今年度AMDAスリランカ平和構築プログラムへ広島大学大学院生内田涼さん、金沢大学新家夢紬さんの2名が参加されました。
内田 涼さんはAMDAと連携協定を結んでいる広島大学大学院 国際協力研究科 開発科学専攻(山根達郎准教授研究室)に在籍されています。山根達郎准教授は2003年AMDAスリランカ医療和平プロジェクトの立ち上げからご尽力いただき、今回のプログラム参加は山根准教授からご紹介いただいた経緯があります。
新家夢紬さんは金沢大学4年生です。AMDA中学高校生会のOGでもあります。以前、ハイチ大地震の際AMDA復興支援でドミニカ共和国でのスポーツ交流に参加された経験がありa、今回のプログラムに参加しAMDA中学高校生会の先輩としてご活躍されました。
2名からレポートが届いておりますので紹介いたします。
AMDAスリランカ紛争後復興支援 平和構築プログラムに関するレポート
広島大学大学院 国際協力研究科 開発科学専攻 (山根達郎准教授研究室)内田 涼
まずはじめに、AMDA平和構築プログラムに参加させていただき、私自身にとっても大変貴重な経験となりました。このような貴重な機会を設けてくださったAMDA菅波代表に心から御礼を申し上げたいと思います。また、一連の活動の中で、平和構築活動に携わってきたご自身の経験をご教示していただいた竹谷先生、二ティアンさん、山崎さん、橋本さんには心から感謝しています。さらに、日本から離れたスリランカという国に勇気をもって来た中学・高校生の子どもたちとともに、AMDA中学・高校生会に所属し本プログラムの準備に参加した子どもたちを誇りに思います。
私たちにとって、日常生活の中で平和とは何かを考える機会はなかなか多くはないはずです。その中で、AMDA中学・高校生会のように、自身の日常を直視し自身の生活の中にある「平和」について考えることは有意義なことであり、「平和」な将来を築くために必要不可欠なことです。
スリランカ平和構築プログラムに参加した子どもたちは、日本とは全く異なる文化・言語・環境の中で重要な経験を得たことと思います。とくに、言語も文化も異なるアイデンティティ集団が混在するスリランカという国で、ただ語るだけの「平和」ではなく現実により近い「平和」を、数日間のプログラムを通して自分自身の目で観て体験し、また現地の子どもたちとの触れ合いの中で直接感じたはずです。
一方で、その「平和」を実現することの難しさについても体験することができたと思います。例えば、本プログラム中に通訳者が常に必要だったように、シンハラ語話者とタミル語話者の間では言語を通じて意見交換をすることが簡単ではありません。また、スリランカには宗教も多様に混在しているので、各々のアイデンティティ集団で食文化や生活習慣なども異なり、共同生活を送ることも簡単ではありません。しかしながら、そのような問題は複数あるものの、言語や宗教の違いを乗り越え、互いに正しく理解し、協力していく必要があります。本プログラムに組み込まれている互いに助け合いながら(「相互扶助」)、互いに正しく理解する(「相互理解」)試みこそ、これからのスリランカにとって重要です。
今回平和構築プログラムに参加した子どもたちにとって、AMDA中学・高校生会の仲間や学校の友だちにスリランカで得た経験を伝えていくことも大切な使命だと私は思います。実際の現場を目で見て体験したからこそ、いきいきとしたスリランカの実情を語ることができます。本プログラムに参加し現地の食文化に触れたことにより、スリランカの食事がいかに栄養不足で栄養バランスが偏りがちか、さらに、現地の学校での数日の滞在を通していかに水の確保が大切で、水を節約して使うことが重要かというスリランカの「厳しさ」を学んだことと思います。また一方で、スリランカの現地の子どもたちの力強さや、人々の心優しさと温かいもてなしなどスリランカの「温かさ」を実感したことと思います。これから日本で、紛争を経験したスリランカという国の「今」を自身のスリランカでの経験を含めて伝えてください。そして、仲間たちと議論を重ね、自身の頭で「平和」とは何かを考え、それを人々と協力しながら実行していくことを期待します。
スリランカプログラム 感想レポート
金沢大学4年 新家夢紬
今回はAMDA中高生会OGという立場で参加させていただきました。そもそも、私が国際協力の道に興味を抱いた大きなきっかけの一つがAMDAでした。2010年、中学3年生のときにハイチ大震災の復興支援としてドミニカ共和国を訪れ3か国の少年たちとサッカー交流をしました。また、NYの国連やユニセフ本部を訪れる貴重な経験もさせていただき、世界の広さを知るとともにそこで働く方々のキラキラとした姿に魅了されました。同時に、当時サッカーもできず言葉もうまく通じなかった、震災ですべてを失ったハイチの少年たちに自分は何もしてあげられなかったのではないかという悔しさもありました。
