バングラデシュ・マハムニ母子寮の
子どもたちと筆者
2012年12月16日から1週間。バングラデッシュにあるマハムニ母子寮を訪問した。首都ダッカ空港からチッタゴン空港まで飛行機で1時間。チッタゴン空港からマハムニ村まで車で40分。イスラム教徒が多数派の中で少数派の仏教徒が居住する丘陵地域である。1992年から現在に至るロヒンギャ難民のキャンプも近い。ちなみに、AMDAは1992年に緊急医療チームを派遣。リーダーは現AMDAバングラデッシュ支部長であり、日本バングラデッシュ友好病院(JBFH)設立者で理事長であるナイーム医師だった。JBFHは日本へ留学した医師3名(イスラム教徒)によって1993年にダッカで開設。バングラデシュ有数の病院として確実に発展し、2014年からは脳と心臓手術の新病棟も開始する予定である。
マハムニ村に話を戻す。バングラデシュでは、1971年のパキスタンからの独立戦争で300万人以上の死者と多数の未亡人や孤児が取り残された。1976年に日本山妙法寺の渡辺天城上人がマハムニ母子寮を設立。福井宗芳上人に引き継がれて現在は姫路の明覚寺ご住職の後藤一上人がお世話。チッタゴン周辺では渡辺上人は有徳の聖職者として尊敬されている。
経営は火の車である。7歳から17歳までの子どもたちが100名。年間の経費は360万円。責任者のナトゥ氏は毎朝50kgのお米を心配する。朝はお粥のみ。昼と夜は野菜や魚のカレーに1品。衣類も替えは2、3枚。部屋は4、5人が共に寝る。建物も古く壁に亀裂がある。にもかかわらず、「学ぶ喜び」で溢れている。学校から帰ると、学年別クラスごとに学習。礼儀正しい。食事前にはお経の合唱。来客には必ず立ち止まって手を合わせて挨拶。母子寮内にはゴミひとつない。「清潔は聖なること」運動を開始した。子どもたちが月2回行う村内道路の清掃活動に5円のおやつを提供。大人による住民参加型環境整備推進が目的である。
最近、同地域の仏教徒の村々で、民族(宗教)対立で襲撃放火事件が発生。仏教寺院と民家約200軒が焼き討ちされた。幸いにも死者はなかった。村民は再襲撃を恐れて不安。AMDAバングラデッシュ支部とJBFHが16名の医療救援チームを迅速に派遣。後藤ご住職の所属する社団法人アジア南太平洋友好協会RACK(河野太通会長)が、診療所を併設する仏教寺院に200万円の拠出を決定。診療所にはJBFHの看板を掲げる。バングラデッシュ全土に著明なJBFHの診療所を襲えば大社会問題化すること確実である。診療所の役割は村民への医療提供と再襲撃予防である。また、寺院は地域唯一のコミュニティセンターの役割を果たす場であり、復興の精神的主柱ともなる。
2013年11月。仏教徒、イスラム教徒そしてロヒンギャ難民の相互理解と相互信頼を推進する医療和平プログラムを実施予定。スポーツ、アートそして医療による平和へのメッセージの発信である。参加する青少年はマハニム村(仏教徒)、アノワラ村(イスラム教徒)そしてロヒンギャ難民である。AMDAでは2011年のスリランカでの実施に続き2例目となるスポーツ、アートと医療による相互理解推進と平和のメッセージ発信である。
宗教を超えた「開かれた相互扶助」のモデル形成にご理解とご支援を頂ければ幸いである。