エボラ出血熱の疫学


 エボラ出血熱は、1976年7月から11月にかけて、およそ千キロ離れた2つの地域で、殆ど同時に流行が突発したことから判った。1つはスーダン南部のNzara からMaridiにかけて、もう1つは旧ザイール北部のYambuku とBumba 地方で、これらの地域では住民がパニックに陥り、防圧が困難となって、流行の拡散が恐れられた。 Ebolaというウイルスの名称は、旧ザイールの河川の名前に由来しており、スーダンでの流行は 284症例のうち 150人が死亡し、Maridiの病院に入院した76例では41名が死亡し、その殆どが医療関係者であった。旧ザイールでは 318例のうち 280名が死亡し、致死率は87%であった。同国のキクイトでは、1990年代半ばにも大きな流行が起こり、その致死率は、最低でも50%、場合によっては90%近くにのぼることが分かった。
 エボラウイウスは太さが約80nm、長さが約970nmの紐状ウイルス。ウイルス学的にEbola型、Ivory Coast型、Sudan型、Reston型の4亜種が知られている。レストン型はサルなどヒト以外の霊長類に発病することが多い。
 エボラウイルスの保有動物は不明で、サルへの感受性は非常に高いものの、その関与は殆どないと考えられる。人間同士の感染は容易に起こり、他の出血熱の病原ウイルスと同様、感染者との接触が原因となる。ウイルスは血液ばかりでなく、精液から分離される。近年見られた感染の特長から、 Thucydideによって記述された紀元前 429年のアテネの疫病は、その大半がフィロウイルスによるものと考えられ、このウイルスが最近出現した病原体とは想像し難い。


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