今回の参加の目的として、まず中高生会のメンバーをサポートしたいという思いがありました。自分と同じように、いろんな世界を見て様々なことを感じてほしい、日本に帰って友達や家族に伝えてほしい。そのために、自分がこれまでに学んだことや語学力を生かしたい、それが通用するのか試してみたいと考えていました。さらに、NGOとして活動しているAMDAについて深く知り国際協力の意義について考えたいという思いもありました。大学生になり途上国でのボランティアや海外留学を通じていろんな人々に出逢う機会に恵まれました。その中にはもちろん自分よりも金銭的に豊かではない人も多くいましたが、そこには彼らにとっての当たり前の日常がありました。日本のような先進国と比べれば一件かわいそうと思われるような生活をしている人もいます。でも、日本人よりも強く「生きて」いる人々と触れ合って、本当の豊かさ、幸せって何だろうと考えさせられる機会が多くありました。そこで国際協力の1アクターであるNGOができること、AMDAだからこそできることについて考え今後のキャリア選択に役立てたいと思っていました。
約1週間のプログラムの中で、本当に多くのことを学ばせてもらいました。中高生のサポートをしたいと思いつつ、彼らから学ぶことの方が多かったように思います。マータレの学校に到着する前日まで、友達ができるかと不安そうな顔をしていたみんなでしたが、交流が始まるとすぐ名前を呼びあい、手をつないで遊んでいる、そこには国も宗教も言葉の壁さえもないように見えました。友達をつくること、異文化を受け入れることってそんなに難しいものじゃないことに気づかされるとともに、子どもたちだからこそできることでもあると感じ、青少年の国際交流の意義を感じました。また、宗教プログラムでは宗教寺院を巡る際に他の宗教の子どもたちがお祈りする様子を間近に見て私自身も宗教について改めて考えることができました。異なる宗教だからといって差別化する必要はないと安易に考えていた部分もありましたが、僧侶であるマータレの校長先生に対する菅波代表の敬意を示していらっしゃった姿から、きちんと宗教を理解すること、宗教を通じてその個人個人を尊重することの大切さを学びました。それぞれの宗教が共存しているスリランカだからこそ学べることだったのではないかと思います。
そんな学びの多いプログラムでしたが、中高生とスタッフの間の立場から、中学生のときとは異なる視点で活動の現実的な部分にも気が付きました。このプログラムの目的は、「平和構築」。私たちは、つい最近まで争い合っていた2つの民族の子どもたちが共に汗を流し親睦を深めた、それは確かに平和な時間だったと思います。しかし、問題はきっとそんなに簡単なものではありません。彼らは共に楽しいときを過ごすことはできたけれど、お互いの言葉が理解できない子どもたちは通訳の方を通してでなければ思いを伝えることが難しい状況でした。平和について考える時間は設けられていましたが、自分の国のことを思って平和について考える時間であったのか、その思いがきちんとお互いに共有できたのか疑問に残る部分もありました。また、プログラムをいかにローカルイニシアティブのもと遂行していくか、臨機応変に対応していくかといったスタッフ側の苦労も知ることができ、1プログラムではありますがNGOの活動に入り込むことで見えてくるものもありました。今回のような少人数でのプログラムでは一人一人がその専門性を超えて果たす役割が大きく、スタッフの方々の言動を見ているだけでもとても勉強になりました。急遽大使館に伺うことができたことなどAMDAでなければできない機会も与えていただき、本当に感謝しています。
今、第3者としての私たちにできることは2つの民族の間でクッション材になることだと考えますが最終的には彼ら自身が歩み寄り話し合っていくことが平和構築、そして国の発展には必要不可欠です。それを導いていくことが今後の課題でもあると思いました。そのためにも、紛争という暗い歴史も受け止めなければなりません。私は、中学生のとき菅波代表に「世界史をしっかり勉強しなさい」と繰り返し言われた意味を今、身をもって感じています。今の親世代にもしっかりと記憶に残っている紛争について、その現実を突きつけることは国かもしれませんが、過去から学ぶべきことは多いと思います。教育の成果はなかなかすぐにはあらわれるものではないと思いますが、このプログラムが今後もどんどん進化しながら続いていき、スリランカの平和構築のために子どもたちに考えるきっかけになることを願っています。
今のスリランカにとって、AMDAや他のNGO、国際機関が果たす役割はまだまだ大きいです。さらに、大使館の方が、ビジネスとして企業が入ってスリランカの発展に寄与することも重要とおっしゃっていたことも印象的でした。それは、スリランカが「途上国」だからいう理由ではありません。1パートナーとして、かつて日本を救ってくれた方々が困っているから手を差し伸べる、AMDAの相互扶助という考えが私は大好きです。私が途上国に行く意味は、途上国の人々、特に未来ある子供たちにとって何かしてあげたいという気持ちからでした。しかし、途上国を訪れるたびに私の方が大切なことを教えてもらっているように感じます。そんな人々に恩返しがしたい。誰かの人生に影響を与えられる人になりたい。まだまだ今後のことはわかりませんが、形はどうであれ、スリランカの人々が教えてくれたこと、AMDAの皆様から頂いた宝物を胸に、国際社会で貢献できる人材になりたい、いつかハイチやスリランカの人々、AMDAの方々へ恩返しできるような人になるべく精進したいと思います。約1週間、本当にお世話になりました。