東日本大震災 冬季AMDA医療ボランティア被災病院派遣報告 – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

東日本大震災 冬季AMDA医療ボランティア被災病院派遣報告

2011年度冬季AMDA医療ボランティア被災病院派遣事業報告[pagebreak]

2011年度冬季AMDA医療ボランティア被災病院派遣事業

(2011年12月5日〜2012年1月31日)

AMDAは、東日本大震災から3年間(夏季・冬季・春季の年3回)、被災地の病院へ医療スタッフを派遣する事業を計画・実施している。2011年7月から9月までの第1回目の派遣期間には、岩手県上閉伊郡大槌町の大槌病院へ医師2人、宮城県本吉郡南三陸町・同県登米市の志津川病院へ医師1人、看護師14人、保健師1人、心理士1人、薬剤師1人、医学生21人、看護学生25人、調整員2人を派遣した。
2回目の派遣にあたる2011年12月から2012年1月の期間には、医師1人、看護師・准看護師6人、医学生・看護学生2人、調整員1人の合計10人を志津川病院に派遣した。

AMDA医療ボランティアの活動時間は、平日9:00〜17:00。一部のAMDA看護師は、土日や夜勤の勤務にも協力している。志津川病院の看護師長の指導の下で、内科や外科、小児科に配属されている。志津川病院仮設診療所に来院する患者は一日平均200人程度であり、その多くは内科を受診している。内科では、高血圧、糖尿病、感冒、慢性疾患の定期フォローが主となっている。冬季には、インフルエンザ予防接種の目的で来院する患者も多い。AMDA看護師は、診療前のバイタル測定、受付から診療所までの誘導、検査などへの誘導、小児予防接種介助を地元看護師と共に行っている。AMDA派遣学生も、受付で患者の問診・呼び出し・誘導、翌日予約分のカルテの整理、患者さんの付き添いといった看護師の補助業務に携わっている。

冬季に派遣した9人中8人は、東日本大震災後にAMDA医療ボランティアとして東北へ派遣された経験がある人だった。

氏名 職種 派遣期間
 浅野 鈴子  看護師 2011/12/5〜12/12、12/26〜2012/1/8、1/13〜1/26
 菊地 美和  看護師 2011/12/10〜20
 木本 敬洋  准看護師 2011/12/12〜2012/1/14
 蛯原 茜  看護師 2011/12/21〜12/31
 川尻 智香  調整員補佐・医学生 2011/12/25〜12/30
 高岡 邦子  医師 2011/12/30〜2012/1/4
 永野 優佳  調整員補佐・看護学生 2012/1/2〜1/7
 百瀬 由美  看護師 2012/1/7〜1/14
 向井 信子  准看護師 2012/1/13〜1/31

被災地での医療支援活動に参加した、医師、看護師からの報告を以下に紹介する。

医療ボランティア派遣者からの報告 高岡医師

(活動期間:2011/3/19〜4/20 岩手県大槌町、8月 大槌病院 2011/12/30〜2012/1/4 宮城県志津川病院)

12月30日から1月4日朝まで、志津川病院入院病棟の当直を担当しました。入院患者は27名で、看取りになるかもしれない方について前任の医師から申し送りを受け、当直室で待機した5泊6日でした。震災時の様子や現在の状況など、ゆっくりお話したかったのですが、看護師さんは、当直体制で昼夜とも2、3階ともに2名ずつだったため、常に病室を駆けまわっていて全員が顔を合わせるのは夕方4時半の申し送りの時だけでした。このわずかな時間だけでもすぐに溶け込むことができ東北人の温かさが伝わって「震災時は、皆さんが必死に働いたのだろう」ということが理解できました。幸い看取りは無く、夜中に起こされたのは一度だけでした。

帰りに車で40分ほど離れた仮設診療所にご挨拶に伺いましたが、休み明けで多くの外来患者さんが殺到していて先生方とお会いすることは叶いませんでした。星看護部長、高橋副看護部長さんからご丁寧なお礼の言葉を頂戴しました。志津川では、それぞれの仮設住宅と病院を巡回するバスが運行されていること、全科が揃っていることにより1日200〜250名の外来患者数があり、AMDAから派遣されている看護師さんも忙しそうに飛び回っていました。

