ネパール

ダマックAMDA病院概要


AMDA Journal 2004年 2月号より掲載

ブータン難民支援のための二次医療センターとして、1992年にネパール東部ジャパ郡ダマック市に開設。

1995年より国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)からの委託業務と して、難民に対する医療サービスを提供。

1996年4月、ネパール政府から一般総合病院の認可を受けて以降、地 元住民に対する診療も行っている。スタッフは約80名。年間の外来患 者数は2万人以上、救急患者を含めると3万人を超える。


ネパール・ダマック市 AMDA病院付属 看護師・検査技師学校(保険人材育成センター)に対するヒロ・モリ奨学基金について

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AMDA神奈川支部代表 小林 米幸

数年前、神奈川支部にて医療通訳養成講座を開催していたころ、新聞でその記事をご覧になった 北関東在住の森ヒロ様より発展途上国の女性の地位向上のために使っていだきたいからお金をお預け したいとの連絡をいただいた。森ヒロ様は長く教壇に立ち、常に女性の地位向上のための実践活動を なさってきたそうで言葉の一つ一つに熱意を感じることができた。森ヒロ様のお気持ちに沿うような プロジェクトをたてるべく頭をめぐらせた結果、ネパール・ダマック市のAMDA病院に付設された看護 ・検査技師学校の生徒に対する奨学金制度を設立することとした。

保健人材育成センターの生徒たち
保健人材センターの生徒たち

ダマック市のAMDA病院はブータン難民キャンプの外側に所在し、ブータン難民と地域のネパール住民両方を受け入れる医療機関としてスタートし、現在は 同地域の二次医療機関として地域医療の中心を担うまでに育っている。ネパールで 宗教的に多数をしめるのはヒンズー教徒であるが、ヒンズー教にはカースト制度という厳しい階級制度があり、底辺の身分に生まれた者はよほどの幸運に恵まれることがなければ代々親と同じ職業と貧困を受け継がなければならない。私たちは 努力して貧困を脱したいという明確な目的意識を持ち、看護師・検査技師学校 への入学を望む底辺の身分の子弟に対して奨学金を全額付与するという「ヒロ ・モリ奨学金」を設立することとして森ヒロ様より了解をいただいた。

具体的な運営には現地オフィスと岡山の本部に介入してもらった。まずダマック 周辺の中学校に同奨学金の存在をアピールし、底辺の身分にあってなお成績優秀で 将来は看護師・検査技師になりたいという人物を推薦してもらい、看護師。検査技師の試験を受けてもらう。ネパールの看護師・検査技師学校の入学試験の合格点数は国によって決められる統一試験である。だから合格しても受験した学校の定員人数の中に成績が入っていなければ入学は出来ない。定員に入った底辺の身分出身者の中から現地の意見で2名を選んでこの奨学金を付与し、これを授業料として充てるのである。個人の負担はない。2人分の授業料はおよそ年間7万円近くとなっている。既に今年で3年目となり、無事看護師となって巣立っていった学生もおり、将学生からは毎年、感謝の手紙が現地オフィス、岡山本部、神奈川支部を通じて森ヒロ様の手元に届けられている。(下記に手紙の一部紹介)

奨学生からの手紙

------------------------------------------------------------- 森ひろ様

奨学金をいただき、私はとても幸せです。勉強するためのお金がない私に森様は機会を与えてくださいました。

森様、あなたの奨学金は、人生に光をもたらしてくれました。卒業後は、村に入り、貧しい人々のために働くことを誓います。

お元気でいらしてください。あらためて、厚くお礼申し上げます。

Amira Siwa
------------------------------------------------------------- 森ひろ様

温かいご支援に厚く感謝申し上げます。

私はGita Chaharと申します。入学して勉強を始めたばかりなのですが、奨学生に選ばれるという名誉を いただくこととなり、うれしく思います。

あらためて、お礼申し上げ、皆様のますますのご清祥をお祈りたします。一生懸命、勉強し、誇りをもって生きていきます。森様と、いただきましたご厚意は決して忘れません

 
Gita Chahar
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本来、この奨学金は全てネパールに利率の高いドル建て貯金の形で移しその利子を毎年付与する当初の予定であったが、現地でのドル建て預金のための銀行口座開設に規制があるため、いまだ実現していない。ゆえにモリヒロ奨学金が目減りしないためように横浜国際協力まつりなどに参加してバザーで奨学金に補充しているのが現状である。

