スリランカ

スリランカ医療和平プロジェクト
     ウルトラプラム病院における発電機の寄贈式

ニティアン・ヴィーラヴァグ(現地統括)
     
翻訳 藤井倭文子
AMDA Journal 2005年 1月号より掲載


初めて発電機を稼動させる瞬間

病院の敷地内で行われた寄贈式

概略

キリノッチはワニ地区(スリランカ北部の南地方)の中心地であり、かつては多くの米と野菜が生産されていた。それは、乾燥地帯ではあるものの、貯水タンクによる豊富な水と肥沃な土壌などの自然条件と農業技術によるものであった。1983年に内戦が始まってからも、自然の恩恵を受け続けていた。しかしながら、1993年から1994年にかけてジャフナ半島からの人々の大量流入は、情勢を大きく変化させ、スリランカの北部と東部は多大な影響を受けた。
 キリノッチは、内戦中もLTTE(タミル・イーラム解放のトラ)の本拠地として機能し、他の地域からの流民にとって安全な住み家となった。しかし不幸にも同じ理由のために、攻撃目標となり激しい攻撃を受け、その結果多大な被害を被った。
 スリランカ北部地域は完全に孤立させられ、南部地域からの食料や薬品の移送は許されなかった。また、全ての公共乗物機関が休止状態であった。行政機関は崩壊し、食料は不足し、空爆によりほとんどの学校や病院が壊滅的な打撃を受けた。国際赤十字と国境なき医師団*の助力によりたった一つの病院が開院されたものの、その時でさえキリノッチへの激しい攻撃による残酷な破壊が休まることはなかった。
 2002年スリランカ政府とLTTEとの間の停戦合意後、コミュニティは AMDA医療和平プロジェクト(以下AMDA-PBP)のような海外からの支援を受け、生活の基盤や地域の再建という非常に大きな課題に取り組んで来た。プロジェクトの実施から2年以上が経過し、国の将来の見通しは明るい。キリノッチは“戦争”の恐ろしさについて語るには良い実例である、と同時に多くの国際機関やNGOによる支援や、地元コミュニティがより良い未来を構築するために一団となって努力している姿は“希望”の象徴でもある。
 AMDA-PBPはキリノッチで2003年の初めから活動を開始し、様々な形でコミュニティを支援し続けている。そして寄贈は、数多い支援のうちのひとつである。

* キリノッチにおける巡回診療については、現在国際赤十字は休止中であり、国境なき医師団はすでに撤退している。

式典

2004年10月22日、AMDA-PBPはワダカッチ病院に続いてウルトラプラムにある地元病院において発電機の寄贈式を行った。AMDAからは、冨田プロジェクト本部担当がキリノッチを訪れ、ウルトラプラム病院へ発電機を贈呈した。
 ウルトラプラム病院は周辺の多くの村落にとって、ワニ地区において最も必要とされている病院の一つである。この病院の唯一の医師であるゴバラピレ医師は病院再建のために非常に献身的で、全過程を通じて協力的で常に感謝に値する人物である。式典は病院内の敷地で午後4時頃から始まり、主賓としてサティヤムージー医師(DPDHS*キリノッチ)、コロンボからアナンダ・アマラシンゲ医師 (疫学者)、ゴバラピレ医師(内科医)、冨田プロジェクト本部担当、及びAMDA-PBPキリノッチ・チーム(パン医師、武田・佐々木両看護師、そして私および現地スタッフ)、その他の病院スタッフ、コミュニティのメンバー、村の地元住民が出席した。
 4時半頃、冨田プロジェクト本部担当によりテープカットが行なわれ、発電機が作動し始めた。その後、来賓の方々からの祝辞が続いた。サティヤムージー医師が全式典の司会を務め、開会の辞としてAMDA-PBPが過去19ヶ月にわたり実施してきた支援について感謝の意を表した。医師は内戦後の状況下における巡回診療及び学校保健教育プログラムの重要性について説明し、病院環境における電気が持つ、極めて重要な役割について触れ、 AMDA-PBPの貢献に対し感謝の意を述べた。
 アナンダ・アマラシンゲ医師は、“コロンボから出席した私にとって、僅か 5分でさえ電気のない生活は想像もできない。しかし、当地では住民や病院が20年も電気のない生活に耐えて来られた。病院にとって如何に電気が大切なことか我々全員が認識しており、スリランカのコミュニティを代表して AMDA-PBPに対しお礼を申し上げたい。” と話し、清潔で快適な郷里から遠く離れた僻地において活動している日本人スタッフの姿に大変心を打たれた様子だった。そしてスリランカ人を代表しAMDA-PBPに感謝を述べた。
 ゴバラピレ医師はスピーチの中で、AMDA-PBPに対し、何度も何度も謝意を表した。電気がないために医療サービスに限界があったことを述べ、病院の敷地内でのワクチン貯蔵、これまで使用できなかったネブライザー(医療用噴霧器)やその他の器具が活用できるようになった状況について感謝した。そしてプロジェクト開始当時、AMDAスタッフに対し、少々不信感を抱いていたことを詫びた。なぜなら医師には、AMDA以前に多くのNGO の訪問を受け、いろいろな種類の設備提供が約束され、写真を写されたにも関わらず、二度と約束したものを持って現われなかった苦い経験があり、当初AMDAも信用できなかったことを話した。しかしAMDAは、この日を迎えるために辛抱強く努力を重ねたことを高く評価し、式典を通じてゴバラピレ医師は、興奮し、喜びで感極まった様子だった。
 AMDA-PBPとAMDAを代表して、冨田プロジェクト本部担当はスピーチの中で、AMDA-PBPを当初からサポートしてくれた病院とコミュニティに対し礼を述べた。彼女はかれらの将来の発展を祈り、発電機の運転マニュアルおよびその他の寄贈品を贈呈した。そして、AMDA-PBPのキリノッチ・スタッフは日本文化の中で長寿、健康、平和を表す折り鶴をプレゼントした。このツルは、地元でもやさしい日本人看護師として知られる武田さんと佐々木さんの指導により、地元スタッフが作ったものである。
 最後に、病院再建委員会の財務管理担当者・アルンタミルチェルバン氏が閉会の辞を述べた。彼は地元のGramma Servega(村レベルの公務員相当)でもある。スピーチの中で、コミュニティの現状や病院が過去20年間にわたり受けた苦しみについて触れ、病院とコミュニティにとって発電機の寄贈の意義について話した。そして、地元住民や病院を代表してAMDAに心を込めて感謝の意を表した。式典は午後6時ごろ閉会し、病院の看護師はAMDA-PBPスタッフと談笑し、情報交換を行なった。かれらはツルの折り方やその意味について大変興味を持って質問していた。会場はみんなの笑顔で溢れ、コミュニティの住民の幸せそうな姿は、 AMDA-PBPスタッフにとって非常に思い出深い情景となった。

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