加速する民主化と経済発展のミャンマーを再訪して(2012/7発行ジャーナル7月夏号掲載) – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

加速する民主化と経済発展のミャンマーを再訪して(2012/7発行ジャーナル7月夏号掲載)

加速する民主化と経済発展のミャンマーを再訪して

AMDAグループ代表 菅波茂


ヤダナウーちゃんの写真を囲むご家族と

ミャンマー中部の貧しい乾燥地帯に位置するパコックとメティーラを6 月訪ねた。AMDA が関与してから17 年。現在はAMDA 社会開発機構が3 万人の農民を対象に健康増進プログラムを実施している。メティーラでは、1999 年にAMDA が寄贈した総合病院の子ども病棟を訪問。検査機器は無く聴診器のみの診療である。旧首都のヤンゴンにある病院に比べて地方の病院の診療機能の充実が求められている。保健省は地方の病院機能の充実を目標の一つにしている。メティーラは第二次世界大戦で岡山の多くの将兵が英印軍の戦車の前に斃れたところである。現在も交通の要所でミャンマー陸軍の重要な駐屯地である。

今回、一番お会いしたかったのが亡きヤダナウーちゃんのご家族である。メティーラから車で30 分かかる不便な水田の中に家があった。ヤダナウーちゃんは94 年6 月生まれの当時9 歳の女の子。心臓弁の一つが変形する先天性心疾患で、運動すればチアノーゼが出るまでに悪化していた。2004 年2 月に岡山に手術のため招聘し、岡山大学附属病院にて佐野俊二教授の執刀で弁形成手術、当初予定より早く退院できるほど手術は成功し、病状は改善。帰国後はマンダレーとメティーラの医療機関で定期的に受診しつつ、勉学に励んでいたが、2011 年1 月に急死した。「看護師になって佐野先生のもとでもっと勉強したい」と語っていたことが忘れられない。家族から微笑んでいる彼女の写真をいただいた。ご両親に約束した。「現在、計画しているインドの御釈迦さんが悟りをひらかれたブッダガヤの地での小児心臓医療施設が完成すれば、この施設に彼女の写真を飾ります」と。「ヤダナウーも喜んでいるでしょう」と92 歳の祖母に言われて気持ちが軽くなった。

ミャンマーには1 週間ほど滞在した。新首都のネピドーも地方も訪問した。ヤンゴンで宿泊したホテルではベトナムのホーチンミン市との合同ビジネス会議が開催されていた。急速な民主化と経済発展を迎えているミャンマーでは都市と地方の格差がますます激しくなることが予想される。アジア全体が激動している。日本では感じられないダイナミックさである。格差が開けば開くほど「救える命があればどこまでも」のAMDA のスローガンが求められると予感した。AMDA のミャンマーにおける活動を支援していただいている方々に厚くお礼を申し上げたい。


6月10日(日)〜16日(土)の日程で、菅波茂AMDAグループ代表がミャンマーを訪問しました。7年ぶりのミャンマー訪問では、AMDAグループがミャンマーで活動を開始して以来の歴代の2人の保健大臣と現保健大臣Dr. Pe Thet Khinに面会する機会に恵まれ、また、齊藤隆志/在ミャンマー特命全権大使を表敬訪問しました。その他、プロジェクトを実施している中央乾燥地(パコク郡、メティラ郡)を訪れ、受益者の人々や現地スタッフと交流しました。


Dr. Pe Thet Khin 保健大臣(右)と

齊藤大使(中央)と