食と人道支援〜AMDA支援農場 – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

食と人道支援〜AMDA支援農場


2013年11月2日、岡山県国際交流センターにてAMDA-夜まわりグループ合同シンポジウム「食と人道支援〜東日本大震災を通して見えたもの」を開催。東日本被災地における震災ホームレスの支援を基点とした食と人道支援を考えるシンポジウムだった。WFP国連世界食糧計画日本事務所の支援調整官である中井恒二郎氏が基調講演で「東日本大震災被災者救援活動における物資補給と流通」の報告。災害救援活動のエッセンスだった。震災ホームレスのお世話をされているNPO法人仙台夜まわりグループ理事長の今井誠二氏からは「東日本大震災以降のホームレスの現状とその支援について」の報告。AMDAの東日本事業担当の大政朋子スタッフからは「被災地間交流‐復興グルメF1大会の現状」の報告。震災ホームレス食糧支援のご縁をつくられた太生山一心寺副住職の中島泰俊氏と、おかやまコープ専務理事の田中照周氏から、それぞれ活動の経過と今後の支援への期待が述べられた。

そしてプログラムは「AMDA支援農場」認定式と続いた。代表世話人である竹内洋二氏から「AMDAの活動を支援する農場」の説明と、今秋支援米を30?拠出していただいた篤志家の方々45名へ認定状が渡された。特筆すべきは岡山県立高松農業高校、岡山県立興陽高等学校そして岡山県立瀬戸南高等学校である。志の高い高校生らに感謝をしたい。討議に移った。岡山市会議員川本浩一郎氏、おかやまコープ組織本部長の榊誠司氏、ネットワーク『地球村』・グローカルネット吉備の日野進一郎氏、AMSA滝澤知佳氏のコメントに続き、衆議院議員逢沢一郎氏から総括のコメントをいただいた。

「援助を受ける側にもプライドがある」。今井誠二氏が逸話を紹介された。東日本大震災発生初期の電気や水などの社会インフラがストップした時にパニック状況の被災者への炊き出しや交通整理のお世話をしたのが、ホームレスの人たちだった。震災ホームレスの人たちには特徴がある。復興事業での雇用は一貫性がなく、作業段階が変わる度に人が変わるので、すぐに仕事にあぶれてしまい、簡単にホームレスになりやすい。しかし、東北出身の人たちは仕送りをして東北地方の経済を支えてきた誇りがある故に、生活保護受給を拒む。「お国のために尽くしてきたのに、お国のお世話にはなりたくない」と。一方、復興グルメF1大会に参加している岩手県、宮城県そして福島県の仮設商店街は「被災地の自分たちが立ち上がらなくて、誰が助けてくれる」と。2013年1月に開催した第1回の開催から8か月で仮設商店街情報共有会が立ち上がった。「仮設商店街が本設の商店街に回帰してもこの三陸の連携は続ける」と。
「困った時はお互いさま」の相互扶助。お互いに信頼関係があればもっと効果的である。「AMDA支援農場」のお米は信頼形成を促進する。10月に開催された第4回復興グルメF1大会には岡山からボランティアバスを出した。参加者は43人。高校生、大学生そして一般の方々がテントの設営から呼び込みに声を張り上げた。汗を流した。仮設商店街の方々と一体となった。お米と汗は信頼形成への絆である。南海トラフは近い将来起こり得る。AMDAの東日本被災地復興支援活動と教訓。健康支援、医療機関支援、同世代間交流、被災地間交流、国際高校生奨学金、ボランティア受け入れと派遣に加えて、お米支援と輪が広がった。仮設商店街と震災ホームレスの方々が断言してくれる。「南海トラフの時には絶対に岡山の支援に駆けつける」と。