ケララ州洪水被災者支援顛末記(2) – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

ケララ州洪水被災者支援顛末記(2)

AMDAグループ代表 菅波 茂

 

チェンガヌールの町

11月10日。ブッダガヤを暗闇の午前5時半に出発して、車で3時間半走ってパトナ空港に到着。パトナ空港からハイデラバード国際空港を経由してケララ州のコチ国際空港に到着。コチ国際空港にはAir Asia機がいた。次回からはAir Asia機を利用してクアランプールから直接にコチ国際空港に来ることも考えた。コチ市は緑の豊かな清潔な街並みだった。生まれて初めてケララ州に来た。感動ものである。50年前にインドを含むアジアでほろほろ旅をしてから以後は現在まで北インドのコルカタ~ニューデリ路線が主だった。ここから列車に乗り換えて2時間半後にチェンガヌール(Chengannur)駅にやっと着いた。午後9時だった。ちなみに、列車はスリーパークラスである。3人掛けの向かい合わせのベンチで、窓側には向かい合わせの席がある。[pagebreak]乗客が少なければ横になって寝ることもできる。一方、寝台車は2人掛けの向かい合わせのベンチになっており、上下で4人の寝台になり、向かい合わせの席は上下2人用の寝台になる。勿論、夕食や飲料水を列車内で売り歩いている。

このチェンガヌール(Chengannur)町はケララ州洪水の時にAMDAが救援活動をした場所である。人口が約2万3000人であるが、普段は海外の旅行者が来ない閑寂な田舎町である。今回は、鉄道駅に近い、1日1千5百ルピー(2千5百円)のRelax Innホテルに泊まった。値段の割には清潔なホテルである。洪水の時には街全体が浸水しており、その影響でホテルのWi-Fiが壊れた状態が現在も続いているのには参った。

 

チェンガヌールロータリークラブ
(左から4人目がスニール先生)

繰り返しになるが、前ビハール州警察長官のボルドワージ(Bhardwaj)氏が先輩でケララ州出身のジェイコッブ(Jacob)氏にケララ州洪水被災地におけるAMDAの救援活動の受け入れ先をお願いしてくれた。ジェイコッブ氏の甥のスニール(Sunil)歯科医師が所属するチェンガヌールロータリークラブを紹介され、AMDAの活動を支援してくれたことがチェンガヌール町とのご縁の始まりである。

午後12時頃にホテルから街に出た。ケララ州には珍しい物乞いに出会った。道端に座って施しを乞うている。私は彼らを「道端の先生」と敬称を付けている。日本の学校教育はいかに自分の取り分を増やすかと教えてくれる。最近は道徳の時間もなくなって自分の持っている物を人のために出すことを本当に教えない。日本人にとって、物乞いに会うことは未知との遭遇になってきている。持っている物を気持ちよく受け取ってもらうことはある種の修業である。20ルピー(15円)をにっこり笑って受け取ってくれた。ホテルへの帰路にもう一度会ったが、今度はにこやかな挨拶だけだった。ホテルでの昼食が半分ほど残った。包装してもらって彼に手渡した。再度にっこりと笑って受け取ってくれた。彼の職業は持っているものを気持ちよく人の為に出す訓練をしてくれることだと思うたびに「道端の先生」と呼びたくなるし、会うのが楽しくなる。「おう、又、先生に出会った」と。

午後4時にスニール歯科医師とSwami Vivekananda Grama Seva Samithiが運営するクリシュナプリヤ・バラスラム孤児院(35名収容)に向かった。理由は当孤児施設を支援していたChengannurロータリークラブのメンバーが被災して支援が続けられなくなったのでAMDAが少しでも支援をしてほしいということだった。途中でSwami Vivekananda学校(生徒数約2千人)の被害状況を見た。災害救援当時にたくさんの団体が活動した学校である。ちなみに、Swami Vivekanandaは西ベンガル州出身で大ヒンズー至上主義を唱えた人である。大ヒンズー主義とはアフガニスタンからミャンマーまでのヒンズー文化の影響力のある地域の文化的統合の提唱である。ただし、多様性のあるインドでは受け取り方も様々である。

クリシュナプリヤ・バラスラム孤児院の子どもたち

洪水で被災したSwami Vivekananda学校

クリシュナプリヤ・バラスラム孤児院では壁に1.5メートルのところまで浸水の跡が見られた。施設の職員と子ども達、低学年と高学年の子どもたちの間にも人間関係が非常に良い雰囲気が感じられた。最初に、チェンガヌールロータリークラブから子ども用自転車2台が贈呈された。早速に2名の子どもにより試走が行われた。一人の子どもにとってサドルの位置が少々高すぎた感もあったが、無事に終了。次に、AMDAからの支援金の贈呈式が行われた。「日本も第二次世界大戦中に米空軍の爆撃により親が亡くなり多くの孤児がでたが、教育を受けて成長して日本の発展に貢献した。皆さんもよく勉強して将来的にケララ州の発展に寄与してほしい。そしてケララ州と日本の懸け橋になって欲しい」と挨拶をして次の2点を提案した。1)教育資金として毎年6万ルピー(10万円)を10年間寄付する。2)2人の生徒を2週間ほど岡山に招待する。10年間に3年毎に3回の実施とする。ただし、AMDAインターナショナル、AMDAインド支部とチェンガヌールロータリークラブとの3者合同プログラムにする。当ロータリークラブからは年に2回の活動報告を受けることにした。なお、子ども達の学校教育の費用は、小学校から大学まで、政府負担で無料とのこと。問題は日常の生活費だった。隣国のスリランカも同様である。

1.5メートル浸水した孤児院

ロータリークラブより自転車2台を寄贈

贈呈式では、チェンガヌールロータリークラブ会長、施設長、スニール歯科医師などが次々と短いスピーチをした。その度に、最前席に座っている低学年の男の子たちが、大きな椅子に座った小さな体で、両腕を力いっぱい広げて拍手をする姿と、後方にいた年長者の子がじっと耳を傾けていたのは感動的であった。

AMDAから義捐金の贈呈

施設長の話に耳を傾ける子どもたち

午後8時からチェンガヌールロータリークラブの会合がRelax Innホテルのレストランで行われた。出席者は8名。退役軍人、医師、経営者などであった。孤児院で発表した3者合同プログラムに関する協定内容の詳細をロータリークラブ側が作成後に、3者が署名をして実施することになった。ただし、お金の送金方法などをどのようにするか。簡単ではない。

出席していた医師に尋ねた。「ケララ州の良き点を3つ教えて欲しい」と。「レベルの高い教育がレベルの高いモラルを育成し、夜間の女性の一人歩きが安全なほど治安が良い」とのことだった。なお、教師の職を得るには厳格な基準があり、合格する必要があるとのこと。合格するための賄賂は意味ないことであり、教師は優遇されているとのことだった。

続けて、ケララ州は伝統的に海外に開放的であり、英語、フランス語、スペイン語などが通じることが紹介された。「日本語も追加してください」とお願いした。

ケララ州はインドの南部に、ビハール州は北部に位置する。文化(集団の価値判断)が異なることを肌身で感じた。共通項はヒンズー文化にもとづいた死生観と生活の保守性である。これは簡単には変わらないだろうと思った。同時に、なかなかの深みのある味わい深さも感じた。