ネパールテレビ局日本での研修
岡山西消防署での講義の様子
2015年4月25日に発生したネパール中部地震緊急救援のため現地に入ったAMDAグループ菅波代表は、ネパールのTV局「Image Channel」の取材を受けました。今回は同テレビ局から3名を日本に招待。11月16日〜23日の8日間「日本の防災と復興」と「災害時のメディアの役割」を学ぶための研修プログラムを、山陽放送様のご協力により実施することができました。
一行は、大阪、岩手、岡山の放送局を訪問。TV局ごとにある災害対応マニュアルを知り、そこで緊急速報用の原稿の準備、緊急取材の役割分担、取材で被災地に入る時に必要な健康管理キット、食料品の備蓄などの必要性を学びました。
岡山市危機管理室の方からの講義では、地震の被害を最小限に抑えるため、政府や自治体をはじめ、あらゆる組織が防災訓練に積極的に取り込んでいることを聞きました。国民の防災意識を高めることが重要であること、子どもや地域住民を対象に防災訓練や防災教育に力を入れていることは、ネパールで是非伝えたいこととしてネパールのテレビクルーの心に残ったようでした。
東日本大震災の被災地の一つであり、AMDA復興支援の活動拠点でもある岩手県大槌町を訪れた際には、被災者が孤立しないように、「AMDA大槌健康サポートセンター」で実施している活動、被災者の声、復興の現状を聞くことができました。ネパールでは、地震から早や7か月が経過し、瓦礫もそのまま残っていますが、国内で被災地や被災者の報道も少なくなり、忘れられつつあります。
帰国後の12月13日、3人は社内で「報道人としての防災認識を高める」講義を開催し、日本での研修で学んだことを発表。災害に備えた局内での防災訓練、災害時の準備を、一日も早くスタートさせることが決まりました。今後は国民の防災認識を高めるため、日本での研修内容を番組にして放送する予定です。
研修に参加したネパールのテレビクルー
ネパールの参加者からの声
アヌパ氏(制作部長):日本人の防災意識の高さに感動した。ネパールの子供たちの防災意識を高める番組を作成したい。
タクル氏(レポーター):日本の報道スタッフの災害時の仕事ぶりに感動した。自分も一人の報道人として災害の時に人々が混乱しないような報道ができるように努めたい。
ナビン氏(カメラマン):自分が撮った映像が人々に伝わるようにこれからも頑張りたい。
寄稿 彼らは今どうしているのか? 〜ネパール大震災で障がい者となった方〜
ネパールは2015年9月20日公布の新憲法に反対する抗議として経済封鎖が公布日直前からネパール南部からインド国境付近で続いております。ガソリン、ガス、医薬品などの流通が妨害され、ネパールの一般市民を苦しめ震災後の復興にも大きく影を落としています(2015年12月現在)。
今回の震災で脊髄損傷となられた20歳の女性が身を寄せる親類宅に、モニタリング調査を兼ねた訪問リハビリテーションをさせていただいたので紹介したいと思います(右の写真)。
彼女は最初の震源地に近いラスワ郡という山間部の自宅で被災し、第11胸髄損傷となりトリブヴァン大学教育病院(TUTH)へ搬送されました。この女性の理学療法に、私はAMDAの活動として関わっていました。車いすが必要なほど重度の障がいが残りましたが、脊髄損傷リハビリテーションセンター(SIRC)でリハビリテーションを受け、車いすの使い方も習得。その後、退院し現在の親類宅にて療養生活をしておられました。
しかし被災後7か月の訪問時、その車いすはベランダの隅に片づけられておりました。バリアの多い環境で自由に動けない状況では、せっかくの車いすも使えなかったのです。すぐにお体のサイズを測り、AMDAのプロジェクトで現地製造している車いすを製造担当者に依頼しました。体の状態については、特に関節が硬いなどの問題は見られず「ベッドから離れる生活」を最初の目標とし、そのための環境設定をしました。足りない物は「生活福祉用具支援」として用意する事とし、最後に生活のための助言をお話ししました。継続して訪問リハビリに伺うこととしました。
彼女の瞳は力強くTUTH入院中も笑顔が印象的でした。今は不安でいっぱいと思いますが、人生を再び歩み始めるサポートができれば、彼女は将来のネパールの障がい者に勇気を与える、そんな存在になると思います。AMDAによる障がい者支援により訪問リハビリが可能となりました。AMDAのスタッフをはじめ、AMDAをご支援いただいております皆様に心より感謝申し上げます。