【令和6年能登半島地震被災者緊急支援活動の流れ】 – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

【令和6年能登半島地震被災者緊急支援活動の流れ】

 2024年1月1日午後4時10分頃、石川県能登半島を震源とする最大震度7の地震が発生。

AMDAでは地震発生直後から情報収集を開始した。


2日 調整員2名を岡山より派遣。
石川県保健医療福祉調整本部にて情報収集を行うが、輪島市、珠洲市、七尾市の避難所の確認ができず、医療ニーズについても調査が必要な状況。

 3日 能登医療圏活動拠点本部の公立能登半島中央病院で受付の後、輪島市立輪島病院へ。避難者の状況、医療のニーズの調査を行った。

4日 高速の通行止めや道路の陥没、隆起その他、悪天候や余震の影響によって大規模な渋滞が起こっており、移動に長時間を要した。
同日夜、大規模災害時協力協定を結んでいる長野県諏訪中央病院より派遣された、医師1名、看護師1名、調整員1名と合流し情報共有を実施した。


5日 輪島市門前町にて避難所のスクリーニング調査を実施。調整員2名はリエゾンとして輪島市役所で行われた、保健医療福祉調整本部会議へ参加。
6日 避難所の調査を継続。また被害の甚大さから、医薬品などを積んだ車両にて、第2次派遣チーム(医師1名、看護師1名)が岡山を出発。

​ 7日 活動を行った避難所となっている、小学校や公民館では、下痢症状や新型コロナウイルスなども確認された。
水不足により水洗トイレが利用できないことや、手洗いができないため感染症が流行傾向にあった。
同日、夕刻、輪島市立輪島中学校を拠点にAMDAが医療支援活動を行うことが決定。
翌日からの活動に備えて、避難所内の調査をAMDA、行政、学校長の三者で実施。

 8日 輪島中学校での活動が本格的に開始。
第3次医療チーム(医師1名、看護師1名、薬剤師1名)が岡山を出発。
避難所内のスクリーニングとゾーニングを行い、避難所内を土足厳禁に。感染症患者エリアを設置。
9日 拡大する胃腸炎に対応するためAMDAより岡山市民病院へ要請し、点滴セット100個が提供された。第4次派遣チーム(医師1名、調整員1名)によって10日に被災地へ届けられた。
この日の避難者数、542名が輪島中学校の最大避難者数。(1月28日時点)
依然、感染患者は出ていたものの、当初の感染性胃腸炎の蔓延があった数日前と比べると、感染症治療と予防に加え、上水道による手洗い再開によって、患者数は減少し始めた。

12日 避難所での診療と同時に緊急的に段ボールベットが必要な方を選定するアセスメントのために、全避難者を対象とする説明と聞き取り調査を巡回診療と兼ねて医師と薬剤師が実施した。
避難所内が体育館、アリーナ、全天候型広場、教室に分かれており12時間かけて3階まである教室のうち3分の2程度巡回。
15日 第5次派遣チーム(医師1名、看護師2名、薬剤師1名、調整員1名)が合流。


17日 第6次医療チーム(医師2名)が合流。
1.5次避難所や、2次避難所への移動もあり避難所内の避難者数は少しずつ減少傾向へ。


18日 第7次派遣チーム(医師1名、調整員1名)が合流。
19日 高齢の避難者から順にダンボールベッドの設置が進められた。依然として道路の状態が悪く大型トラックが避難所近くに入れないため輸送が繰り返され、19日時点で419個届けられた。
輪島中学校は、高台にあり上下水道も大きな被害を受けている。下水を流すことができないためトイレでは凝固剤を使っている。凝固剤の使用が必要ない仮設トイレは、極寒の屋外に設置されている。

22日 第8次派遣チーム(医師1人、看護師1人、調整員1人)が岡山より出発。


23日 14時頃は、避難所内でラジオ体操が行われた後、長野県諏訪中央病院の理学療法士による健康ストレッチを実施。
AMDAの体操として、チラシなどを配布。こもりがちの避難者の方々に運動することを促す。
そのほかにも、睡眠の改善、良質な食事、感染ならびに血栓予防、血圧の管理などの予防策で被災された方々の健康を支えている。


AMDAからの総派遣者数 45人 (2月2日時点)
1月28日までの診察対応数 679件(胃腸炎、コロナ、インフルエンザを含む)