スリランカ ワウニア県基礎保健サービス復興支援事業
2年間の活動を終えて |
AMDAスリランカ 添川 詠子(事業統括)
|
2004年5月から2006年5月までの2年間、JICA(独立行政法人国際協力機構)の協力を受け、スリランカ国ワウ ニア県において、「基礎保健サービス復興支援事業」を実施してきました。過去のAMDAジャーナルでも事業の紹介をさせて頂きましたが、本号ではこの2年 の活動の軌跡を私自身の感想も含め、ご紹介したいと思います。 | 内戦で壊された建物 |
|
スリランカの地域保健医療
スリランカの地域保健医療というのは、日本の地域保健医療と類似点が多く見られます。日本の「保健所」を想像して頂けると、理解しやすいと思います。保 健所長は医師であり、環境衛生監視員により地域環境衛生や食品衛生が保たれ、保健師により健康診断、子供の予防接種、家庭訪問などが行われているのが日本 のシステムです。 |
地域住民への質問調査 |
|
事業の成り立ち
このスリランカの地域保健医療を担う重要な保健所の機能が、スリランカ北東部においては、内戦によりほとんど機能していない状態でした。LTTE支配地 域には保健所職員といえ政府の職員が立ち入ることは難しく、また、交通も制限されおり、公共交通機関も機能していないため、街の中心部以外の場所に行くの はとても大変でした。助産師や環境衛生管理士の数も定員の3分の1もしくは4分の1以下しかいませんでした。健診も限られた場所でしか行うことができず、 また、妊産婦の健康を守る上で大変重要とされていた訪問指導もほとんど行われておらず、村の中ではほとんど医療に関して教育を受けたことのない保健ボラン ティアがかろうじて村の妊婦の数を把握し、健診に行くように指導している程度でした。 |
||
「ワウニア県基礎保健サービス復興支援事業」
この事業は大きく二つの部分に分けられます。一つは保健インフラの整備で、もう一つは人材育成です。 |
助産婦へのワークショップを行う筆者 |
|
その点を問題視したAMDAと県保健局では、タミル語・シンハラ語で実施する研修を組み、また、地元の人材を講師として使うことを心がけました。特に助産 師の研修においては、地元医師から研修を受けることにより、医師・助産師の連携を深めることを一つの目標とし、また、その研修をうけた助産師が、次は保健 ボランティアを教えることにより、助産師・ボランティア間の連携を深めるということも目標としました。 本事業で行われた研修の目的は、助産師や医師の一人一人の能力を高め、医療従事者間の連携を強化することですが、最終目標は、研修を受けた人々が、その 成果を地域住民に裨益させていくことです。研修により高められた知識や技術を最大限に利用し、地域で治療や予防活動として実践する、ということです。その ため、研修のフォローアップに特に力を入れ、数々の地域活動にAMDAも参加してきました。AMDAは直接地域活動は行わず、助産師やボランティアの活動 を支え、その活動の結果を話し合い、次の戦略を練ることに協力してきました。モニタリングや評価を県保健局に伝えるなどし、助産師や医師が自発的に活動し ていける仕組みを作ってきました。 事業の成果 上述の活動が功を奏し、助産師による地域活動は活発化し、特に地域の周産期女性の母子保健に対する知識の向上が見られました。また、彼女らの行動にも変 化が表れ、より予防的な行動をとるようになりました(当団体質問調査より)。地域での輸送、搬送システムも改善し、ワウニア県の周産期死亡、乳幼児死亡共 に減少が見られました。地域での家庭分娩は激減し、地域病院の利用率の上昇、総合病院の一極集中も事業開始前と比較し、10%の減少がみられました。 事業実施における困難・・・ 事業を実施していて、一番難しいと感じたことは、助産師や、地域病院で働く医師の意識改革です。彼・彼女らの多くは「一生懸命働いたところで、誰にも評 価されない。たくさん働くだけ損だ」という考えを持っていました。また、「村の人たちは無知だから、一生懸命教えたところでたいした結果は出ない」という 考え方も根強く残っていました。助産師や地方病院の医師らの待遇はけっしてよいものとは言えず、また、地方病院医師においては、ワウニア県で働くことは、 ある意味「島流し」的にとらえており、仕事に対する意欲は低いものでした。配置された直後より次の就職活動を始め、半年もたたないうちに他県へ移動してし まった医師が6割を超えます。 2年間を振り返って この2年間を通し、事業の成果を出したいと、一生懸命がんばってきました。反面、事業を実施しながら、常に「本当にこれでいいのだろうか」という疑問も 持ち続けてきました。私たちにとっては2年間ですが、地元の人々にとってそれは長く続く毎日の中のほんのひとときでしかありません。私たちが持つ「この2 年間での成果を」という考えと、地元の人々の事業に対する取り組みかたは全く違ったものです。 どこの国でもどんな人々も「健康になりたい、健康でいたい」という気持ちは変わらず持っていると思います。治せる病気を治すこと、死ななくてもいい病気 で死なないこと、飢えをなくすこと、それらに向かって活動していくことは、やはり「意味あること」だと思っています。 |