった。なお、後日に北川氏が紛争地域にミャンマー軍の許可のもとに訪問できることになった。午後からCRRの事務所で主力メンバーとヒンズー教徒や仏教徒の国内避難民の医療支援について合意をした。CRRが運営している診療所の2ケ所のうち1ケ所を1年間支援することを決定した。内容は医師1名と看護師1名が週5日間の勤務と医薬品支援である。予算は2百万円。北川氏は男気のある人でで、「50万円は私の会社で負担します」と言ってくれている。また、類は友を呼ぶは本当である。今、大阪大学外国語学部の学生たち4名が言語実習でヤンゴンにきていて、その一人である阿部明子氏が申し出た。「ミャンマーで活動している日本企業などから募金集めをします」と。彼女の父は愛媛県松山市でクリニックを開業している。ヤンゴンでミャンマー医師会長との懇談の時に彼女も同席して、彼女の父が得意とする内視鏡検査及び手術のヤンゴンでの講演がすんなり決まったのもこのような彼女の人徳によるものであろう。

 

REIC社長(右から4番目)との出会い

引き続き、北川氏とREIC(Rakhine Economic Initiative Public Co,.Ltd)会社の方々との複合農業事業計画の説明の後に夕食会が行われた。その時に見せていただいた社長の手相が実に素晴らしかった。第2生命線と著明な陰徳線があった。第2生命線は死にそうな目にあっても死ななかったことを意味している。前世に徳を積んだ証拠である。彼はバンコック訪問時に交通事故にあった大きな側頭部の傷跡を見せてくれた。これは間違いなく死んだはずと思った。現在は、本職の傍ら、仏教寺院付属学校に教育支援を続けているとのことだった。なお、近い将来に南海トラフ災害が発生した時には、ラカインの港から彼の所有する1千トン級の船舶で、お米など食料品を日本の被災者のために届けてくれることを約束してくれた。私は72歳、彼は65歳。「先に死んだほうが、天国の門で、後に来る人を待つ」こともお互いに約束した。気持ちよく応じていただいて嬉しかった。実は、天国の門で待ち合わせを約束した最初の人はネパールの唯一の国立大学であるトリブダン大学教育病院(医学部)心臓外科教授(50歳)である。「神の手」と言われ、貧しい人たちには手術費などを配慮して、多くのネパールの人たちから尊敬されている。

2015年4月に発生したネパール地震被災者支援活動の時に、山の上にある教育病院のトレーニングセンターで初めてお会いした。地震によって崩れた建物の内部を掃除し、そのうえ大きなマスクをかけていたので最初はわからなかった。なぜなら、インドやネパールのヒンズー教社会では偉い人は掃除などしないのが普通であるから。2日後に教育病院で再びお会いした。「2度お会いするのは偶然でない。友達になってほしい」とお願いをした。そこで初めて名刺交換をした。そして「先に亡くなったほうが天国の門で掃除をして、後から来るほうを待つ」約束をした。彼の手相にも明確な第2生命線と著明な陰徳線があった。「実は3度死にかけました」と教えてくれた。死後に天国の門で待つ約束をする、明確な第2生命線と著明な陰徳線のある、3番目の人にいつお会いできるのか楽しみである。

ラカイン港は水深の深い天然の良港である。中華人民共和国はこのラカイン港から雲南省の省都昆明に原油のパイプラインを敷いている。中東の石油はこのパイプラインと南シナ海経由で運ばれて中国の旺盛な経済力を支えている。これを阻害するためにロヒンギャ問題が引き起こされているとの説もある。これが本当なら、国際社会から非難の嵐を浴びている国家顧問のアウンサン・スーチ氏にその責任を問う欧米の世論は筋違いになる。更にミャンマー国民及びロヒンギャの両者にとって明らかな人災である。

いずれにしろ、AMDAは「救える命があればどこまでも」のスローガンのもとに複雑なロヒンギャ難民問題を医療和平の対象として全力で取り組みたく考えている。