チリ地震:乳幼児支援プロジェクト(2010/4発行ジャーナル4月号掲載) – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
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国連経済社会理事会総合協議資格NGO

チリ地震:乳幼児支援プロジェクト(2010/4発行ジャーナル4月号掲載)

チリ地震被災者緊急医療支援活動  「乳幼児支援プロジェクト」

第2のふるさとチリでの地震を通して

   看護師 大和 玲子(派遣期間:2010年3月14日〜4月2日)


 プロジェクト実施チーム(前列左:筆者)

2010年3月14日(日)15時 成田を出発し、チリ時間で3月15日(月)早朝6時に首都サンティアゴに到着する。今回は、チリ地震緊急医療支援第2次チームとして赴任させていただいた。

チリは、日本から、直線で1万7千万キロも離れた、地球の反対側にある。私が、初めてチリに来たのは、丁度3年前。JICAの青年海外協力隊の看護師隊員として、派遣された国である。チリに初めて降り立ったときの感想は『すごい、大きな都市』、首都サンティアゴは、地下鉄や高層ビル街があり、一目で経済活動が活発であることが分った。北部は銅の資源に恵まれ、中部はチリワインの産地、南部はサーモン養殖(現在はウィルス感染により閉鎖されているところが多い)、とても日本と結びつきが強い国である。

2010年2月27日午前3時34分、マグニチュード8.8の地震が発生。たまたまニュース速報でこの事実を知ったとき、体が震えたのが今でも忘れられない。私が以前住んでいたところは、第8州ビオビオ県ニンウエ村(コンセプシオンから北西95km、車で2時間の所)で震源地がとても近い。(震源地は第8洲コンセプシオンから北北東へ115km)脳裏に、チリの家族、友人、配属先であった診療所のスタッフの顔が浮かぶ。チリは、ここ数十年で経済的に急成長をしているものの、依然地方と都市部との格差があり、私が2年活動していた地域も、人口5500人の村で決して経済的に豊かな地域ではなかった。そのような地方には、アドベと言われる土レンガの出来た古い家がまだ残っており、今回の地震で建物が倒壊しているのは、このアドベの家がほとんどであった。震災後、5日経ち、ようやく携帯の電波もつながり始め、電話で直接安否を確認することが出来た。そのころ、AMDAで第一次チームが出発していたことを知った。『どんなカタチにせよ、チリの人々に恩返しがしたい』日本で義援金活動を始めようとしていた出発の4日前の3月10日に、2次チーム派遣にAMDAよりお声をかけていただいた。何よりも、今回のAMDAの緊急プロジェクトの対象が、乳幼児という点で、今回のプロジェクトに参加できるというすばらしい機会にめぐり合うことができたことに感謝している。

首都サンティアゴにて、3月15日 第一陣でチリ入りしていた森田調整員、AMDAペルースタッフのアウグスト氏、日本からの第二陣メンバーの石岡看護師と私、あわせて4名のメンバーが初めて対面した。余震も続く中、森田調整員から調査状況を聞いた。3月15日から首都サンティアゴにて物資調達開始。首都サンティアゴは、地震から2週間が経ち、古い教会の倒壊姿があるものの、人々は、日常の生活リズムを取り戻しつつあるように見えた。が、被災地コンスティツシオンは、震災から20日経っていても、瓦礫も残ったままのエリアも多く、まるで震災後時が止まったかのように感じられた。急性期は過ぎたように感じるものの、以前のような港、観光地の活気は無い。

今回の物資配給と同時に行った乳幼児健診では、地震の影響による低栄養状態の乳幼児は少なかった。しかし、夏の時期の水不足、震災後の衛生面を考えると、感染なども懸念されるので、3月25日には診療所スタッフ、チリ国内の緊急医療隊、AMDAと手洗いビデオを主とした手洗い講座を実施した。このビデオは、一緒に同行していた石岡看護師の作品でとても分りやすく、たのしく歌って踊りながら学べる教材である。石岡看護師から「震災後だからこそ、このような笑いも大切だと思う」その言葉に心打たれた。

今回のプロジェクトは終わったが、震災後の人々の心の痛みを癒すには、もっと時間がかかる。私が以前住んでいた村の診療所の救急室での出来事。小さな余震が続き、大きな余震後、一人の女性がやって来た。パニック状態に陥っており、一人で歩くのもやっとの様子。家族に付き添われながら、泣いていた。鎮痛剤投与後、家族と一緒に帰宅。私は、胸が詰まる思いだった。これからやってくる厳しい冬のことを考えると、一刻も早い復興を願わずにはいられない。今回のチリ地震緊急医療支援活動をひとつの節目とし、これからも私の第二のふるさと、チリの復興にかかわっていきたいと思っている。いつまでも寄り添うこと。物質的な緊急援助ともうひとつ大切だと感じている、寄り添う心、いつまでも励まし続ける心は、チリを去っても、忘れずに持ち続け、行動していきたい。

今回、このようなプロジェクトに参加し、新たに多くの人々との出会いがあった。心から、その出会いに感謝しています。本当にありがとうございました。