ネパール地震復興支援報告7 〜訪問リハビリテーション〜 – AMDA(アムダ)
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国連経済社会理事会総合協議資格NGO

ネパール地震復興支援報告7 〜訪問リハビリテーション〜

現在の障がい者支援としては、現地製造の車いす支援と福祉用具支援をもとに訪問リハビリテーションを行って閉じこもり予防や自立生活にむけたサポートを行っています。
昨年のネパール地震で被災された方々については、未だに仮設住宅などで生活をしておられる方々が多数いらっしゃいます。
今回は、被害が大きかった山間部のひとつダディン郡からポカラ市内に避難して来ておられる、あるご家族に対する訪問リハビリテーション活動について紹介いたします。[pagebreak]

最初に訪れたのは昨年6月30日のこと。ポカラ市内のキリスト教会がダディン郡からポカラ市内に避難してきている数家族をご支援なさっていると聞いて訪問させていただいたのが最初。避難先はポカラ市内のサランコットという山の麓にある小さな教会の庭。そこに竹の骨組みと、藁やビニールシートの壁、トタン屋根といった仮設住宅を建てて、7家族35人が避難生活されておりました。

私が訪問した時、あるご家族が気になりました。二人の子どもさんの様子がどこか不自然だったのです。
一人は男の子(兄)H君で当時8歳。もう一人は女の子(妹)Sちゃんで当時4歳。お二人とも年齢にしてはとても体が小さく、H君は歩く事もせず這ってお母さんの抱っこを要求します。Sちゃんは長さが50センチほどの小さな籠の中に、脚を曲げて寝かされておりました。
お母さんに聞くと以前病院では「てんかん」と診断されたとのこと。それ以上の情報はありません。
しかしどう見ても「てんかん」だけではない。

精神科のお医者さんによる診断のみでした。恐らく脳性麻痺とその他重複疾患もあると見受けられました。
当然ながら適切な療育指導を受けたこともない。この時は生活上の気を付けたい事をお話ししました。
自宅での療養生活で二人のお子さんが成長していくために必要な関わり方をお伝えしました。
ご主人はこの家族から逃げて不在。母ひとり・子二人。お子さんのお世話のために、働きに出る事も出来ません。経済的に益々困窮していきます。
「せめて子ども二人を預かってくれる費用負担もかからない施設がないか。」と仰っていました。
そこで教会でこのご家族を教会の会員宅に生活していただき、お子さんのお世話を助けながら、お母さんには少しでも働ける環境を整える事となりました。

その後も、たびたび訪問を続けてまいりました。お二人とも起こして外からの刺激を沢山受けられるように。
特に妹のSちゃんは、籠から出して生活できるようにしてあげたい。お母さんにもできる方法で、籠など家にあるものを利用して座位保持するなどを行ってきました。
またお兄ちゃんのH君には、ちょっと大きいのですが中古の車いすが見つかり、屋内移動には使いづらいのですが起きて食事など生活するための補助として用いることとなりました。
次第にお二人に対して座らせる事をお母さんが積極的になさるようになってきました。

一方、障がい児の施設については、近所の障がい児施設を探しましたが、ポカラにはこうした障がい児を受け入れる施設というのは圧倒的に不足しており、訪問した施設も定員いっぱいで対応ができないとの事でした。
しかし、情報の共有をする意味でたびたび施設や医療機関を訪問しております。
そして医療機関が年2回行う療育相談にもつなげていくこととなりました。

7月17日には、現在ネパールで活動中の二人の青年海外協力隊の作業療法士の方がポカラにいらっしゃったので、SちゃんとH君宅の訪問に同行してくださいました。
リハビリテーションと一言で言いましてもその分野は多様化しております。
今回来てくださった作業療法士の方は小児分野の経験もあり大変有用なアドバイスをお母様にしてくださいました。
なかなか障がい児の施設利用ができない中で在宅療育の指導は大変重要です。
ネパールは昨年の地震災害に限らず、これまでいくつもの災害を経験してきました。
特に山間部では土砂災害が雨期を中心に多発します。そしてこうした自然災害によって住んでいた土地を離れるケースは少なくありません。
当然のことながら異なる地に移られたところで、仕事もなく収入も激減することが課題として残されます。
昨年の震災でも今回ご紹介したご家族と同様、元に地に戻る事を諦めて異なる地で生活していく方は多数いらっしゃいます。
ネパールはまだ復興の途中なのです。

理学療法士
西嶋 望