マールブルグ病の疫学


 マールブルグ病は1967年に、旧西ドイツのMarburg と旧ユーゴスラビアのFrancforとBelgradeの3箇所で、研究所の実験者にほぼ同時に3つの流行が起こったことから同定された。これら2つの国には、ウガンダから同じ系列のアフリカミドリザルが輸入されており、これらの汚染した臓器を扱った研究者25人が第1次の流行を起こし、うち7名が死亡した。2次感染の6名には死亡症例は出なかった。 Marburg virusと命名された病原体は、アフリカのサル(オナガザル、ヒヒ類)との人畜共通感染症を起こすが、その致死率や伝播形式は不明のままである。上記の初めての流行の後、南アフリカでは4つのヒト症例が報告され(1975年に3例、1982年に1例)、ケニアでは1980年に2例が認められている。これらの患者37人のうち、9名が死亡した。このウイルスは患者発生地域よりも広範に分布していることは間違いなく、ガボンや中央アフリカから血清学的に陽性者が見つかっている。

 マールブルグウイルスは、太さが約80nm、長さが約800nmの紐状のウイルス。エボラウイウルスとは同じフィロウイルス科に属するが、ウイルス学的には別種。致死率が25%程度だが、バイオセーフティーレベル4に指定される強毒ウイルスである。
人間同士の感染は容易に起こり、他の出血熱の病原ウイルスと同様、感染者との接触が原因となる。マールブルグウイルスは性行為での感染が考えられ、双方のウイルスとも精液から分離される。


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