AMDA東日本大震災国際奨学金を受けた生徒達の声(2011/10発行ジャーナル10月秋号掲載) – AMDA(アムダ)
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AMDA東日本大震災国際奨学金を受けた生徒達の声(2011/10発行ジャーナル10月秋号掲載)

AMDA東日本大震災国際奨学金を受けた生徒達の声

看護師さんの姿に共感し、自分も看護師さんになりたい


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今回、私がAMDAの奨学金を応募した理由は経済的負担を軽くしたいと考えたことにあります。

私が看護師を強く志望している理由は、高校入学時に脳に脳動静脈瘻という病気が見つかり、1年の冬に手術を受けたことがきっかけでした。これからの学校生活に対する不安を抱えている私を支えてくれたのが看護師さんでした。確かな技術と知識をもとに患者の心に寄り添ってくれる看護師さんの姿に共感し、自分も必ず看護師さんになりたいと思うようになりました。しかし、東日本大震災で母の仕事がなくなり、経済状況が悪くなりました。できるだけ親の力を借りずに奨学金を利用して学校に行きたいと考えています。誰もが予想していなかった今回の震災で我が家も大規模半壊となり、精神的にも大きな衝撃をうけました。

そういった中でも他県からのボランティアの方々からの支援を受け、私も立ち直っていきました。この震災で、普段あまり感じることのできないたくさんの人の優しさ、自分は一人ではなく多くの人のおかげで今があるんだということを初めて気づくことができました。この大槌町の医療機関がすべて被災してしまった中で、医療者の皆さんが被災者に手助けをしている光景を幾度と見ました。もし、自分が今看護師の資格があったなら真っ先に駆けつけて被災した多くの人達を少しでも助けてあげたい!と強く思いました。今回の震災で、私が看護師の道を目指しているのは間違いではないと確信できました。

AMDAの皆さんからの奨学金を受け、必ず患者様の心に寄り添うことのできる看護師になりたいと思います。本当にありがとうございます。

 

人の役に立てる薬剤師になりたい

私は今回被災をし、高校卒業後に医療系の学校に進みたいと考えているので奨学金を応募しました。

私は、高校卒業後に薬学部に進みたいと考えています。薬学を通して多くの人の役に立ちたいと考えています。今回の震災で薬剤師の母と、薬剤師を目指し大学生活を送っていた姉と、薬剤師になる事を勧めていた祖母を亡くしました。このような事があり、より一層薬剤師にならなければいけないと思う気持ちが強くなりました。薬剤師になることで家族のためにもなると考えています。

さらに私は、被災地で見たボランティアの方の姿に心が打たれました。被災者である私たちのために多くの人が行動し助けていただきました。この感謝を返していきたいと考えています。そのために、今回していただいたように、どこかで災害がもし発生したら足を運び、NGOなどの組織などで活動していくことで、人の役に立てる薬剤師になりたいと考えています。

 

夢を叶えたい

今回私が奨学金に応募した理由は、震災があったからこそ、この状況に負けずに夢を叶えたいと思ったからです。父は私をここまで男手一つで育ててくれました。また、今回の震災で自宅が全壊し、大変苦しい経済状況となりました。そのため父の経済的負担を少しでも軽くし、いただいた奨学金を今後の進路活動に生かし、夢を実現したいと思い、今回応募させていただきました。

私は高校卒業後、就職進学をして、まずは働きながら准看護師の資格を取得しようと思っています。そしてさらにその後勉強を深め、最終的に高等看護師の資格をとり、人の命を助けるりっぱな看護師になりたいです。

大槌町ではこの震災により、亡くなった方がたくさんいます。大槌高校に避難してきた多くの方々を見て、とにかく助けたい、自分に何かできないか、と思いました。目の前の命を助けること、患者さんが元気になる姿を見ること、そして一人でも多くの人に笑顔になってもらうことを目指し、自分の夢に向かって努力していきたいです。また、こうしてご支援下さる方々への感謝の気持ちを忘れず、看護師として社会へ貢献していける人間になりたいです。

 

私が「高田」のためにできること

私は将来医師になりたいと考えています。今回の震災で、私は住み慣れた家を失い、母、祖父母、叔母、従姉妹、親友、たくさんの大切な人も亡くしました。震災直後は、これからどう生きていけばよいのかわからず、医師になるという目標も諦めようとしていました。しかし、少しずつ復興に歩み始めた陸前高田の様子を見て、医師になって故郷に帰ってくることで、復興に携わりたいという強い想いが芽生え、もう一度医師を目指すことを決意しました。将来は、患者の病の根源を見つけて治すだけではなく、患者の心のケアもでき、さらに専門をつくらない総合医になりたいです。そして、陸前高田の地域医療に貢献したいと思っています。

震災時に受けた心の傷は、町が復興したとしても癒えるものではないと思います。そのような地元の方々の気持ちが分かるからこそ、私は医師となって故郷に帰り、陸前高田のために働きたいです。

 

私の将来

私は将来医師になりたいと考えています。きっかけは、ある救急患者が受け入れを拒否され、病院をたらい回しされているという現状を報道番組で見たことです。医師がいることの重要さを改めて感じると共に、自分が医療人として人の役に立ちたいという思いが強くなりました。また、3月の東日本大震災では、医師がもう少しいれば助けられた命もあるのではないかと思うと、非常に残念でなりませんでした。

私は幅広い知識と技術を身につけ、総合医として1人でも多くの人を助けたいと思っています。将来的には、生まれ育った大船渡に帰って来て、地域医療を支える医師として街に恩返しをしていきたいです。また、医療の面だけでなく、沿岸被災地の復興にも貢献したいと考えています。

奨学金を自分のキャリアアップのために有効に使わせて頂き、医学部入学に向けて毎日一生懸命勉強し、実現させたいと思います。

 

将来の夢

私は、将来医師になりたいと考えています。それは、病気で苦しんでいる人を助けたいと思ったからです。元々、医師に憧れがあったのですが、震災が起きてから、より強くそのように思うようになりました。遠い所から医療チームが避難所に来て、沢山の人の相談に乗ったり、具合が悪い人がいたら、すぐに駆けつけて処置したりしている姿を見て感動し、自分もそのような医師になりたいと思いました。今は、医師不足が問題になっており、私の住んでいる大船渡市も、医師不足が深刻化していると聞きます。なので、自分が医師になって、少しでも気仙に貢献したいと思います。

医師は、人の命に関わる仕事なので、すごく責任が大きい職業だと思います。その職に就きたいという目標のためにも、これからも広い視野を持って、一生懸命勉強していきたいと思います。

 

将来の夢

私には将来医者になるという夢があります。私が最初にそう感じたのは中学生の頃だったと思います。きっかけは難民の方達の所に行って看病をしている日本人の医者の人をテレビで見たことでした。今私は不自由なく幸せに暮らしているのに世界にはこんなにも辛い状況の人がいて、その人のために頑張っている人もいると思うと心を打たれました。その時から「医者になる」という強い思いが生まれました。

また、今回の東日本大震災のことも思いを強くさせました。たくさんの方が亡くなりました。その人達の分まで今私は生きていると思うと、1人でも多くの人の命を救って幸せにしてあげたいと感じました。

この夢をかなえるために人一倍努力していこうと思います。また、大学の体験入学などに積極的に参加して経験を増やし、より具体的な目標を立てたいです。インターンシップなどにも参加していこうと考えています。