スタディツアー

ネパール
「百聞は一見にしかず」


北川佳子
AMDA Journal 2001年 11月号より掲載

 スタディツアーを終え、もう1ヶ月も過ぎようとしています。私は、もと のように仕事をして、表向き何も変わったことはありません。

 今、ネパールで働いているスタッフの方々は?患者さんは?村の人々は? どうしているのでしょう、思い出すとホームシックになったようにさみしさ を感じるのはなぜでしょう?

 ネパールから日本に帰って来た時、日本の空港があまりにもきれいで、整 然としているのをみて驚き、逆に外国に来てしまったような気持ちになりま した。「百聞は一見にしかず」と言うように、わずか1週間のツアーであった にもかかわらず、私が受けた影響や私の中に知り得たものは、 はかり知れず、ツアーを企画してくださった方々にただただ感謝するばか りです。


 北海道で生まれ育った私にとって連日の40℃近くの気温にはまいってし まいましたが、目に入る景色の美しさは一瞬暑さも気にならなくなるほど です。草木の濃い緑や鮮やかな色の花、広い水田、遠い山々…そしてその豊 かな自然の中に住む人々の貧しい生活がアンバランスで不思議にも感じられ ました。

 ネパール人の女性はとても綺麗です。美しい衣装、どうしてサリーとク ルタの2種類のデザインなのに生地の柄・色の組み合わせが多種多様に見せ ているのでしょう。日本にはたくさんの物があふれているのに、皆同じもの を着て、同じメイクをして、同じ顔にして§茶髪にして…。物がない方があ れこれ考え、工夫するのかもしれませんね。

 ネパールの男の人はどうしてあの表情でじぃ?っと見るのでしょう、日本 でそうしたら「な?んだよ?てめぇ?!」ってことになりかねない…など と人々を観察しながら勝手に思いを巡らす、どんな時も退屈することはあり ませんでした。

 ツアー2日目、ブトワールにある女性と子どもの病院を訪問。

 赤いレンガの大きな病院、入り口にも利用者があふれているが見えま した。中に入ると、クーラーのない外来には多くの患者さん達の熱気が充 満していました。それでもこの日 は午後になっていたのでもうだいぶ少ないということ、次の日の午前、再び その外来を訪れると、本当に、超熱気とでも言ったら伝わるでしょうか、 とにかく、人、人、人、隙間がないのです。

 かつて私も忙しい外来で働いていたことはあったけれど、長い待ち時 間に耐えきれず苦痛を訴える患者さんやそのご家族の対応にも追われて いました。しかしそこでは私が見ている限り診察待ちの人々はあまり動 かずだまっているのです、診察中のDr.もドヤドヤと集まる私達ににこや かに対応してくれました。人々は辛抱強いのでしょうか、それは何より驚いたことです。

 次に病棟に案内して頂く、病棟に入るとすぐ思い浮かぶ言葉がありま した。日本の看護学校で学ぶナイチンゲールの看護覚え書き─住居の健 康─1清浄な空気、2清浄な水、3適切な排水、4清潔、5陽光。

 これを満たすためにはどうしたらよいのでしょう。もしこれが満たさ れたなら、この国の病気、とくに死亡率の高い麻疹、髄膜炎、下痢、肺炎、 は半分以上は防ぐことができるかもしれない…。高度な医療に注目は集 まるけれど、看護独自でもできることがたくさんある、看護婦の役割は 今、これからもっともっと重要であると感じました。

 祈りをこめて病院を後にし、暑い!暑い!マナカマナ村へ。村の子ども達は文字を習い、大人達はビデオにより衛生教育を受ける、ここの人々は他の 街の人とは様子が違っていて衣服もかなり汚れていました。けれど子ども達は何となく集まってきて、ツアーの参加者が持ってきた折り紙に夢中になっ ていました。後日行ったブータン難民キャンプでもそうですが、子どもはどんな状況でも楽しみを感じ、笑うことができるのだな、と思いました。もし もネパール語が話せたら、「ねぇ、大きくなったら何になりたい?」と聞いて みたい。難民キャンプでは将来の不安からか精神病を持つ人が少なくないと 聞きましたが、未来である子どもの心には楽しい夢、しっかり とした将来の希望が育つようにと思い、これまで見てきたプロジェクト一 つ一つで働く人々が担っている役割の重さを想像しました。


