ルワンダ

大虐殺のその後 ─ ルワンダ

アフリカ地域プログラムディレクター 横森 佳世(ケニア在住)
AMDA Journal 2001年 7月号より掲載

2) 縫製訓練プログラム

 縫製の先生は、カイタナ氏。現在、15歳〜21歳までの35人の生徒を受け持っています。生徒たちはスーツ、ワンピース、制服、赤ちゃん服、肌着、ズボンなどが作れるようになりました。訓練生の1人であるムカイランガ・ジョゼィアニさん(18)は、昨年の7月から、友人に勧められて無料でスキルを得られるこのコースに、参加しています。お父さんはジェノサイドで殺されてしまったので、お母さんと2人暮らし。他に英語も習っています。「上手にできてうれしいの。」とお手製のスーツを自ら披露してくれました。


縫製訓練  洋服を見せている

 訓練生たちはこのコースによって、スキルを得ることができたのが1番の変化のようです。しかし、センターに集まって友だちができたことも、大きな変化だったそうです。しかしながら、「スキルを得たのでお店を持ちたいけど、事業を起こすだけのお金がないのが問題」です。

 彼女たちの生活状況をみると、毎日20リットルの水を得るために3円〜5円ほどを支払い、公共の蛇口から家まで水を運びます。生徒の全員が、これまでにマラリアになったことがあるそうです。虫よけスプレーや蚊帳を使えば予防できることはわかっているのですが、お金がないために買えないのです。訓練がないときは、水運び、料理、子守りなどをして、家事をよく助けます。どんなことが趣味なのか尋ねると、「サッカーを見ること」「カルチャーダンスをすること」「歌うこと」「バレーボール」「神に祈ること」「食べること」「寝ること」など、たくさんの回答が返ってきました。そしてルワンダが好き?と尋ねると「ウィー!もちろん!」と元気良く反応してくれました。


<予定プロジェクト>

 今年度は、以下のプロジェクトを推進すべく、話が進められています。


(1)ギタレヘルスセンター医療インフラ修繕プロジェクト(ルヘンゲリ県キダホ地域)

a)ヘルスセンター修繕プログラム
b) 母子病棟とトイレ拡大プログラム
c)水ポンプ供給プログラム
d)医療器材供給プログラム

*ウガンダ国境であるこの地域は、エボラ熱の予防ポスターも目にします。内戦時は危険地帯でしたが、99年頃から落ち着いてきたために、コンゴ民主共和国などへ難民として流出していた人々が、徐々に戻ってきています。今でもRPA(ルワンダ国民軍、旧ルワンダ愛国戦線)が駐屯しています。AMDAはここで、UNDPからのリクエスト、日本大使館の支援を受け、01年8月頃からヘルスセンターの屋根・ドア・窓・床などを修繕し、母子病棟を拡大、水ポンプを設置し、顕微鏡・冷蔵庫・ベッド類などを供給する予定です。現在、この施設には保健省のスタッフ(主に看護婦)が15名ほどいますが、雨が降ると水が床に貯まり、ワクチンルーム、検査室などが、まったく使えなくなってしまいます。水は近くのブレア湖から汲んできた安全性の低いものを使っているため、感染症は絶えません。マラリアが多いのですが、お金がないために病気になっても家でただ寝ていることしかできない人が、たくさんいます。農業がうまくいかないと、収入がなくなるのです。


ウガンダ国境のヘルスセンター 修繕へむけて人々の期待は大きい

(2)包括的感染症予防プロジェクト(ビュンバ県ルタレ地域、キガリ市)

a) HIV/AIDS予防啓蒙キャンペーン
b)検査プログラム
c)カウンセリングプログラム
d)水供給システム拡大プログラム
e)保健衛生教育プログラム
f)アクセス手段供給プログラム


*このプロジェクトを実施するにあたり、現地NGOであるAMAHORU(平和という意味)と協力して、予防啓蒙キャンペーンを行いました。このNGOの代表者である女性は、彼女自身も陽性で、陽性の人同士でネットワークを作っています。その活動は、啓蒙キャンペーン、ケアー(エイズの治療ではなく、下痢・マラリアなど日和見感染の治療)、そして自分自身のサポートなどです。キガリだけで11%の感染率といわれています。キャンペーンでは500人近い陽性の人々やエイズ孤児たちが集まり、お祈りをし、どうやって自分たちを励ましていくか劇を上演し、歌い、踊り、かごを回してファンドレージングを行い、主体的に運営していました。


エイズ予防啓蒙キャンペーン  セレモニーでの劇の一幕

 ある女性が語ってくれました。「夫はすでにエイズでなくなり、自分も感染しているとわかってから6年が経ちました。それでも今でも仕事をし、2人の子どもたちも陽性ですが、初等教育をしっかりと受けさせています。日々気楽に生き、再婚をせず、神に祈ること。これが自分の生きる上での基本方針です。」



 アフリカは日本から遠い上、悲惨な状態が過ぎて安定化すると、経済交流が少ないため、忘れられてしまいがちです。4月中旬に起こったブルンジでの暴動のため、日本政府との二国間援助の話も棚上げ状態になってしまったようで、「ここはルワンダなのに・・・。」と関係者は残念がります。大虐殺の後、現在では活動する国際NGOの数は20〜30団体ほどに減ってしまってもいます。どうか皆さん、末永いアフリカ支援をよろしくお願いいたします。


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