AMDAフードプログラムは、「食は命の源」をコンセプトにアジアに有機農業を普及することを目的とするプログラムです。AMDAはこれまでの緊急医療支援活動を中心とした、国内外での活動の中で、「安全、安心な食」が健康な体づくりに不可欠であること、そして「安全、安心な食」の付加価値は、貧困地域の生活向上につながることに着目し、有機農業の普及を通じアジア地域での貧困緩和を目指しています。
2011年に岡山県新庄村の野土路地区に連携農場を立ち上げて以来、2013年にインドネシアから、2014年にフィリピンからそれぞれ研修生を受け入れてきました。
最初の海外からの研修生を受け入れて早いものでもう5年。新庄村で研修したインドネシアの卒業生たちは今も故郷で有機農業の普及活動を続けています。
今回は、5年前に巣立っていった卒業生たちの活躍について報告します。
2013年。新庄村で半年間の有機農業研修を受けたイカワティさん。
彼女の故郷であるインドネシアのゴワ県マリノ。山岳地帯にある農村地帯で農業が主な産業ですがほとんどの人たちが農業だけでは食べてゆけず、稲が育たない乾季には農家は近くの都市に数か月間出稼ぎに出て自転車タクシー運転手など働いて生計を立てる人がほとんどです。このような状況を踏まえ、AMDAは2014年に有機農業普及事業のパイロットファームとしてAMDAマリノ農場を開設し、イカワティさんと地元の若手農家ジャマルさんにスタッフとして常駐し事業の仕事に集中してもらうことにしました。
新庄村の農家の方々にも現地に来ていただき技術指導にも入っていただきましたが、初めての年は売り先が見つからず収穫した有機栽培米は全て自家用米として消費されました。
2015年には地元ハサヌディン大学の教授の協力を得て有機栽培米の試食販売会を開催し、駐在の日本人を中心においしいと好評を得てAMDAマリノ農場のお米は通常の3倍の値段で完売しました。
このことが地元農家にも評判となり、最初はたった1軒だった有機稲作に取り組む農家も1人また1人と増え、2018年現在では12軒の農家が有機栽培に取り組むまでになりました。
スタッフのジャマルさんもこの仕事に取り組むようになってから出稼ぎに行くことを辞め、レンガを少しずつ買い集めて家を建てました。
イカワティさんは10軒に増えた有機栽培農家に肥料のやり方や稲の害虫防除についてのアドバイスに忙しい日々を送っています。
12名の農家へのアドバイスに忙しいイカワティさんのからの声を紹介します。
AMDAマリノ農場での活動で、今日までの道のりについて報告させていただきたいと思います。私の故郷の村への有機農業の普及活動は2013年から始まりました。こちらではすでに長い間化学肥料による農法が慣習化されてきており、有機農法について周辺の農家に教えていくことは簡単ではありませんでした。人の行動を変えるということは人の考えを変えるということであり、それはとても難しいことだからです。はじめは、ほとんどの人が有機農業に全く興味を示しませんでした。なぜならクリアしなければならない課題がいくつかあったからです。まずは重たい有機肥料を運びこめるような農地を選ばなくてはなりません。堆肥を作るのにも長い時間が必要でした。化学肥料を使う農法に比べてとても時間がかかります。化学肥料なら簡単に運べ、時間もかからない。なぜわざわざ時間と手間をかける必要があるのかという疑問は、ほとんどみんなが持っていました。このような疑問が農家の心の中で解決されない限り有機農法を選ぶことはありません。これが一番大きな課題であり、私たちの活動は農家1人1人に対し、なぜ有機農法が良いのかということを丁寧に説明するところから始まりました。
有機栽培で得られた農産物は付加価値が高まり農家の所得向上につながること。
高い品質の農産物が得られること。
そして最高のメリットとして、安心で健康的な食べ物を得ることができるということ。この点が化学肥料に頼ってできた農作物との最大の違いである。
ということを話してまわったのです。
道のりは大変困難で長いのですが困難なくしてより良い収穫は得られません。2013年から2018年までにAMDAマリノ農場を含めて12人の農家が有機栽培に取り組み、何十枚もの棚田に有機農業が実践され何百キロもの有機栽培米が収穫されるに至りました。私たちの村での有機農業の普及は非常に速かったと言えると思います。なぜなら有機栽培に取り組み成功した農家を見た他の農家たちが自らやりたいと感じてより深く学ぼうとしているからです。今はまだ販売にAMDAからの力を借りていますが、私は将来農家自身が販売のすべてを手掛けられるようになるといいなと思っています。現地では有機栽培米の販売先はまだまだ限られており、地元の農家の力だけではまだまだ解決できないことも多いです。もう少し、AMDAの方々にお力添えをお願いできたらと思います。さらに、私の個人的な夢としてこの有機農業が他の地区でも発展するといいなと思っています。私はシデランラパンという地方に行ったことがあります。シデランラパンと言うと皆さんは変な地名だと思うかもしれませんが、この地方は南スラウェシで一番のお米の大産地です。しかしそこには有機栽培のお米が全くないのです。そこの人たちは、まるで私たちの村の人たちが昔有機農業を知らなかったのと同じように有機農業のこと全くを知らないのです。私はそこでも有機農業を普及できたらいいなと思うのですが、その前に前例として私たちの村で安定した売り先の開拓をしなければなりません。私たちは新しい挑戦をするためのステージに立ったようです。村の人たちの生活は、他の村の人たちの成功例を見て変わっていきます。私は他の村の人たちの生活も、私の村であるバトゥラピシを成功例としてみて自ら変わっていくことを祈っています。そのために私の村の有機農業が完全なものになるようこれからも努力していきます。皆さん応援よろしくお願いします。
イカワティ