スタディツアー

カンボジア
スタディツアーに参加して


浅野 直子
AMDA Journal 2001年 11月号より掲載

 私は学生時代、他NGOの「学校づくりプロジェクト」に学生隊員として参加し、カンボジアへ二度ほど渡ったことがある。その体験ですっかりカンボジアの魅力にとりつかれた私は「またあの国の空気を吸いに行けたらなあ」と社会人となってもなお思い続けていたところ、このAMDAカンボジアツアーを知った。パラメディカルではありますが、心理職として病院で働き出した私にとって、カンボジアに対して医療面でどんな援助が可能なのか、ということは興味惹かれる問題である。また過去二回は内戦混乱期であったために訪れ得なかったアンコールワット観光まであると聞いてしまっては「これは行くしかない!」。即、参加を決めた。


 今回のツアー参加者の顔ぶれは、医師や看護士といった医療職をはじめ、教員や保育士、また会社員やフリーター、そして学生。このツアーがあったからこそ出会うことができた様々な道を歩む13名のメンバーだった。


 カンボジアに着いた私達を最初に出迎えてくれたものは、シェムリアップの空港の薄暗い壁からこちらを見下ろす幾匹かのトカゲ達でこの時ばかりは日本で見慣れぬ彼らの姿に思わず悲鳴を上げた私達だったが、カンボジアに滞在するうち彼らの登場に少しもたじろぐことなく、黙々と箸を運び続ける ことができるようになるとは。恐るべき私達メンバーの順応力であった。

 到着翌日はまずアンコールワットの遺跡観光だった。愛嬌ある笑顔を振り まきながら澱みない日本語でユーモアたっぷりに案内をしてくれる現地ガイ ドのソボルさん。あまり下調べをしないまま行ってしまった私は、遺跡の一つ一つに本当にたくさんの物語が詰まっていることを初めて知った。数々の 物語を聞きながら遺跡を眺めていると、今までに体験(感)したことのない 不思議な感覚を抱かされた。─幾世紀も時を超えた巨大な建築物はとても静 かに、でも確かにこちらに語りかけてくる─こんな感覚を味わったのは私だ けだったのだろうか?「動き得ぬもの」に対し、自分の心的距離が近づいてし まっていた。仕事柄だろう、「おっと、自分は大丈夫か?」とつい自らに危機 感を感じ、その時は誰にも話し確かめることができなかった。自分がおかし かったのか、それともあの遺跡には本当にそんな目に見えぬ息づく力があるのだろうか、私には今でもわからな い。そんな不思議な体験をした遺跡巡りであった。

 二日間の遺跡ツアーを終え、首都プノンペンへ移動した。

 カンボジアは長く続いた内戦に伴う経済の停滞により、人々の健康状態は おもわしくなく、特に妊婦死亡率?乳児死亡率は周辺諸国と比べても高いという現状を現地スタッフの方から聞いた。

 まずはプノンペン近郊のタケオ州アングロカという人口11万人の行政区 におけるプロジェクトの見学となった。そこでは保健行政サービス・医療 水準の向上や州内住民の健康状態の改善を目的として、巡回医療サービスや予防接種、また母子保健として産婆訓練(基本的衛生知識や技術)に取り組んでいるとの話であった。実際の訓練現場を見ることは叶わなかったが、机ひ とつにベッドひとつが置かれた、日本と比べると極々シンプルな診察室をは じめ、分娩室、薬剤室など医療施設を見学して回ることはできた。

 翌日はAMDAの援助のもとに再建されたというチャンバック小学校を訪れ、AMDAの現地スタッフによる小学生への健康診断の見学となった。健康診断ということでただでさえ不安高まるその時に、私たち見慣れぬ人間にぞろぞろ囲まれ、子ども達もさぞや不安だったと思う。しかしそんな思いは参加者メンバーも皆感じたのだろう。自然と健康診断の見学および手伝いをする群と、健康診断を終えた子ども達と交流する群─例えば子ども達に歌を教えて一緒に歌うグループ、ボール遊びやバトミントンをするグループに分かれて活動することになった。それにしてもカンボジアの子ども達の一様に小柄な体つきにはこの国のまだまだ不完全な栄養状態が危惧された。


