パキスタン

パキスタンクエッタから
アフガンの横顔


AMDAクエッタ事務局 斉藤 真美子
AMDA Journal 2005年 2月号より掲載

1. 黄土色のクエッタ

パキスタン南西部に位置する広大なバロチスタン州。その州都がクエッタ である。標高1,600メートルの高原上に位置し、年数回しか雨が降らない。 砂漠化が進行し、数十年後に地下水が枯渇すれば町が消滅するとも言われて いる。パキスタンの中でも極度に開発の遅れた州であり、女性の識字率は14 %、地方では8%程度と推定される。
 しかし、その不毛の大地を目指し、必死の思いで移動してくる人たちがい た。戦争の続いた隣国、アフガニスタンからの難民である。アフガ ニスタンに無くて、パキスタンにあったもの−電気、水道 などのインフラ設備、生活物資、教育を受ける機会、理由も 無く殺されない安堵感−。アフガニスタンには何も無かっ た。地雷と砲弾、恐怖、旱魃、食糧難、深い悲しみがあるだ けだった。
 クエッタは古来より東西交易の拠点であり、様々な民族 が行き来する場所であった。国境を接している為アフガニ スタンからの移民・難民が多く、100年以上前に祖先がアフ ガニスタンからやってきた者、旧ソ連のアフガニスタン侵攻を逃れて 四半世紀前にやってきた者、季節と共に移動する遊牧民、タリバーン時代や 内戦、旱魃によってやってきた難民など様々な人々がいた。2001年10月、 米英軍のアフガニスタン攻撃によって世界の注目が同地域へ集まると同時に、 約20万人が国境を越えてバロチスタン州へ押し寄せた。

2. AMDAの活動

AMDAは、2003年8月からはバロチスタン州の全アフガン難民キャンプを 対象とし、結核診療・予防活動(TB-DOTS:直接監視下短期化学療法)を 実施している。密接したキャンプでの生活は、結核などの感染症の疾患が蔓 延しやすく、結核対策はキャンプ運営当初からの課題のひとつでもあった。 加え、2004年からは国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が運営する自主 帰還センター(VRC)にて、急患患者に対応すべく診療所活動を行ってい る。
 自主帰還センターは、アフガニスタンに帰還しようとする自発的な難民を 支援すべく帰還家族の登録を行い、故郷までの交通費等を補助している。 難民は数家族でトラック一台を借り上げ、家財道具から家畜まで搭載して祖 国へと向かう。その後、無事アフガニスタンに帰還した家族は、UNHCRの 運営する受入センターにて支援物資を受け取ることができる。自主帰還セン ターでは、支援物資目当てに再流入する難民を防止するべく、各難民の眼球 虹彩登録も行っている。同センター内において、AMDAは難民の安全な帰還 を支援すべく、医師を配置した診療所を運営している。急患に対応するとと もに、特に女性を対象として衛生教育も行っている。妊娠・授乳期に必要な 栄養の知識等について、女性医療補助職が説明を行っている。

3. 新難民キャンプ閉鎖と帰還の動き

バロチスタン州には20年以上も前に設立された旧難民キャンプ、2001年 9月以降の新難民キャンプがあった。旧難民キャンプとはUNHCRが教育、 水、衛生分野の支援をしており、商店街や学校もあり、小さな村といった様 相である。一方、新難民キャンプに対しては、上述支援に加えて食糧配給が 行われていた。当初多くの難民はテント生活をしていたが、その後、土壁で 仮設住居が建設された。2004年9月、UNHCRの方針によって新難民キャン プ支援が終了し、事実上、バロチスタン州で難民十数万人を擁していた新キ ャンプは消滅した。砂漠のような僻地にあった新難民キャンプ住民の多く は、水・食料を配給支援に頼チていた。生活の糧を失った彼らはキャンプを離 れ、UNHCRの自主帰還センター等を経てアフガニスタンに帰還するか、州 内の他の旧難民キャンプへ移動するか、或いはクエッタなどの都市へ流入 した。
 新難民キャンプ支援終了に伴い、自主帰還センターで は帰還する難民に対し、配給物資の追加支援を実施。8月を頂点に多くの難民が 帰還の途についた。2004年、バロチスタン州の新キャンプか らは約5万人が帰還したといわれている。

4. 祖国へ戻る難民、戻れない難民、戻りたくない難民

新難民キャンプ終了後、自主帰還センターから帰還する 人々は、旧キャンプ難民を含め、クエッタやカラチなど都 市近郊で十数年間暮らしていた人々が目立つ。なぜ彼らは、 今となって帰る決心をしたのだろうか。「やっと、アフガニスタンが 平和になったからね」と、多くの難民は語る。20年前、旧ソ連侵攻の際に逃 れ、旧難民キャンプに暮らしてきた50歳のムハマド・ナビという男に、世界 に訴えたいことはあるかと尋ねてみた。「欧米など世界各地に離散してし まった全てのアフガン人に言いたい。兄弟たちよ、祖国へ戻って再建と繁栄 のために共に働こう」と、重みのある答えが返ってきた。
 一方、故郷に帰りたくても帰れない人たちもいる。彼らの多くは「治安が 安定したら戻りたい」と言う。長年様々な勢力が対立し続けているアフガニ スタンでは、未だ自分の故郷に戻れない多くの人々がいる。また、何十人も の親戚が共に暮らす大家族制を引き継いでいる彼らの中には、自分たちが帰 りたくとも部族がパキスタンに留まるので帰れない、という者もいる。
 そして、自主的に国外で生きていくことを選択する者もいる。何故か? <アフガニスタンで生きていくには困難が多すぎる。危険である。子どもに良 い教育を受けさせられない。病気になっても必要な治療を受けられない。仕事がな い。電気や生活基盤がない。汚職が蔓延している−。理由 は様々である。アフガニスタンやパキスタンから更に、欧 米諸国へ難民として逃れた親戚を頼り、移住しようとする者もいる。特に、国外で生 まれ育ったアフガンの子どもたちの中には、「現在の良い生活を続けたい。アフガニ スタンに戻ったら、勉強できなくなるかもしれない」などの声が多 く聞かれる。さらに、パキスタンに生活の拠点を持ちつつ頻繁にアフガニスタンへ往来し 、密貿易などに携わる者もいる。

5. 今後の活動

難民というと、支援物資に頼ってテント生活をしている悲惨な人たちとい う印象が一般的であると思う。しかし、「かわいそう」だけでは割り切るこ との出来ない複雑な歴史を背負いながらも、彼らの多くは逞しく生きてい る。難民支援は彼らが国外に留まる間の一時的な支援であり、最終的には彼 らが祖国に帰還することを目指している。バロチスタン州でのAMDAの活動 は、緊急支援の段階を経て中期的な支援への移行段階にある。今後は対象を 難民だけに限定せず、難民支援で構築したレファラル事業などのネットワークを地域住民にも 裨益するよう活用し てゆく方針である。事業の実施により難民が良い状態で帰還できるよう、ま た、何十年もの間難民を受け入れてきた地域住民にも波及効果が及ぶように 目指している。




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