「特定非営利活動法人AMDA社会開発機構」の設立に向けて(2007/4発行ジャーナル4月春号掲載) – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

「特定非営利活動法人AMDA社会開発機構」の設立に向けて(2007/4発行ジャーナル4月春号掲載)

「特定非営利活動法人AMDA社会開発機構」の設立に向けて

 
事業担当理事 鈴木俊介

 この度、特定非営利活動法人アムダの姉妹団体として「特定非営利活動法人AMDA社会開発機構」を設立することになり、現在法人化の手続きを行っています。これまで中長期事業、主に社会開発分野の国際協力を手がけてきた海外事業本部を分離させ、同分野における専門性を高め発展させていくことを意図しています。特に途上国における貧困削減に焦点を当て、医療・保健・衛生分野以外にも、教育、農林業、小規模インフラ整備、マイクロファイナンスなどの分野の活動を可能な限り交え、参加型手法を活用しながら、包括的なコミュニティー開発支援を担い得る組織を築いていきたいと考えています。誌面は限られておりますが、今回は、団体名の一部をなす「社会開発」について説明差し上げることにより、設立趣意をご理解頂きたくお願い申し上げます。

 読者の方々は、アムダがこれまで緊急救援型の短期事業と同様に、復興支援・開発支援型の中長期事業を実施してきたことをご存知のことと思います。短期事業の典型例である緊急救援事業は、災害・紛争などが発生した際に生存の危機に瀕した被災者、被害者の方たちの「命」を救い、また傷を受け、疾病を患った「身体」をケアする活動です。一方、長期事業の典型例である社会開発事業は、貧困などの社会経済的ハンディを負った人たちの「生活環境」を回復、改善するお手伝いをすることにより、人々の「生活」をより豊かにする活動です。比喩的表現を用いると「命に明かりを灯す」活動であるといえます。ただ「豊かにする」と言っても、その概念は、日本に居住する一般の方が持たれるものとは大きく異なります。例えば、自宅から一時間かけなくても飲料水が確保でき、病気になった時には徒歩で3時間歩かずとも医薬品を入手することができ、せめて月に3度は家庭の食卓に肉料理が並び、夜には裸電気に明かりを灯すことができるというような生活を意味します。また小学校の先生が村に常駐してくれ、5割以上の児童が卒業できる、あるいは、乾季にも小規模ながら野菜を植えることができる、水源を保護するために森林の伐採を制限することができるようになる状況を言います。

 日本では、豊かな生活を支える基盤を公共投資なり公共サービスが担ってくれています。しかし開発途上国では政府の統治能力(ガバナンス)が十分でなく、また各種の経済資源が国富を蓄積するために有効活用されていないため、自己資金による投資の規模や公共サービスが届く範囲も限られています。さらに、高い経済価値を生み出す産業は先進国に偏在しており、多くの途上国はその消費者としての位置づけから(少なくとも短期的には)抜け出すことができない枠組みが敷かれています。それ故、こうした彼らの困難な状況が、先進国の豊かさを維持するための代償として一部強いられていることも見逃すことができません。結果として、途上国の農村に居住する多くの人々は、最低限の教育や医療サービスを享受することができず、また生計の向上に必要な経済資源へのアクセスも限定されていることから、(先進国では飽食の時代と呼ばれる時代に)自己の生存と生計を維持することに精一杯の状況が続いています。

 貧困は悪循環を伴います。簡単な例を挙げますと・・・教育を受けることができない→健康に関する知識を身につけることができない→病気に罹る→仕事を休む→現金収入が減る→子どもが働かなければならない→子どもが学校に行けない・・・というような悪循環です。貧困を解決するためには、その循環を招く悪要因の連鎖を断たなければなりません。上述しましたように、途上国における中央・地方の政府レベルにおけるガバナンスの問題、それに付随する課題の解決が何よりも重要です。しかし同様に、(ガバナンスの問題解決には長い時間が必要になるため)各コミュニティーにおける目の前の問題を、住民の自助努力によって解決することも重要であると考えます。

 「社会開発」という言葉を万人が納得するかたちで明確に定義することは容易ではありませんが、簡素化し過ぎであるとの批判を覚悟して、敢えて以下のように分かりやすくご説明したいと思います。社会開発とは「社会の様々なレベルにおいて、関係者が手を携え、内外の資源を持ち寄り、貧困削減に向けた取り組みを行うこと」であり、そうしたアプローチを通じて「貧困の原因となる様々な分野にわたる悪要因の連鎖が自助努力により切断され、自己と自己が属する社会が肯定的な変化を発現するプロセス」であると言えるでしょう。ちなみに「貧困」とは経済的な側面のみを表すものではなく、基本的な人権やベーシックヒューマンニーズ(BHN)などがある程度保障された社会に通常存在する基礎条件、生活環境の一部的又は包括的な欠如を意味します。

