一般社団法人Bridge for Fukushimaを訪問し – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

一般社団法人Bridge for Fukushimaを訪問し


11月22日の早朝、福島県沖を震源とするM7.4の地震が発生・・・津波への警戒を呼びかけるニュースから東日本大震災を思い起こした方も多かったのではないでしょうか。

同日、派遣チームとして福島入りしました。そのまま受け入れ団体の一般社団法人 Bridge for Fukushimaを訪問し、地元の情報収集とこれからの被災地支援に関して意見交換を行いました。団体の代表は、元アムダの職員だった伴場賢一氏です。伴場氏は、1999年〜2004年までアムダに所属。海外の社会開発事業や救援活動に携わっていました。 伴場氏側で、すぐにアムダ派遣チームを受け入れ、翌日から福島県内の案内やサポートをしていただきました。南相馬市の復興グルメF-1大会に参加されている「かしま復興商店街」を訪問した際のお話しでは、発生当日、6か所の避難所に420人が避難したが、その後津波警報も解除され、津波発生があったものの幸いにも大きな被害もなく避難所も当日のうち閉所となりました。
仙台市内で開催された福幸市では、同じく復興グルメF-1大会の「南三陸町復興商店街」の皆さまにお会いし直接顔をみて話すことで、今後も共に力を合わせてやっていくことをより強く意識できる場となりました。


福島県内を移動中、他県ではみられることのない光景が目に入りました。
山間の飯館村に入ったとき深緑のシートで覆われた汚染土の山が各箇所にいくつもおかれていること。福島駅付近には放射能の線量計があり常に数値を表示して市民に知らせていること。福島の方のお話しから、県内でも地域による被害と復興の差があること、原発や放射能の被害の不安とそれによる風評被害が残っている現実がみえてきました。
復興とは、、、それぞれが経済的、物理的に安心して元の生活ができる状態。
自然環境的に、山や海が本来の姿を取り戻す。社会的に地域のコミュニティが再生され機能する。そのために、できることから、小さなことから、ひとつずつ、東北の皆さまとともに取り組んでいくことができたらと思います。

アムダのネットワークの存在があったから、このように多くの方に出会い、顔と顔のつながりを持つことができたと思います。皆さまがアムダチームを喜んで受け入れていただいたことに感謝の気持ちで東北をあとにしました。

 

難波比加理