AMDAが教えてくれたこと – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

AMDAが教えてくれたこと

AMDAボランティアセンター 事務局長
AMDA中学高校生会担当 竹谷和子

シリーズでAMDA中学高校生会OB、OGの方に登場していただきブログを紹介しています。
今回はAMDA中学高校生会OGの新家夢紬さんの記事を紹介いたします。


こんにちは、新家夢紬(しんけむつみ)と申します。AMDAには、中学生のときから現在まで長らくお世話になっており、私の人生の指針となるたくさんの学びと経験をさせていただいてきました。今回は、AMDAでの活動が私に教えてくれたこと、現在の活動と今後についてお話したいと思います。

【ハイチ復興支援スポーツ親善交流事業】


私は、幼いころインド・ムンバイで生活し、ストリートチルドレンを目の当たりにして以来、貧困問題、社会的格差に興味を抱いていました。そこで、地元新庄村で行われるさくらまつりにて中学校の行事の一環としてAMDAへ募金活動を行ったことが、国際協力に関わる第一歩となりました。
そして、2010年の夏には、新庄中学校とAMDAの15年間のつながりから、同年1月にハイチ共和国で起きた大地震に対する復興支援事業への参加の機会をいただきました。世界最貧国の一つであるハイチで起きた震災では約31万6千人の死者及び国民全体の4分の1、230万人が被災したとされています。地震の規模だけでなく、従来からの政情不安と脆弱な社会インフラサービスによって甚大な被害が発生しました。ハイチ復興支援スポーツ親善交流事業では、隣国ドミニカ共和国を訪れ日本、ドミニカ、ハイチの三ヶ国の少年たちと、サッカー交流を通じて被災したハイチの少年たちの心のケアを行うことが目的でした。私はサッカーが得意だったわけでも、英語が喋れたわけでもありませんでしたが、2日間彼らと過ごす中で、言葉や文化の壁を越えてともに楽しい時間を過ごすことができたと感じていました。しかし、交流プログラムを終えハイチの少年たちを送り出してから、現地で義肢として働く方からハイチの現状を教えていただき衝撃を受けました。地震の規模の大きさに加え、脆弱な国のシステム、蔓延る貧困問題により、ハイチの被災状況は私が想像していたよりもずっと過酷なものでした。お話を聞きながら、帰りたくないと涙していた少年たちを思い出し、何もできなかった自分が辛くなったことを今でも覚えています。帰れる家があって、毎日家族と一緒にご飯を食べられること、蛇口をひねればきれいな水が飲めること、学校に行って友達と勉強できること、そんな私の”当たり前”の日常が彼らにとっては奇跡みたいな幸せな日々であることを知り、日本という国に生まれたそれだけで自分がいかに恵まれているのかを実感しました。世界は広い。それを教えてくれたハイチの少年たちにいつか恩返ししたいと思ったのが、私が国際協力の道を志す原点となりました。彼らにとってあの夢みたいな数日間が今も心のどこかに残っていてくれるといいなあと思います。

さらに、プログラムの一環としてNYの国連本部、ユニセフ本部を訪問させていただきました。AMDA名誉顧問で国連職員、国連経済社会局元官房長、田島幹雄氏のご尽力で訪問させていただくことになりました。10日間の間に田島先生のお話や青年海外協力隊の方々をはじめ国内・海外で国際協力に従事する方々のお話を聞けたことは非常に貴重な経験でした。当時の私にとって、国際協力の現場で活躍される皆さんがとてもキラキラして見え、プロジェクト以降、私の憧れの対象となりました。

【AMDA高校生会】

その後、AMDA高校生会にも参加させていただきました。遠方から参加していたためなかなか深くかかわることは難しかったものの、学校ではなかなか出会えない、国際協力に興味をもつ同年代の仲間からはいつも刺激を受けていました。海外だけでなく、東北大震災への復興支援を中心に国内にもまだまだできることはたくさんあって、平和ってなんだろう、自分にできることはないのかとたくさん考えさせられる場があったことは今の自分にもつながっていると思います。

 