 ここで「社会」という言葉について、開発協力という側面から触れてみたいと思います。「社会」とは一定の広がりをもつ地域に、価値観、法律、文化、宗教、言語、慣習など、何らかの共通項をもつ人々が集合する共同体だと考えます。そうした共通項が多ければ、構成員同士の関係は濃密となり、共通項が少なければ少ないほどそれは希薄なものとなります。濃密な人間関係を持つ社会は時に有機的社会と呼ばれることもあります。その中には、外部の人には見え難い上下関係と横の連帯関係が複雑に絡みあった人間模様が存在しています。「社会」という単語を英訳すると通常「Society」になりますが、共通項を持つ、あるいは特定の課題を共有する集団という観点から、むしろCommunity(コミュニティー)という言葉の方がしっくりするのではないかと思います。日本においてもそうですが、コミュニティー内の人間関係は、田舎や下町などへ行くほど濃密で、都会や新しく開発された地域へ出ると希薄になるのが一般的です。途上国の農村では、今も村中の家族が親族関係にあるというところも少なくありません。社会開発の分野では、そうした人間関係を財産(アセット)と捉えています。通常ソーシャル・キャピタル(社会資本)というと、社会インフラのことを指す場合が多いようですが、農村に見られるこうした人間関係が、無形の社会資本と呼ばれることもあります。先日バングラデシュに本部を構えるグラミン銀行のムハマド・ユヌス氏が、貧困削減に貢献したとしてノーベル平和賞を受賞されましたが、マイクロファイナンスなどはこうした人間関係を担保として資金を貸し出しているのです。

 さて、少々回り道が長くなりましたが、社会開発事業に取り組むNGOには、こうしたコミュニティー内に存在するソーシャルキャピタルや環境資源などのリソースに加え、リスクファクター(危険要因)などを多角的に分析する力、それらを住民によって認識、活用、又は回避してもらうためのノウハウ、そして一つ一つの活動が容易に進まない環境の中で、事業を成功に導く運営能力などが求められます。反面落とし穴もたくさんあります。例えば、財政的制約から、上述したリソースやリスクファクターを十分分析することなく事業が開始されてしまうことがあります。そのような場合、事業開始後に様々な問題を克服しなければなりません。また事業が開始されると、対象となったコミュニティーには、資金や物資などの外部リソースが持ち込まれますが、それは時に既存の人間関係を壊してしまうような争いの種を持ち込むことを意味する場合があります。また支援をする側の人間は、手持ちの資源をすぐにでも提供したいという衝動に駆られることがありますが、対象となるコミュニティーの潜在能力を引き出さない前のそうした行為は、「敗北」を意味します。さらに、事業対象地域の住民には歓迎される事業であっても、微妙な政治環境下にある地域であれば、中央政府の協力が簡単に得られない場合もあります。そもそも途上国において開発が遅れ、貧困レベルが高い地域というのは、その歴史的背景に政治の色合いが強く反映されているものです。従って、社会開発に取り組むNGOには、文化人類学、政治経済学、社会学など様々な分野における知見と、その現場への応用力が求められます。一方、こうした知的・技術的要請に応えることができないNGOは、国際協力というマーケットにおける存在価値を持つことができません。

 日本国内の景気回復に今ひとつ実感が伴わず、また政府のODA予算が全体として下降線を辿る昨今、少々分かり難い社会開発事業をアムダが今後も実施していくのであれば、これまで以上の努力が必要です。この10年間、日本国内だけでもおそらく何百という新しいNGOが誕生したと思われます。こうした環境下、社会開発分野における質の高い仕事を行っていくためには、高度な専門性と事業実施能力を伴った組織を新たに生み出し、その成果を既存の、そして潜在的な支援者、協力者の方々に伝えていく必要があると認識してまりました。これまで通り、一つの団体が二足のわらじを履くことも可能ですが、組織を取り巻く外部環境が大きく変化する中、社会開発分野の趣旨に照らし、事業をより体系的、効果的に運営し、またその成果に対する責任の所在を明確化することも重要であると考え、新団体を設立するに至りました。ただ今回の組織分割は、アムダが現在実施している中長期の既存事業を「承継」するかたちで行われるため、アムダグループ全体で見たときに、大きな変化をもたらすことはありません。NPO法人として認証を受け、本格的な活動が開始された際には、その内容に関して改めてお知らせしたいと考えております。本誌読者の皆様には、本件に関する一層のご理解とご協力をお願い申し上げます。