フィリピン活動展望(2)〜ミンダナオ島アマイパクパク医療センターと内視鏡・腹腔鏡技術移転〜 – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

フィリピン活動展望(2)〜ミンダナオ島アマイパクパク医療センターと内視鏡・腹腔鏡技術移転〜

AMDAインターナショナル代表 菅波 茂

 

チュア先生と筆者

AMDAがマラウイ市にある国立アマイパクパク医療センターとの活動に関与できたのはAMDAインターナショナル名誉顧問であり、元フィリピン医師会長であるプリミティボ-チュア先生のお陰である。チュア先生がフィリピン医師会長の時に、全国の医療事情視察を行ったが、公立(当時)アマイパクパク医療センターを視察して驚いた。ほとんど検査器具がなかったからである。それから、チュア先生は8名の国会議員団を案内してアマイパクパク医療センターの病院機能の拡充を推進した。そしてミンダナオ・ムスリム長老会議から「白いスルタン」の名誉称号を授与された経歴がある。
[pagebreak]
2014年3月。AMDAはアマイパクパク医療センターと内視鏡検査及び腹腔鏡手術技術移転の事前視察として、実際に同医療センターを訪れ、前向きに話し合いをもった。内視鏡検査に関しては日本が、腹腔鏡手術に関してはAMDAバングラデシュ支部の日本-バングラデシュ友好病院が担当する内容である。アマイパクパク医療センターの医師不足から医師の海外派遣ができずに実行できずにいた。2年前からアマイパクパク医療センターは国立病院に昇格し、全面的に建物と内容が補強された。不発弾に関する恐れがなくなれば、実行に移すのは難しくないと予測している。GPSP健康増進分野として、AMDAのみならず志の高い医療機関の協力のもとにアマイパクパク医療センターの医療技術支援を行うことにより、波及効果がミンダナオ島全体の医療機関にあればと考えている。

2014年アマイパクパク医療センター視察

2014年アマイパクパク医療センター病棟視察

2011年12月。ミンダナオ島カガヤンデオロ市地域を巨大な台風が襲った。死者は1,259名。8万世帯以上約44万名が避難を余儀なくされた。AMDAはチュア先生が以前に会長していたフィリピン家庭医学会カガヤンデオロ支部の会員と共に被災者医療支援を実施した。この時にチュア先生がアマイパクパク医療センター院長であったサベール医師を私に紹介してくれた。彼はマラウイ市のスルタンだった。スルタンはムスリム社会では宗教的・社会的指導者である。ミンダナオ島はしばしば自然災害に襲われる。しかし、外部(特にマニラをさす)の医療チームはムスリムの地区には入れないことが多かった。警戒心からである。この台風によりカガヤンデオロ地域より奥の地域で甚大な被害があったが、入れなかった。本当に残念な思いをした。

ミンダナオで被災者を診療するチュア医師

 

 

ミンダナオで被災者の診療をするAMDAフィリピン医師

 

 

アマイパクパク医療センターと協定を結べることになったら、協定に入れる内容は2項目ある。1項目は内視鏡及び腹腔鏡検査及び手術技術移転である。2項目はミンダナオ島災害医療支援に関してアマイパクパク医療センター医療チームとAMDA医療チームが合同チームとして医療支援活動を実施することである。アマイパクパク医療センターには災害医療チームがあり、ミンダナオ島内の災害被災地には必ず派遣されている。

 

アマイパクパク医療センター外観

 

 

アマイパクパク医療センターの歴史

 

 

アマイパクパク医療センターの歴史は米国植民地時代に始まる。第二次世界大戦中は日本軍によって使用された。アマイパクパク医療センターの後ろにある山の中腹にはミンダナオ州立大学がある。ミンダナ島を統括する時にマラウイ市が重要な地理的位置にあることが推察される。従来の医療従事者による活動を超えて、関連する団体間の連携が求められる中、団体の特性を生かし、さらに効果的かつ効率的に災害支援へ取り組むべく、AMDAは7者(国連、政府、医師会、NGO/NPO、大学、公益団体、企業)連携をもとに、世界災害医療プラットフォーム構想の具現化をめざしている。ミンダナ島および付近の島々における災害医療支援に大いに期待したい。