【大学生活とAMDA】

高校卒業後は金沢大学国際学類に進学し、国際関係を中心に政治・経済、歴史、文化と世界が抱える諸問題について多角的に学びを深めました。国際協力サークルに所属しバングラデシュでストリートチルドレンに教育活動を行ったり、語学力を高め開発学を学ぶためにマレーシアへ一年間交換留学したりと常に世界に視野を向け続けました。「発展途上国」と呼ばれる国を訪れ、現地の人々と触れ合うたびに、日本人よりも人間らしい彼らの生きざまから、本当の豊かさ、幸せって何だろうと幾度となく考えさせられました。国際協力に関わり続けたいと思えたのは、それまでのAMDAでの活動に後押しされていたからだと思います。


(バングラデシュでの活動の様子)

マレーシア留学中に、クアラルンプールに拠点を置いて活動される菅波代表からお声かけを受け、2018年には、AMDA中高生会OBとしてスリランカ復興支援プロジェクトにも関わらせていただきました。後輩となる中高生会のメンバーをサポートすることを一つの目的として参加しましたが、結果的には彼らから学ぶことの方が多かったように思います。言葉が通じなくても国や宗教を越えて友達を作る彼ら、違いを受け入れることは大人になるにつれて難しくなってしまうのかもしれないと思いました。また、語学力やこれまで自分が学んできた知識、スキルを試す機会ともなりました。さらにAMDAの、NGO団体としての国際協力における役割の重要性についても触れることができ今後の将来を改めて考えるきっかけにもなり、参加させていただけたこと本当に感謝しています。


(AMDAスリランカ平和構築プログラムでの活動の様子)

【大学院生活@オーストラリア】


現在はオーストラリア、ブリスベンにあるクイーンズランド大学開発実践学部にて、さらに実践的な国際開発の手法を学んでいます。アジア太平洋地域における開発問題を中心に特に発展途上国や脆弱な立場にある人々に対する教育問題にもち、学び続けています。国際協力、開発の現場を知れば知るほど問題の複雑さや理想と現実のギャップに悩み、自身の今後の進路についても自問自答を繰り返す毎日ですが、世界中から集まる開発のプロ、さまざまな価値観をもつ学生とともに刺激的な日々を送っています。

また、10年前にハイチ復興支援プロジェクトでお世話になった森田佳奈子さんにお声をかけていただき、ハイチの孤児院を支援するNGO「こどもの家プロジェクト」にて遠隔ながら翻訳などのボランティアとしてお手伝いをさせていただいています。私の原点となるハイチの子どもたちのために、恩返しできる機会を与えていただいていること、AMDAが繋げてくれたご縁を本当に有難く思います。

 

【最後に】

情報にあふれた社会に生きる私たちには、世界の状況を知る機会がたくさんあります。しかし、すべてが正しい情報とは限らないし、発言する人の主観によって簡単に変えられてしまいます。これからの時代を生きていく上では、それを取捨選択する力、物事の背景に目を向けることがより重要となってくるのではないでしょうか。私も、異国で育ってきた環境がまったく異なる人々と生活していると、理解の範囲をはるかに超える出来事に直面することもたくさんあります。でも、その背景を知るとその人の、そのコミュニティの見え方は大きく変わってきます。世界が抱える問題、AMDAが取り組んでいる問題は今日明日で解決できるようなことではありません。平和な時代に生まれてきた私たちですが、一体平和ってなんでしょうか。私は、自分自身が世界を変えられるとは思っていませんが、これまでAMDAに関わる多くの人々に影響を受けてきたことは確かです。一人でも出会わなかったら今の自分はないかもしれない。誰か一人でもいいから、その人の人生に深く影響を与えることができたら、世界は少し良くなるのではないでしょうか。困っている人がいるから助ける、シンプルですが忘れがちな「相互扶助」の精神を私はこれからもずっと忘れないでいたいと思います。これまでAMDAの活動を通じて学んだこと、出会った人々は私にとってかけがえのない財産です。これからも、より多くの皆さん、特に若い中高生の皆さんにAMDAの活動を知っていただき、国際協力について考えるきっかけとなればいいなと思います。そして、どんなに小さなことでも心を動かされた瞬間を忘れないで、自分と世界について考え続けてほしい、私もそうでありたいと思っています。