私の個人的考えであるが、このように看護師あるいは検査技師の資格を取った底辺身分出身者の子弟が現地の医療に貢献することなく、さまざまな理由で別の地域、たとえば首都トマンズに出て行ったとしてもそれはそれでいいのではないかと思う。なによりもそれは彼女たちが生きて生まれてきたときに全てが運命づけられた。彼女たちの両親、そ祖父母とはちがった道を歩むことができるよになった証拠だからである。

ダマックAMDA病院

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AMDA 派遣医師 岩永 淳

ネパールに派遣医師として赴任して、約半年が過ぎた(2003年10月)。 4月中旬にネパール入りしたのであるが、最初の頃は結構悲惨な状態であったのと思う。毎日下痢続きだったのだ。食事(=カレー)もしょっぱくて油っこくてみんな同じ味に思えて食欲が消失してしまった。時々自炊したのだが、キャベツなどを煮て、塩味だけでうまいうまいと食っていたのだから相当なものだったのではないか。しかし、人間とはなんと素晴らしくできているのだろうか。半年経った現時点では全てがうまく感じるのだ。消化器官系も絶好調、毎日快便である。

赴任地のダマックは、ネパールの南東部に位置する小さな町だ。インドとの国境に近く、周囲には平地が広がり、人々は、サリーを着、頻繁にインドと行き来している。ネパール=ヒマラヤとのイメージしかなかったのだが、なんと、ここは平地なのだ。夏は死ぬかと思うぐらい暑かった。暑いため、二期作ができる。水牛で水田を耕し、家族総出で田植えをし、3、4ヶ月にはもう刈り入れができる。水田には、アヒルやメダカが泳ぎ、蛍が舞っている。のどかな、のんびりした田園風景がひろがっている。そして、人々ものんびり、ゆったりとしている。そんな景色の中にAMDA病院はある。この病院の開業時間は、なんと、朝10時から夕方の5時までなのだ。ちなみに10時は開始時間ではなく、集合時間である。もっと働けよなー、と思うが、仕事のみならず生活全てがこんな調子なので、文化の違いということで納得している。

手術に立ち会う筆者(左)
手術に立ち会う筆者(左)

のんびりとした風景とは裏腹に、病院で目にする光景は結構悲惨だ。肺炎、結核、マラリア・・・。感染症が非常に多い。根本的な原因は、衛生状態と栄養状態にあるのだと思う。ここの手術室に面白い医学書が転がっている。途上国で医療を行う医師向けに書かれたもので、挿し絵が全て黒人なのだ。患者を転送出来ないときは、これこれが手に入らないときは、などと親切設計である。この書籍のなかで、先進国ではみられなくなった疾患だが、というフレーズがよく登場する。

そう、ここで目にしている疾患は、経済の発展に伴って次第に減少していくものなのだ。山から2日がかりで歩いてきた患者も、交通網の発達で、数時間で来られるようになるだろう。保険制度ができれば、金がなくて治療が受けられないような事もなくなるかもしれない。多額の金を落とせば、全て一気に解決って気がしないでもないが、きっとそれは間違っている。開発、改善、援助・・・。何を目指してこれからを行っていくか、と考えるとき、人間のあり方について問われているような気がする。

しかし、ここはネパール。僕が何を考えようと、全てがゆっくり、のんびり流れていく。外来での患者は、ここが痛い、あそこが痛いと、べらべらと早口でまくし立てる。手術のため何も食べずに来い、って伝えたのにしっかり食ってくる。水が止まる、停電する。電話がとぎれる。まさに、神の御心のままに、である。




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