ハイチ復興支援スポーツ親善交流事業を実施(2010/10発行ジャーナル10月秋号掲載) – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

ハイチ復興支援スポーツ親善交流事業を実施(2010/10発行ジャーナル10月秋号掲載)

ハイチ復興支援スポーツ親善交流事業を実施


1月に発生したハイチ地震被災者の精神的なケアと、次世代の人材育成を目的に、AMDAで初めてとなるスポーツ親善交流を、被災地の隣国ドミニカ共和国のサント・ドミンゴ自治大学を会場に今夏実施しました。スポーツ交流の他に、文化交流、青年海外協力隊の活動する村の見学や、帰路にはニューヨーク国連本部内の見学もプログラムされたものです。

在ドミニカ共和国日本大使館四宮大使をはじめとする多くの方々のご尽力の御蔭で、実りの多い事業を無事実施することができました。改めてこの事業にご協力くださいました皆様に心から御礼申し上げます。ここに、この事業に参加した各国の子どもたち、ご協力くださいました方々の一部ご感想をご紹介させていただきます。

事業概要

主 催:特定非営利活動法人アムダ:AMDA
訪問国:ドミニカ共和国(サント・ドミンゴ、サマナ)、アメリカ合衆国(ニューヨーク)
期間及びスケジュール:2010年8月16日(月)出発 〜8月25日(水)帰国
(ドミニカ共和国5泊、ニューヨーク3泊、機中1泊)

【スケジュール概要】

青少年参加者
大阪FC千里中央より14名、岡山県新城村立新庄中学校より2名、広島県福山市立城北中学校より2名 計18名 (中学生17名、高校生1名)

随行者 (敬称略)
AMDAより 代表・菅波茂(出発〜8/20まで同行)、職員/竹谷和子、石岡未和、ヴィーラヴァーグ・ニッティアン、 
現地受け入れ(駐在員):八尾直毅義肢装具士、森田佳奈子調整員
FC千里中央監督 岡元忠彦、事務局 阪下みどり、大阪そねざきロータリークラブ 末田良介、 株式会社JTB西日本 川並和幸

実施協力団体及び個人 (敬称略)
在ドミニカ共和国日本大使館、在ドミニカ共和国ハイチ大使館、サントドドミンゴ自治大学及び学生ボランティアチーム、サンティアゴ科学技術大学ハイチ人医学生・看護学生ボランティアチーム、青年海外協力隊、AMDA名誉顧問・田島幹雄/元国連本部経済政策社会開発部長、大阪そねざきロータリークラブ、株式会社JTB西日本

 

ご挨拶 駐ドミニカ共和国特命全権大使 四宮信隆

この度、AMDAの機関誌10月号としてハイチ特集が発行されることに対し、心からお喜び申し上げます。

 本年1月12日の夕方、ハイチの首都を襲ったマグニチュード7.0の地震は、この街の主要な建物や住宅を崩壊させ、正確な統計がありませんが推定でも20万人以上の人名を奪い、約370万人の被災民を出す大惨事となりました。私はハイチを兼轄する特命全権大使として、地震発生の3日後に現地入りし、以来ハイチとの往復を繰り返し、通算で約7週間彼の地で救援、復興活動に従事しました。

激震のために現地大使館は使用不能になり、事務所のバックアップとなるべき臨時代理大使の公邸も崩壊した中で、我が国も直ちに緊急援助物資の供与、JICAおよび自衛隊の緊急医療チームを現地に派遣して援助を開始しました。各国から続々支援が届く中で、日本からもやがてAMDAをはじめNGOの援助隊も到着し、力を合わせて支援活動に努めました。国連等と協力して、震災後のニーズ調査(PDNA)の実施にも日本から専門家を派遣しました。

そんな時、私はかくも悲惨な状況下でハイチ人の見せる逞しい姿に強い印象を受けました。今回の地震以前からハイチは世界の最貧国として、次々と困難な状況を体験し、それ故に今回の震災もハイチの人々には数々の苦境の一つに過ぎなかったのだと思います。こんな悲しい様子を前にして、私も地震国日本は可能な限りの支援を行うべきだとの強い使命感を覚えました。

3月にニューヨークで行われたハイチ支援国会合において日本政府は支援額を積み増し、総額約1億ドルの支援を表明し、ハイチの復興のために、医療、教育、農業等の分野における支援を行うとともに、最大時で350名の自衛隊工兵部隊等を「国連ハイチ安定化ミッション」に派遣しています。これらの支援は、ハイチ政府・国民だけでなく国際社会からも高く評価されていますが、この国を再建する道のりは気の遠くなるほどのもので、最低10年は必要といわれています。

