
震災直後の岩手県大槌町(左)と宮城県気仙沼市(右)
AMDA は、2011 年の東日本大震災で壊滅的な被害を受けた岩手県と宮城県を中心に、被災地域を支援してきました。3 月 11 日の地震発生翌日から救援チームを現地へと派遣し、最初の 2 ヶ月間で合計 149 人の医療者と調整員が救援活動に従事しました。その後、地域と協力して、復興支援にあたり、被災者の様々なニーズに対応してきました。震災発生から 14 年、これまで現地での活動をけん引してきた関係者からのコメントを紹介します。
* AMDA 大槌健康サポートセンター長・鍼灸師 佐々木 賀奈子

「一人ひとりの 14 年があり、決してひとりでは今日まで生きてこられなかった。何もかも失いましたが、私は津波でも奪えない人との繋がりや心とは、深く繋がらせていただきました。AMDA とのご縁をいただき、支援する側とされる側を繋ぐ役割をさせていただきました。世の中が目まぐるしく変化する今、心根の通う交流が尊いですし、何よりもありがたいです。自分自身だけが心穏やかにゆったりと生活するのではなく、『困った時はお互い様』の相互扶助の精神にもあるように、助けられたら次は自分が助ける側になる ” 恩送りの文化 ” を今後も伝えていきたいと思います。生かされて生き切る!恩送り!」
*気仙沼市南町紫神社前商店街事務局・AMDA 参与 坂本 正人

「東日本大震災から早いもので 14 年が過ぎ、私たちの商店街も仮設から現在の本設に移って7 年が経ちます。町の区画整理事業も 13 年かかって昨年終わりました。町はきれいになりましたが、人口の流出は止まらず、地区の住民も思うほど戻ってきていません。駐車場と空き地だけが目に留まります。まだまだ問題は山積みです。また、自分たちの意識の風化も気付かぬうちに進んでいる気がします。昨年、一昨年に震度 5 の地震が続いて起こり、津波警報が出ているのに高台にある避難所には 3 ~ 4 名しか避難してこず、大勢の方は自分の車を避難所において家に戻るというありさまでした。今一度、東日本大震災を振り返り、考える時期ではないかと感じています」