インドネシアのたくましさ、温かさに触れて(2010/1発行ジャーナル1月冬号掲載) – AMDA(アムダ)
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国連経済社会理事会総合協議資格NGO

インドネシアのたくましさ、温かさに触れて(2010/1発行ジャーナル1月冬号掲載)

インドネシアのたくましさ、温かさに触れて

 医療法人アスカ会作業療法士 光島 宏美
(派遣期間10月1日〜8日)

 


日本人医師の通訳に奔走する光島調整員

 青年海外協力隊で2年間過ごしたマレーシアに久しぶりに旅行に行って帰ってきたその日の夕方、普段はつけないテレビをふっとつけてみた。「インドネシア・スマトラ沖で地震、ホテルの下敷きになり死傷者多数‥・」テレビには3階建てのホテルが1階建てに見える状態に崩れている映像が映った]私のいたマレーシアと隣の国、インドネシア大丈夫かな‥」という気持ちだった。

 翌朝、久々に仕事場に顔を出した私に、AMDA代表(アスカ会理事長)より、「光島さん、インドネシアで地震があったから行ってきてください」と。そして、午後2時には岡山から関西空港へ旅立っていた。海外での災害救援に携わるのはこれが初めての経験となった。

 インドネシアに到着したのは地震発生から3日後の10月2日。日本からの第1陣隊である津曲医師と医療調整員で作業療法士の私を迎えてくれたのは、懐かしい熱帯の風とインドネシア支部の医学生らであった。翌3日にジャカルタからスマトラ島に渡り、被災地での活動を開始した。インドネシア支部チームは地震発生直後から現地で手術応援を行っていたため、私たちは効率的に援助を行うためにも、地元のNGOとともに、町から少し離れた村で巡回診療することを想定し、調査を行った。

 村はレンガ造りの家がほとんどであるため、レンガが崩れ、家が倒壊していた。村人たちは家の前にかき集めた洋服などでテントを張り、その下で寝泊まりしていた。イスラム教のモスクを拠点として、地震救援センターが設置されていて、日中はそこへ村人が集まっていた。

 巡回診療では木陰にビニールシートを敷き、あぐらをかいて座り、診療した。私の役割はインドネシア語の通訳である「どうしました?どこか痛いところはありますか?それはいつから?・・・」などなど次から次に訪れる村人たちは後を絶たず、終了時には私の声は枯れていた。地震の影響で電気、水が来ていない状態の村では日中の診療が限界であった。しかし日が暮れても、村人たちは暗い中、ランプをつけ、薪で火をおこし私たち医療チームのために夕食まで用意してくれた。インドネシア特有の香辛料のたっぷりきいた食事でお腹がいっぱいになった。そしてそれ以上に、村人の温かいもてなしに、感謝の気持ちで胸もいっぱいになった。

 私はいつも東南アジアの人々の人間力に驚かされる。日本の中だけにいたのでは気づけない、人間という生物が本来特っている「生きていくための力」をかれらから学ぶ。地震で家が壊れれば、寝るところを自分たちの知恵で作る。食べ物がなければ分かち合う。学校がなければ落ちている石ころで友人と遊ぶ。隣近所で、「みんな無事か」と、情報を共有する。当たり前のことを当たり前に行なっている。日本人が同じ環境に立だされた時、人間力は確実に彼らに劣るであろう。

 10月5日には日本からの第2陣の医療チームも到着し、より大きな医療チームで村の巡回診療を精力的に行った。途中で、医薬品の確保など被災地現地では困難な場面にも直面したが、インドネシア支部チームのネットワークを活用し、乗り越えられた。インドネシア支部チームとの情報交換も医療調整員の大きな仕事の一つであった。日本チームとインドネシアチーム双方のよいところを出し合い、効率よく活動できるように話し合いを重ねた。昼間は診療、夜は情報交換と寝る間も惜しんだ現地での4日間であった。

 現地を出る前に、どうしても見ておきたかった場所へ行った。日本を旅立つ前にテレビでみたホテルである。地震から4日たったホテルの前には、マスクをしたレスキュー隊、報道関係者がひしめき合っていた。なぜ彼らがマスクをしていたか、車を降りてすぐにわかった。何とも言えない異臭‥・日中30度を超える気温の中、レスキュー隊の必死の捜索の前にも見つけることのできていない人たちが瓦蝶の下にいることを証明していた。テレビで映し出された映像の真の姿をその時はじめて感じた。地震で壊れた建物としか映っていなかったものが、人の命として映し出された。現場に行くという意義を肌で感じた。

 今回、災害救援に参加できたことは、私にとって非常に貴重な体験になった。災害救援の現場を体験し、インドネシアの人々のたくましさに触れ、命とは何か、生きるとは何か、を改めて考える機会となった。この実体験から得たものを人に伝えていくことが必要であると強く感じた。帰国後、早速、インドネシアの民芸品販売を通じて地震の現状を伝えたり、中学生に今の自分の人生を自分らしく生きてほしいことを伝えている。小さなことでも人の役に立てることがあれば積極的に関わっていきたい。そのように自分の人生を送ることで、生きたくても生きることができなかった人へ私なりに敬意を表したいと思う。最後に、このような貴重な体験をさせてくださった皆様と、遠くから見守ってくれていた皆様に御礼中し上げます。本当にありがとうございました。