こうした中、去る8月17〜25日、ドミニカ共和国において、AMDAが日本、ハイチ、ドミニカ共和国の三カ国の青年を集め、スポーツ交流・文化交流プロジェクト「市民社会の参加と人道支援の外交」を行ったことは、極めて時宜を得たことでした。日本大使館は、本件プロジェクトがハイチ復興支援のために有意義であると考え、この企画の実現に全面的に協力しました。

AMDAは、当地のサントドミンゴ自治大学、在ドミニカ共和国ハイチ大使館の協力も得つつ、短期間で準備・調整を進めた結果、本プロジェクトは当地主要紙でも大きく報道され、当地社会に大きなインパクトを与え大成功に終わりました。また、参加したハイチ人青年が、今回のプロジェクトの一環としてあらかじめ日本語や空手の勉強をして、文化紹介の際に片言の日本語を笑顔で披露してくれた時には、こうした草の根の交流が持つ威力を実感しました。

ハイチの未来にはこれからも多くの困難が予想されますが、今回の企画はハイチの未来を担う青年達に勇気や希望を与える上で極めて有益であり、この素晴らしいプロジェクトを実施したAMDAに対し心から敬意を表したいと思います。また、AMDAが現在ハイチで行っている義肢プロジェクトも、今後の国造りにとり極めて重要な支援であり、AMDAの今後のハイチでの活躍を祈念してやみません。

本ハイチ特集を通じ、現在もなお多くの国民がテント生活を送っているハイチの厳しい現状を一人でも多くの方にご理解いただき、引き続きハイチの未来造りに支援をいただければ幸いです。

 

ご挨拶 AMDA名誉顧問 田島幹雄(元国連本部経済政策社会開発部長)

 

ドミニカ共和国でのAMDA主催ハイチ大地震復興支援スポーツ親善交流事業に参加した中学生達14名が帰途、ニューヨーク国連本部、ユニセフ本部を表敬訪問してくれた。連日の疲労も見せず勉強会に精力的に参加してくれたのは立派、日本の子供達には期待が持てると思った。子供達がスポーツを通してハイチ、ドミニカ共和国の子供達との友情を深める事が出来たのは大きな収穫だった。これこそ真の国際交流だ。矢張り国際交流の出発点は個人レベル、草のレベルだという事を改めて悟らされた。子供達には今後とも「スポーツ親善大使」 としてスポーツを通して「平和の文化」をどんどん広めていって欲しい。

国連は政府団体、AMDAは民間団体である。併し国連憲章には世界平和、貧困撲滅の為に一部の民間団体の協力を得たいという項目が含まれている。AMDAの業績がかわれ、国連経済社会理事会がAMDA に経済社会分野での最高の「総合協議資格」("General Status")が与えられ国連会議で議題(項目)の提案、 workingpapersの配布、発言が許されている。医療面だけでなく、人道面、紛争予防面での今後のAMDAの活躍が期待されている。

日本は島国で外を見る努力といっても大変だ。でも外の世界の出来事に関心を持つという事は日本の将来にとって大切な事なのだ。無関心と言う事は世界の人々が抱えている問題や苦しみを理解しない事になる。同時に危機感も持って欲しい。日本程資源、食料、貿易面で外国に依存している国も珍しい。彼等のお蔭で日本はここ迄繁栄出来たのだ。思いやりの心が希薄と言われている。世界の人口の二割に相当する最貧国の人達に対して思いやりの心を持てないのでは世界第三経済大国の日本として情けない。

21世紀は共生の世界だ。他に選択肢はあるのだろうか?全ての人間は平等なのだというところからスタートしてお互いに違いを認めあい、 多様性を尊重し、共生共存の精神を保ち「平和の文化」を促進する事が21世紀の大きな課題、チャレンジである。

 

ハイチ復興支援スポーツ親善交流事業に参加して

 スポーツ親善交流の裏方としてドミニカで調整業務に就いてくれたイバン・イサックさんから


 

私の名前はイバン イサックです。ドミニカ共和国のサントドミンゴに住んでいます。以前から日本文化にとても関心があり、本格的に剣道と合気道を練習しています。

私たちは実施の2か月前から様々な準備をしました。何度もみんなで集まって、イベントに参加する人が充実した時間を過ごせるよう、深夜まで議論を重ねたりと、最後の1週間はストレスピークの毎日でした。

しかし、本番当日はとても素晴らしいものでした。ハイチや日本の子供たち、そして運営を共にしたすべての人々と知り合う機会がもてたことをうれしく、誇りに思います。私はこの事業を通して、困難な状況に置かれた他の国を支援したいという尊い想いを学ぶことができました。とても重要で貴重な時間でした。

