連載インタビュー 「支える喜び」シリーズ第8回 AMDA本部事務局を支える人たち – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

連載インタビュー 「支える喜び」シリーズ第8回 AMDA本部事務局を支える人たち

今回はAMDA本部事務局を支えてくださっているボランティアの方々にお話を伺いました。本部事務局は、ボランティアの方々に支えられて活動ができています。紙面の都合上ご紹介に限りがありますが、東京女子大学OGグループの皆様も多年にわたりご協力いただいています。本部の今があるのは、これからご紹介する方々を始めとした多くのボランティアの方々のおかげです。


井口さん撮影の1995年
AMDA広報誌表紙

井口恵子さん

平成2年に定年退職した直後よりAMDAでボランティアを始めてもう25年が過ぎました。

妹が菅波先生の患者でした。破れた運動靴をはいて病院設立に頑張っていらした菅波先生の感じが良かったので、手伝ってといわれた妹が手伝うようになり、次第に自分も亡き夫とともにAMDAを手伝うようになりました。その頃、阪神淡路大震災、サハリンの大地震、インド西部大地震と様々な災害に見舞われる中、若い人達が実によく活躍していました。当時、まだボランティアというのは珍しかったので、NHKは軽四の車にAMDAのシールをはってボランティアをする私たち夫婦の事を取材していました。その放映の日はまさに阪神淡路大震災が発生した日でした。朝8時半から夜10時まで3か月間、菅波医院で必死に救援活動にあたりました。いつ食事をとっていたか、今でも思い出せません。菅波医院の裏で大きなお釜で地域の人たちも含め、皆でお米を炊いておにぎりを持っていったこと、そして、コンビニのおにぎりの方が良いと断られたことで「見えない真心」を渡す難しさも知りました。

1995年6月AMDAの広報誌の表紙の写真は私が撮ったものです。多くの人が手探りでAMDAを支えていた時期、一緒にAMDAの礎を築いてきた人たちの顔が今も鮮やかに蘇ります。これが私の自負するところでもあり、人生の宝でもあります。


田中さん・黒瀬さん(右)

黒瀬美砂子さん、田中啓子さん

AMDAでボランティアを始めてそれぞれ20年と17年なります。

阪神淡路大震災が起こり、その時は何もできず、自分も人の為に何かしたいという気持ちが強くなりました。そこでAMDAのことを知り、週に一度来て書類整理や発送準備をしていました。初期の頃はAMDAからの発刊物を発送する際にも、封筒に手書きで住所を書いていました。また5年前東日本大震災が発生した時に、薬局に色々な物資購入のために奔走しました。お店の方々がとても協力的で、最後にマスクを2箱いただいたことが印象に残っています。

私たちは菅波代表の提唱する理念に共鳴し、尊敬しています。私もアムダの仲間として活動できてうれしいです。

清輔幸子さん、水田陽子さん

20年以上前に、AMDAで職員として働いていました。そして子育てが一段落した約15年前からボランティアとして、領収書発送などの作業を担当しております。AMDAでボランティアとして働き、社会との繋がりを感じられ、生活にハリが出ています。また、共にAMDAを支えるボランティアスタッフの仲間たちとお会いすることも楽しみの一つとなっています。これからもAMDAを支えていきたいと思っています。


左から山本さん 矢部さん 丸山さん  ボランティア
センター長 小池さん 長門さん 村野さん 岡本さん

シニアボランティアグループ

仕事を退職した後、平成18年に菅波代表から「AMDA設立25周年記念資料室」の準備室長にグループの一員である村野さんが任命され、それに伴って発足したグループです。AMDA25周年に向け、AMDAを支えてくださっている方々へ感謝の取り組みをするため、過去の資料を全てさかのぼり名簿を作成しました。こちらは、2014年のAMDA30周年祝賀会でも大いに活用されました。また、今もAMDAの長い歴史資料の整理を続けています。

同時に、教育への貢献ということで、子どもたちの日本の国際協力への理解を深める取り組みをしています。その関係で、AMDAのサテライト室を小・中・公民館・郵便局に造る試みを始め、AMDAニュースを作成するようになりました。現在も作成を続けており、配り先は今では100か所以上にのぼります。
活動を続けていくうちに、現在のメンバーが揃い、メンバー一同でAMDAを支えるべく活動をしています。

もともと地域貢献をモットーに仕事をしていたので、第2の人生のライフワークとしてAMDAで継続して地域のためと思い活動しています。

※グループの一員である村野さんは1993年からAMDAの国際人道支援活動の展開の基となった郵政省の「国際ボランティア貯金」制度の地元窓口郵便局局長としてご協力いただいていました。