ハイチ緊急救援活動に参加して(2010/4発行ジャーナル4月号掲載) – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

ハイチ緊急救援活動に参加して(2010/4発行ジャーナル4月号掲載)

ハイチ緊急救援活動に参加して

特定非営利活動法人AMDA社会開発機構 調整員 鈴木 梓

ラス・アメリカス国際空港へ降り立つと、そこで再会を喜ぶ多くのドミニカ共和国の人々からは今回の地震の影響は全く見られず、同じフライトで到着した他国からの支援団体グループが、緊迫した表情で大きな荷物を抱え移動する姿を目にして身の引き締まる思いがしました。ハイチの空港が閉鎖されたために急遽変更したドミニカ共和国首都サントドミンゴで私にとって初めての緊急救援活動が始まったのです。

2010年1月12日(現地時間)、ハイチで発生した大地震による被害を受けて、医師・看護師各1名、私を含めた調整員2名が第1陣として派遣され、1月16日にサントドミンゴへ到着しました。1日の準備時間を経て、18日には私を除く3名がハイチ国内サンマルクへ移動後、医療活動を開始し、ロジステック拠点としたドミニカ共和国に残った私は、AMDA本部や現場との連絡調整、後続医療チーム受け入れ態勢確立をはじめとした後方支援活動を進めていくことになりました。

現場に入り被災者の方々と直接関わる活動ができない私はもどかしい思いもしましたが、反対に、隣国から客観的に活動を見ることができました。また各国から参加した医療チーム一人一人を受け入れることにより、彼ら彼女らの人となりを垣間見ることができ、その初めて顔を合わせたメンバーたちをAMDAチームとして現地へ送り出す、という興味深い役割を担うことができたのは貴重な経験だったと思います。

海外で活動する際には常に感じることですが、特に今回の緊急救援活動では、11日という短期間で非常に多くの人々に支えられ、人との繋がりの重要性をより強く実感しました。日本および海外からのネットワークがどんどん拡がり、直接面識のなかった方々が次々と協力を申し出て下さいましたし、スペイン語を解さない私の単語、絵、身振りによる「訴え」をドミニカ共和国の人々は辛抱強く理解しようと努めてくださいました。全く見知らぬ国であるドミニカ共和国に一人残った私にとって、こういったご支援は非常に心強いものでしたし、渡航前準備期間がほぼ確保できない緊急救援活動においては、このようなご協力なくして活動は不可能であることも学びました。今後も、人との繋がりを大切にし、「困った時はお互いさま」の気持ちを持って国際協力活動を続けていく中で、回り回って今回助けてくださった方々に恩返しができればと思います。