その後、釜石医師会の災害対策本部長を務めていらした寺田先生、大槌病院、救護所のあった大槌高校、植田先生を訪ねました。いつものように、どこへ行っても温かい笑顔で迎えられ、驚かれる様子もなく、昨日まで一緒に仕事をしていた仲間という接し方で「やはり大槌は本拠地」という思いを強くしました。ただ、大槌では亡くなった方のほとんどが大槌病院の患者さんだったこと、未だに仮設住宅と病院を巡回するバスが運行されていないことなどの理由で患者数が激減しているとのことで、行政機能の立ち遅れを実感しました。大槌の人々の方が「前を向いて進まなければ」と頑張っているのに残念なことです。


大槌健康サポートセンターで健康相談する高岡先生

健康サポートセンターでは、3件の健康相談(現在、服用している薬や家族のことなど)を実施し、我々のチームが緊急支援に入った初日に診察した患者さんと再会することができました。海水を飲んでしまった患者さんに私が聴診器をあてて診察したことを「あの時はとても安心した」と繰り返し語ってくれました。脈を診たり聴診器を使うスキンシップが信頼関係の構築にいかに重要であるかを再確認させて頂きました。鍼灸の患者さんも絶えることがなく、サポートセンターが住民のコミュニケーションの場になればと願いつつ…

医療ボランティア派遣者からの報告 菊地看護師

(活動期間:2011/9/17〜9/30、2011/12/10〜20 宮城県 志津川病院)

【被災地の復興の様子】
(当初2011年12月に完成予定だった新しい)仮設診療所の建設は遅れており、2012年3月頃になるそうです。また現在は高台への移転へ向け住民説明会が行われているとのことでした。町は夏に来たころよりがれきが減り、工事をしている場所もあります。漁船も増えていると思いますし、地元の方が「ワカメ漁を始めた」「内陸で笹かまの生産を再開した」というお話等も聞きました。少しずつ少しずつ復興していると感じています。しかし同時に「息子の仕事が見つからない」「お金の余裕がなくて予防接種を受けられない」といった声も聞きました。私の活動範囲はほとんど診療所とホテルの往復だったので、地元で出会う人は仕事を持っている方がほとんど、また患者さんでも自分で病院に来られるか、介助してくれる家族のいる方々です。そうでない方や、自宅や仮設住宅で孤立していう方も多くいるのでは、と思いそれが気になります。


志津川病院の皆さん

【病院の様子】
看護師さんの勤務、休みの数自体は9月と比べて大きく変化はないようでした。内科の受付を午前中だけ事務の方が担当してくれている、訪問看護の部署から週 2回応援に来てもらっている、パートの方が3人いる、仙台から週2回ボランティアの看護師が来ている、といったことが9月と比較して変化していることで す。それでも看護師の休みの数は増えておらず「お休みを何日か取ってゆっくり休みたい」という声も聞きました。仮設の建物は変わりませんが、寒さが厳しく なってきているので朝は水道が凍り、仮設トイレの水も凍ります。医師不足も深刻だと感じました。内科は医師2〜3名体制で診療していますが、患者さんの待 ち時間は長い時で2時間以上になっています。高齢の患者さんが多いので待ち時間は患者さんにとってかなり負担になっていると思います。診療が終わるころに は患者さんも付き添いの方もぐったりしていることも多いです。

今回AMDAが医療ボランティアを派遣することにより、志津川病院の看護師が年末年始の休暇を取ることができたことは特筆すべき点である。しかし、病院 を取り巻く環境としては、年末に退職者が出たことで看護師の総数が減り、被災して生活が大変な年配の看護師も長時間の夜勤に対応したり、一見気丈に振る 舞っている看護師が降圧剤・眠剤を飲みながら勤務していたりする状況があることを、報告しなくてはならない。


次の医療ボランティア派遣は2012年3月の約2週間、看護師2〜4人を予定しています。