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歴史と現状
発疹チフスの流行は、戦争の影響や人間の大量移動に一致して起こり、ペリクレス時代のアテネでの流行など、古代から記録がある。1906年にCharles Nicolleが、シラミが伝播に関与することを示し、その4年後Rickettsが病原体を分離した。その直後にVon Prowazekが研究中に死亡した。
リケッチアの生物学的、疫学的、血清診断の研究の大半は、発疹チフスに関するものである。第二次世界対戦時の流行では10万人以上が罹り、大規模なシラミ駆除と予防接種でやっと防圧した。1980年にWHO(世界保健機関)には7,500 余りの症例報告があった。報告のあった国は、アフリカの8ヵ国(ブルンジ、エチオピア、ガンビア、ケニア、モザンビーク、ナイジェリア、ルワンダ、ウガンダ)と南米の6ヵ国(ボリビア、コロンビア、コスタリカ、エクアドル、ペルー、トリニダード・トバゴ)である。エチオピアでは発病率が上昇しており、全世界の96.3%を占める。南米ではアンデス山中の住民がよく罹患する。
このように本疾患はアフリカと南米の山岳地帯の一部に潜在する、主要な伝染病である。しかしその発病率と死亡率の正確な値については、きちんとした統計がないため、推測するのは困難である。
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