熊本県益城町と「大規模災害における連携協力に関する協定」を締結 – AMDA(アムダ)
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国連経済社会理事会総合協議資格NGO

熊本県益城町と「大規模災害における連携協力に関する協定」を締結

AMDA理事 難波 妙

2019年2月12日、AMDAは、熊本県益城町と「大規模災害における連携協力に関する協定」を締結いたしました。

2016年4月14日、熊本県熊本地方を震源とする震度7の地震が発生。AMDAは同日中に職員1名の派遣を決定し、翌15日正午には総社市との合同支援チームが岡山を出発しました。チームは16日未明の本震に見舞われたものの、益城町立広安小学校保健室にAMDA救護所を開設し、5月連休明けまで医療ならびに鍼灸支援活動を実施しました。また、総合運動公園に設置されたテント村でも同様の活動を行いました。その後は、広安小学校体育館[pagebreak]避難所が閉鎖された8月11日まで鍼灸支援活動を実施し、益城町総合体育館に避難所が集約された後も、熊本県内の鍼灸師が中心となり、10月末まで週に1回、避難所が閉鎖されるまで活動を続けました。この活動期間中に派遣した医師・看護師・薬剤師・鍼灸師・調整員などは127名。AMDAの支援をうけた方々は、医療:延べ1,068名、鍼灸:延べ1,841名、医療・鍼灸合計延べ総数2,909名にのぼりました。

広安小学校で活動を振り返る

益城町役場

また、「支える人を支える」として、2017年7月から1年間、月に2回益城町役場で職員を対象に鍼灸治療を行い延べ199名が施術をうけました。 これまでの協力関係を踏まえ、本年、2月12日に益城町役場で行われた締結式には、益城町役場危機管理監、今石佳太様他、役場関係者に加え、当時AMDAの活動拠点の中心であった益城町立広安小学校の震災当時の田中(たなか)元(はじめ)校長先生(現、嘉島町立嘉島東小学校校長)、現、金垣(かながき)裕至(ゆうじ)校長先生(当時は教頭先生)もご同席のもと、西村博則町長と菅波理事長が協定書に署名いたしました。

西村町長(左から2番目)
田中校長(右から2番目)金垣校長(右)

協定書
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連携協定の主な目的は、益城町で万が一、大規模な災害が発生した場合、益城町はAMDAへの支援要請をし、迅速な災害対応をすること、ならびに他の自治体で同様の災害が発生し、益城町が災害支援を行う場合には、AMDAへ協力要請をし、連携して支援活動を行うものとしています。
西村町長は、ご挨拶の中で、現在の復興に向けた町の取り組みの紹介とともに「平成28年熊本地震の際には、前震直後の4月15日に、広安小学校避難所にいち早く駆け付けていただき、医療支援を展開していただきました。避難者の中には、寝たきりの方や障がいをお持ちの方もおられましたので、避難者はもとより、運営に携わる職員等からも大変心強かったと伺っております。また、2017年の7月から2018年の7月までの1年の間、199名もの町職員のために、健康づくりの手助けとして合計で23回も無償で鍼治療をしていただいたことに対し、この場をお借りしてお礼申し上げます。」と述べられました。

これに対し、AMDA菅波理事長は、「益城町の被災経験は、被災前の災害に対する知識を被災経験を通して智慧と昇華した大きな財産であると述べるとともに、当時、AMDAを受け入れて下さったことへの心からの感謝を伝えました。また、西日本豪雨災害の際に益城町が岡山県総社市に支援に駆け付けてくださった事にも触れ、災害時に支援にきた自治体が被災した場合に相互支援を行うのはまさにAMDAの活動理念としている「相互扶助」の具現化であり、災害が多発する現在の日本では、このような自治体間相互支援連携が、より迅速かつ的確な災害支援を実現することができると、益城町の被災自治体への貢献を紹介しました。

熊本地震から約2年10か月が経過した益城町では、今でも仮設住宅で、約4,000名の方々が不自由な生活を送っています。しかし、徐々に新しい住宅の建設や、災害公営住宅の整備など、被災された方々の生活再建を第一に取組んでいます。

AMDAは、これからも益城町との協力体制強化に努めてまいります。