AMDAを支えてくださっている支援者の皆様に、インタビュー形式で様々なエピソードをお伺いしている「支える喜びシリーズ」。17回目となる今回は天理教道竹分教会(岡山県里庄町新庄)の会長として、AMDAの活動にご支援をいただいている平野恭助さんにお話を伺いました。(聞き手・今井康人)
AMDA
本日はお忙しいなか、ありがとうございます。AMDAとのかかわりは何がきっかけとなったので しょうか。
平野
AMDAが1994年、ルワンダ難民支援活動に向かう際、菅波茂代表が医師や看護師ら派遣メンバーの中に「宗教家」がいてほしいと要望され、私が選ばれたのが始まりです。AMDAは国内外で紛争や災害の際、いち早く緊急支援に乗り出す素晴らしい団体と認識していたので、参加することに抵抗はありませんでした。
海外支援で予想しない事態に
AMDA
現地ではAMDAが借り上げていたトラックが難民に強奪され、近くで防疫活動中だった自衛隊に緊急出動してもらい日本人3人を含むスタッフ10人を保護してもらうというハプニングがありました。当時、日本でも大きく報道されています。
平野
突然、予想もしなかった事態が起きて正直、びっくりしました。約30人の難民は武装し ておらず、命の危険までは感じませんでしたが、手荒い歓迎を受けた体験でした。難民たちは「トラックはルワンダで盗まれた我々のもの」と判断して取り返したということでした。AMDAへの恨みによる犯行ではないことにホッとしました。
AMDA
その後もAMDAがベトナムやフィリピン、インドネシアなどで取り組んだASMP(医療と魂のプログラム)にも積極的に参加してもらい、戦没者らの慰霊に協力をしていただきました。
平野
むしろ菅波代表から厚い信頼を受け、たびたび声掛けをしてもらったことに深く感謝しています。
AMDA
平野さんには新潟中越地震(2004年)や南太平洋のサモア諸島津波被害(09年)にも調整員として参加してもらい、熊本地震(16年)では天理教の施設を派遣スタッフの宿舎として開放してもらいました。17年にはインド・ブッダガヤに多くの古着も寄贈されています。
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高邁な思想より実践を大切に
平野
宗教家は「人をたすけて我が身たすかる」が原点です。少しでも困っている人の支援になればと活動を続け、30年以上になりました。
AMDA
その間、海外30カ国を訪問し、まさに国際人といっても過言ではありません。今の世界の実情をどのように感じておられますか。
平野
経済的には少しずつ上向いていますが、心のレベルはむしろ後退しているのではないでしょうか。自己中心的な考えが目立ちます。高邁な思想より助け合いの姿を黙って実践していく。その後ろ姿が人の心を打つ。時間はかかるが、こうした活動の積み重ねが今、求められているのではないでしょうか。
「平野氏は20年来の同志」 黒住宗道・黒住教教主
平野氏とは、1996年にともに立ち上げた「人道援助宗教NGOネットワーク(RNN)」発足以来の “同志”です。
彼が重んじる「高邁な思想より実践を大切に」の精神は、「人道援助活動を行う宗教NGOのネットワーク」という我々の団体名そのものです。
AMDAの推進するプロジェクトで私が海外に出掛ける際の手配は全て “平野旅行社”任せです。
信頼関係あればこその、宗教協力の現れだと有り難く思っています。