 カンボジアではつい数年前まで内戦が続いていた。その傷跡は町を歩けば様々な形で感じられる。この国では子ども達の姿ばかりが目に付くが、実際子どもが多いのではない。大人が少ないのだ。

 トゥールスレン犯罪博物館を訪れた。高校であったというその建物はポルポト派による暴政の時代に刑務所へと姿を変え、その中で拷問や虐殺が行われたという。教室であった部屋は独房と化し、その部屋の一つ一つには使用された拷問道具や犠牲者の写真、遺骨などが数多く展示されている。とにかく生々しい。私は以前にカンボジアを訪れた際にここにも来ているのだが、今回改めてその建物の前に立つと、五年前に目にした映像が自分でも驚くほど鮮明に脳裏に浮かび上がってきた。もう二度と見たくはなかった。 結局今回、私は入り口のところでお留守番役となった。


 博物館を見終えて戻ってきたメンバー何人かと話したどうしても不思議でならないことがある。それはこんな素敵な国でなぜこんなことが起きたのか、ということである。大量虐殺に強制労働、農村回帰、強制結婚など、そうした政策に異議を唱えるもの、特に知識とか教育とかいうものは全て有害とされ、教師だと名乗れば殺され、眼鏡をかけているだけで学者とみなされ 殺されたという話まである。こうして人口約一千万人のカンボジアで、少ない数でも百万、多い数では二百万人もの人が虐殺されたという。

 こうした記録に触れるにつけ、いったいなぜ、と疑問が沸き上がってくるのだが、いまだ大量虐殺についての軍事裁判が開かれず、その事実について学校で教えられることもないという現在において、何を調べれば、誰に話を聞けばこの謎が消えるのだろうか。帰国してしばらく経った今でも、結局私の頭の中は靄がかかったままである。 もうひとつ今回ここに来て感じたことがある。五年前に初めて私がカンボジアを訪れた時に比べ、プノンペンの街の成長ぶりは驚くものがあった。道路を見渡すと、人力車シクロはほとんど見当たらず、バイクタクシーのカブが圧倒的に多く走っていた。信号機も出現していた。スーパーに入ると、入り口すぐの所にパンコーナーがあった。私達におなじみのトレーに好きなパンを選び取り、レジまで持っていくというバイキング方式である。こんなものも以前に来た時にはなかったように思う。人々の装いも幾分、小奇麗になっているように見えた。そうした驚くほどの成長ぶりの反面、姿を消したものももちろんある。アットホームさが気に入って毎回利用していたホテル、こぢんまりとした薄暗い空間に所狭しと小物が並んでいた古びたお店、しかしそれより何よりも一番気になったのは、カンボジアの人々、子供たちの「笑 顔」が少し減ったような気がするのだ。気のせいだろうか。治安も悪化したように感じられた。実際、内戦は終わったものの、銃器武装した集団によ る強盗や誘拐などの凶悪犯罪が増えているという話であった。この五年の間にカンボジアの人々に何があったのか。近年の経済成長に伴う急激な都市化や物質文化の流入、また資本主義が進む中で広がりつつある生活レベルの格差、非人道的な恐怖時代が人々の心に落とした影、理由はいくつでも浮かんだ。


 カンボジア─私はこの国がとても好きだ。この国はなぜかとても懐かしい匂いがする。カンボジアの風や太陽の光、人々のちょっぴりシャイで温かい微笑みに触れていると、ものすごく懐かしく暖かい温もりを感じる。そんな風に穏やかに微笑んでいるかと思えば、「なんかやってみたい」的な衝動的 パワーをも人々は持ち合わせている。変化のない生活にすっかり慣れ、「なんかいいことないかなあ」なんて日々思っている日本人の私にはそんな彼らが眩しく感じる事さえあった。

 この国から笑顔を奪ってはならない、彼らの国カンボジアが幸せになってほしい、心からそう願った一週間だった。

 今回のツアーで私たち参加者の様々な要望を聞き入れ、より豊かなツアーにしようと奔走して下さったスタッフの前さん、伴場さん、大変なご苦労であったと思います。とても感謝しています。ありがとうございました。これからもお体に気を付けてがんばってください。

 そして一緒にツアーに参加した皆さん、とても楽しい時間をありがとうございました !!




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