 ツアー5日目、AMDAダマック病院へ、この頃には暑さもついに私の脳にまで達していたらしくその時のメモをみても何を書いたのか(人の名前 か、街の名前か)分からないものがあり、記憶もとぎれとぎれになっています。

 なのに、ここでも開院2時間前から待っているという人々が入り口付近にたくさんおられました。病院の中に入るとやはり、廊下(?) に寝ている人が見えます。病室は男女混合、カテーテルが留置されている女性も一緒の部屋にいて、じっと目を閉じていました。

 その後、新設中の看護専門学校を見学、教室内びっしりの生徒が講議を受 けていました。廊下からまるで遅刻してきた生徒のように教室をのぞくと、 皆真剣な顔。別の部屋は演習室となっていてベットやポータブル便器や器具 類が用意されていました。これは日本の看護学校と同じ様子で、なつかしさ とほっとひと安心、…もつかの間、縫合用の針と縫うための練習用の腕 (?)を見た時には現実に引き戻されましたが(日本では創の縫合は医者の仕事です)「今の現状では患者さんは色んな面で我慢しなくてはならない し、看護婦でもなんでもやらなくてはならないのね」と状況把握もすんなり できるようになってました。

 この日、宿泊した部屋できれいな夕日を見ました。ネパールで目にしたす べての自然は本当に美しいのです。堂々とそびえるサガルマータ、ざぁーっ と降る雨も気持ちがいい、自由でのびのびとして、本来の姿?とでもいうの でしょうか、だけどどうか人間には害にならないでほしいと思いました。 


 私が一週間で見たもの聞いたものは多くのプロジェクトの中のほんの一 部、そしてさわりの部分に過ぎないのだと思います。案内し、説明して下さ ったスタッフの方々やツアーを企画して下さった方々のにこやかな対応と心 使いのかげで私が聞かなかった苦悩がきっとあるように、これらの働きが多くの人々の祈りと協力で支えられて行くのだと感じました。

 AMDAの施設が多くの人々に利用されるのは他の病院に比べて医療費が 安いことがあり、これによってそれまで貧しさゆえに適切な医療を受けられ なかったどれだけたくさんの人たちが助けられたことでしょうか。床に寝か されようが、何時間待たされようが、よい医療が受けられることがありがた い、そのあらわれがあの暑く混み合った待ち合い室でじっと黙って待ってい る姿なのかもしれません。あたりまえのようによいサービスを受けること、 人権尊重を訴えることが自由な日本に生活し、ひたすら理想を追いかけて も、追いかけても満足のいかないことの答えがここにありました。

 また、ネパール人のドクターが、生活するために自分のクリニックを開業 しなければならないほどの低賃金ででもこのプロジェクトに参加するのはネパールの国と国民を愛しているからなのだと思いました。

 そして、日本から参加する人々はそれぞれどんな思いに動かされて…? そんな人々の姿に圧倒されながら、じゃあ…私は?

 私は何をしているの?と改めて考えさせられました。私が大好きなマザー テレサさんが、「自分たちの今していることは、大海の一滴にすぎないと思 っています。けれどもしその一滴がなかったら、大海もその一滴のぶんだけ すくなくなってしまうでしょう。」といった言葉があるように、私にできる ことはもしかしたら、はた目には小さなことであったとしても、身の回りの こと、身近な人々に対して心を尽くすこと、そしてネパールで見てきたこと の今後を見つめて行こうと思います。

まだまだ、たくさんのことがあり、書ききれないのですが、AMDAスタッ フの方々、ありがとうございました。

 今後のAMDAの働きとネパールの国と人々の発展を祈りつつ。




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