このような素晴らしい機会をつくってくれたAMDAには本当に感謝しています。特に、菅波茂代表や森田調整員は私を信頼して、このプロジェクトに協力する機会を与えてくれたことに心からお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。
これからも、世界の国々の人々が友情の絆を強められる今回のような支援を実現するために必要なことをすべての協力者に繰り返し伝えていきたいと思います。心からの感謝をこめて。


【ドミニカ共和国】

ガブリエル ロペス(14歳)

この経験は、僕にとり良い経験になりました。また、日本人の文化を近くで感じ、ハイチ人の子ども達ととても仲良く接しました。

僕たちは最初に日本チームと試合しました。彼らは僕たちドミニカ共和国人と違って、開放的な性格ではないけど、とても親切でした。また、ハイチ人にはとても共感し、ゲームをしました。すべての試合を見てハイチ人の将来的な潜在能力を感じました。日本チームとは将来、協力関係を築きたいです。また、ドミニカでサッカーの試合ができることを楽しみにしています。
 

ルイス フェリペ ロペス(14歳)

僕にとって、この経験はとても貴重なものでした。違った文化を共有でき、また3カ国のチームとの試合から、高いレベルの試合を見ることができました。また、日本チームとは初めて試合をしました。また、この試合ができることを期待しています。

 

イサイアス デ ヘス(14歳)

いままで、これらの経験は、この国の中では一度もありませんでした。他国の子ども達の熟達した試合に参加することができ、これらの友達は親友です。

 

サッカーコーチ ホセ フィーナ(ドミニカ共和国サッカー連盟コーチ)

AMDAスポーツ親善交流事業に参加したことは、私たちにとり、とてもすばらしい経験になりました。スポーツは、人間同士の関わりをとてもよくしてくれます。

それは、とても遠い国の日本の子ども達が、人々に手を差し伸べてくれハイチの人々を元気づけてくれました。それは、ハイチの子ども達へ新しい希望をもたらしたことでしょう。

また、ドミニカ共和国の子ども達へは真実の友愛を示すことができました。


【岡山県】

新庄村立新庄中学校3年 新家夢紬

私は今回ハイチ復校支援プロジェクトに参加しました。サッカーのできない私にとって、ハイチの少年達に何ができたのかわかりませんが学んだことは多く、私にとって生涯忘れられない貴重な体験ができました。特にハイチや世界の現状を知り改めて自分の幸せに気づき、自分にできることは何かと考えるきっかけになりました。ハイチの少年達の心を元通りにすることは難しいけど、笑い合い一緒に過ごした思い出がこれからのハイチを変えてくれることを祈り、これからもハイチや世界のことについて考え続けていきたいです。

新庄村立新庄中学校1年 新家百合絵

元々私はサッカーはあまり得意ではなく、私に本当にできるのかと不安になることもありましたがハイチの少年達の力に少しでもなれたらいいなと思い、参加することに決めました。実際あまりサッカーでは活躍できませんでしたが、交流の面では活躍できたと思います。世界にはハイチの少年達のような子供がまだいると思います。私はこれからも様々な人の手助けをしていきたいと思います。
 


【広島県】

福山市立城北中学校1年 小山諒祐

ドミニカ共和国でのサッカーの試合について、初日最初にハイチのチームと試合をしました。ハイチのチームは、負けていても下を向かず、ずっと笑顔でサッカーを楽しんでいて、とても上手かったです。試合は、日本チームが勝ちましたが、内容は日本チームが少し押されていました。それは、慣れない暑さに体力を奪われたからだと思います。僕は、ハイチとの試合が終わると、頭が痛くなりドミニカ戦には出ることができませんでした。2日目は、3カ国の混合チームで試合をしました。試合中も言葉は通じなかったけれど、だんだんと気持ちが通じ合えてきた気がしました。スポーツの力はすごいと改めて感じました。

いっしょにサッカーを楽しんだハイチの人たちと別れるときがきました。その時、ハイチの人たちは「帰りたくない」と泣いていました。その理由は、国へ帰っても家がないし、テントでの生活が待っているからだと言いました。

僕は、この涙を見て、今からでも何かできることがあれば、すすんでしていこうと思いました。ハイチの人たちも国に帰ったら皆に少しでも元気を分けてあげてほしいと思います。

訪問先で、いろんな方から話を聞かせてもらいました。そして、ハイチに在住し、義足作りで支援している八尾さん、交流会を支えてくれた森田さんからもたくさんの事を教えられ、改めてAMDAの支援活動について知ることができました。この交流会を支えてくれた人たちにとても感謝しています。

