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歴史と現状
天然痘はアジアとアフリカを起源とし、発疹熱として最も古くから知られている。欧州へはサラセン人によって持ち込まれ、アメリカ大陸へは最初の入植者が持って入った。18世紀の欧州では、小痘瘡により少なくとも5千万人が死亡した。「百人のうち、少なくとも60人が小痘瘡に罹り、猛威を揮った年にはそのうちの10人が死に、10人には常に厄介な跡が残った(Voltaire)。」と記されている。この疾患の重篤性は、欧州で成功した予防的な種痘が、その危険性を乗り越えて行なわれたことからも推測される。決定的な進展は1798年に見られた。Jennerが天然痘で免疫された雌牛から作ったワクチンを人間に接種したのである。これが初の《予防接種》である。Jennerの予防接種がフランスの行政に導入されるまでに、百年近くの時間がかかった。接種が義務付けられたのが1902年で、これは1979年まで続けられた。このお陰で天然痘は先進国(欧州、米国)から消滅したが、航空機による迅速な移動で何例かの輸入症例が認められ、時には限定的な流行の原因になった。1955年にはフランスで97例(Vannes市、 Brest市)、1970年には旧西ドイツで20例、1972年には旧ユーゴスラビアで確診が数例、1974年には英国で5例が記録されている。一方1967年の時点で、天然痘の流行は第三世界の大部分に残存していた。世界規模の予防接種運動とOMS(世界保健機関)による流行監視の成果で、天然痘はこれらの国々から急速に消えていった(表4−1)。ラテンアメリカで最後の報告は1971年のブラジルの症例で、アジアからは1975年に消滅した。最終的に世界最後の天然痘症例はアフリカからとなり、1977年10月のソマリアで記録された。その後一定期間、監視が続けられ、1980年にOMSは、天然痘は世界中から撲滅されたと宣言した。今後も慎重に常時監視が行なわれるよう、取り決められている。天然痘の疫学と症候学は、熱帯地方で医療を行なう者には常に伝えておかねばならない。
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