イタリア地震緊急支援活動に参加して(2009/7発行ジャーナル7月夏号掲載) – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

イタリア地震緊急支援活動に参加して(2009/7発行ジャーナル7月夏号掲載)

イタリア地震緊急支援活動に参加して

AMDA多国籍医師団上級顧問内科医 津曲 兼司


協力団体UNITLASIのスタッフと
余震発生頻度を確認する津曲医師
 

 突然、イタリアに行くことになりました。4月9日にAMDAから派遣依頼があり、10日午後出発。あわただしい旅の始まりです。

 4月6日午前3時32分(現地時間)、ローマ郊外のラクイラ県で地震があり約300人が死亡。民間協カプロジェクトの医療ニーズの調査と調整をするミッション。

 キャセイ航空、香港経由ローマ行きの便で、約20時間かけて、11日早朝、ローマ着。その日の内に現地協力団体UNITALSIの車で被災地に到着しました。災害対策本部となった警察学校の体育館に毛布だけで2泊。足掛け3日駆けずり回りました。

 最も被害の人きかった旧市街。中央に教会と広場があり放射線状に石畳の細い道が続きます。-般の立ち入りは禁止されているのですが、複数の消防士の先導の下、特別に視察許可がおりました。数日前まで人が住んでいた崩壊した住宅街、崩れ落ちた教会や市庁舎、落石で陥没した沢山の車。自然の驚異は歴史までも飲みこみました。瓦礫に埋もれた家族のアルバムなど、生活のにおいが心にしみてきます。雨に当たらぬよう、瓦礫の隙間に戻しました。視察途中、震度3の余震発生。何が落ちてくるかわからないですから、少し怖かったです。道の中央で消防士が外側に立ち、私たちを守るように円陣を組みました。

 総計約1万7千人が避難するキャンプをいくつか訪問。避難民の方々ともお話しました。その殆どは、日本人と話すのが初めてでした。やはり、官では把握できない小さいけれども重要な要望を沢山伺うことができました。

 地震で機能しなくなった大学病院の入院患者は周辺病院に送られ、病院の駐車場にはエアーテント入院棟が仮設されています。ちょうど復活祭に当たり、約100人の入院患者さんにはラザニアなどのごちそうが振る舞われました。なんと、各テーブルにはワインも!

 急性期は終わり、亜急性期やリハビリ期に向かおうとしているところ。高齢者や子供、身体障害者や外国人など災害弱者に対する援助をUNITALSIと協議しました。

 地震国日本とイタリア。先進国同士ですが、対応の違いは見られます。イタリアの新聞で報道されたせいか、日本の耐震基準の厳格さはみんな知っています。今回の地震もM6.3と日本ではあまり大きくない地震です。この地震が日本で起これば、これほどの死者や負傷者、家屋の倒壊は避けられたはずと皆言います。耐震技術の指導や援助など地震への事前対策協力は日本にもできる分野です。反対にイタリアが優れていたのは、キリスト教に裏打ちされた宗教団体の組織的活動と、非常に精緻に整備された地方自治体単位の自動的な活動です。AMDAの掲げる“困った時はお互い様”の精神が満ち満ちていました。地域が崩れつつある日本、積極的に見習わなければいけない点です。

 15日には関空に帰還、あわただしい旅でしたが中身の濃い日々でした。最終的に協力団体のUNITALSIに義捐金をおくる形での支援となりましたが、未来への指針はできました。日本とイタリア、自然災害の際には相互協力できる体制を整えると共に、他の国での災害時にも互いの長所を出し合い国際協力を進めること。今回の活動はその端緒になったのではないかと思っています。

 でも、驚いたのはイタリア人が意外と英語を話せないこと。日本人とどっこいどっこいじやないかなと思います。そして、思いもよらずイタリア人が非常に謙虚だったこと。田舎の人は日本人より素朴で親切だと思うところも多々ありました。非常に頼もしい存在であると共に、将来よきパートナーとなれる可能性を確信します。