僕は、このような経験から貧しい国のことをたくさん学べたし、外国の人たちと交流することは大事だとわかりました。この貴重な経験をむだにしないように、これから自分に何ができるかを考えていきます。そして何年か先、大人になったハイチやドミニカの人たちとまた会い交流していきたいです。
 

福山市立城北中学校 田坂憲宏

 僕が今回のプロジェクトに参加したのは、今まで街頭募金活動という形でしか被災国の助けをしたことがなかったのでサッカーを通してハイチの人たちを元気づけられたらいいなという思いからでした。サッカーを通してハイチの人たちを元気づけられたことはもちろん、三ヶ国のみんなと一つになってボールを追い、国の違いなど関係なく楽しむことができたことでサッカーのすばらしさを改めて感じました。

 また、ハイチの現状を聞いて、家を失いブルーシートで囲んだテント生活や2キロも歩いて水汲みに行くなど自分の想像以上の生活に驚きました。青年海外協力隊の活動の視察や国連本部の訪問を通して、まだまだ世界には自分の知らないことがたくさんあるなと思いました。

 ハイチは貧しい国といわれているけれどみんな一生懸命頑張っていて、僕も自分のできることから、募金活動に参加するなど普段から積極的に支援活動に参加していきたいです。

 今回の経験を通してみんなと仲良くなれたこと、知らない世界を知ったことなど得たものは大きかったです。AMDAの皆さまありがとうございました。
 


【大阪府】

FC千里中央 安達 光

このドミニカ遠征で自分にとって一番成長に繋がったことは、ハイチの子やドミニカの子達と交流したことによって日本を客観的に見れるようになったということと、アムダの皆さんを見ていて自分も将来海外で仕事をしようという目標ができたことだと思います。そして、このドミニカに行った経験と、この時に感動した気持ちを忘れずに将来海外で仕事をするときに活かせればいいと思います。またこれがきっかけで海外で仕事をするようになって世界に少しでも貢献できるようにすることがこのプロジェクトに関係して下さった方々に対しての小さな恩返しになればいいと思います。アムダの皆さん、ありがとうございました。

FC千里中央 下別府健太  

僕は最初ハイチの子達と仲良くなれるか心配だった。でもそんな心配は必要なかった。

ハイチの子達はとても陽気で初めて会った日に僕達の部屋に遊びに来てくれて一緒にお菓子を食べたりした。

また、サッカーの三カ国混合チーム戦では点が入ったら皆でハイタッチをした。皆がとても明るいのが印象的だった。もう一つ心に残ったのは国連本部を見学した時の元国連の田島さんの「今は気づかないだろうがいつか視野が凄く広がっていることに気付くはず」ということばだ、僕はまだわからないけどそうなったら嬉しい。
 

FC千里中央 監督 岡元忠彦

このプロジェクトを知らされた時はスケールが大きく驚くばかりでしたが趣意である「市民参加型人道支援」が私のポリシーの「サッカーを通じた幅広い人間性の育成」に通ずると確信し参加させて頂くことにしました。

大会初日は長時間の移動の時差、寝不足と異国の緊張との戦いでした。選手を叱咤激励…と言うより脅しに近い言葉とAMDAスタッフの優しさで徐々に気負いや照れも消え、交流の輪が拡がり始めました。その光景には思わず「来て良かった、もっと頑張って輪の中へ入り込め!」と欲張ったことを考えてしまうほどでした。

翌日の3カ国合同チ−ムとスタッフチームの対戦は『笑顔笑顔』の素晴らしい時間でした。凡年のサッカー人生でこの感動は初めてのこと。本来の「スポーツ」の意味を大いに考えさせられることになりました。

そして日本大使館での四宮大使、国連見学での田島先生の貴重なお話を頂くなど選手達は特別で有意義な10日間を過ごしました。

また今回の旅で人の温かさを感じ、全員元気に帰国することができ安堵していられるのはAMDA菅波代表を初めスタッフの方々、関係者の皆様のお陰と心より感謝しております。


青年海外協力隊 松本佳奈 21-2次隊 村落開発普及員 ドミニカ共和国

ハイチプロジェクト担当の森田調整員が、以前に青年海外協力隊としてドミニカ共和国で活動していたご縁で、子供たちの健康管理、食事やホテル滞在時のお世話、通訳のお手伝いをさせていただくことになりました。

ハイチの子供たちは何事にも一生懸命。サッカーをしている彼ら、文化交流会でハイチの紹介をしている彼らは堂々としていて、本当にたくましく、地震の被災者であるということを感じさせませんでした。

子供たちの交流に言葉はいらない。言葉は通じないのに、みんな楽しそうに交流していました。

今回の経験が、3ヶ国の子供たちの将来にいい影響を与えてくれることを願っています。