インドネシアを訪問して – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

インドネシアを訪問して

AMDAボランティアセンター事務局長 竹谷 和子

タンラAMDAインドネシア支部長前列左から2人目 菅波理事長と共に

AMDA中学高校生会メンバー政木悠布さん、太田光瑠さんの二人はAMDAインドネシア支部のコーディネートで8月7日から7日間、菅波 茂AMDA理事長と共にインドネシア、マカッサル等を訪問しました。ハッサヌディン大学医学部病院で当大学の医学生、ムスリム大学AMSAのメンバーと災害医療に関するミーティングに参加し、彼女たちはAMDA中学高校生会の活動やボランティア活動について発表しました。また6月に洪水に襲われたコナウエーを訪れAMDAインドネシア支部の支援活動の状況を伺いました。そしてマカッサルに帰り、マリノ村を訪問しました。ここでは「かおり園」の園児と母親たちの検診をタンラAMDAインドネシア支部長門下生の若い研修生が行いそのお手伝いをしました。







参加した二人の感想を紹介します。
 


政木 悠布(高校2年)

”グローバル化が進むということは、人と人とが共存せずには生きられないということだ”

今夏、インドネシアで出会ったハッサヌディン大学タンラ医学教授から教わりました。AMDA中高生会のメンバーとして訪問したインドネシアでの7日間を通して、医師として国際的に活動するという自分の夢がより明確になり、なにものにも代えがたい経験となりました。私が一番大きな衝撃を受けたのは、はじめて病院内でICUに入った時でした。手術後に呼吸困難に陥る患者を目の当たりにし、これほどまでに重篤な患者を見る機会がなかった私は、ICUのドアを開けたからこそわかる緊張感と、患者の命を救うために懸命に働く医師の誇りと尊厳を強く感じました。

 


太田 光瑠(高校1年)

いつどこで誰に会っても、インドネシアの人は素晴らしい笑顔で迎えてくれました。それは被災地でも同じでした。私が訪れた村では、どの家の壁にも地上1メートルのところに津波が押し寄せた跡がくっきり残っていた。また、洪水で収穫間近の畑が全滅し、食料に困ったそうです。そんな状況でも、村の人達は私に笑顔で優しく接してくれました。

今回、現地で同世代の若者とじっくり話すことで、学校の勉強では学べないことをたくさん知ることができました。私が思う国際社会とは、お互いの違いを認め合い、支え合うことだ。そのためには、まず知ること。そして、行動すること。今回の訪問で学んだことも自ら行動しなければ得られませんでした。別れる時は涙が止まりませんでした。そんな大切な友人がいる国になりました。最後に、このインドネシア研修に携わってくださった菅波先生、AMDAの皆さん、インドネシア 支部の皆さん、本当にありがとうございました。