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訪問期間:2003年4月5日〜4月8日
見学場所:産科病棟
実施事項:
4月5日 現地駐在員川崎さんによる
オリエンテーション
4月6・7日 病院見学 実習
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鈴木あかり
1.オリエンテーション
現地駐在員川崎さんよりネパール子ども病院の概要やAMDAネパール事業の説明をしていただきました。
中でもネパール人女性の置かれている状況についての話が一番考えさせられました。
妊産婦死亡率が非常に高い原因には、妊娠出産期に十分な医療を受けられないこともありますが、そこには保健医療以前の問題が複雑に絡み合っていると思いました。
女性の地位が低いこと、検診を受けるなどの妊娠中の管理が十分でないこと、妊婦の栄養不良、若年妊娠、多産、すべてのことが貧困という社会的背景に繋がってきます。
例えば、妊婦検診をどうして受けられないかというと、まず交通手段が日本のように発達していないという環境要因があります。
そうすると女性一人では病院に来ることは困難になります。夫や家族の誰かがついてこなければいけなくなります。
夫は日雇いなどの労働者が多く、病院へ行くために仕事を休まなければならず、その結果その日の収入はゼロになってしまいます。
1日でも収入が減ってしまうということの、ネパール人家族への影響は私たちの生活尺度で想像するのは難しいでしょう。
それなら病院などには行かない、となってしまうのです。
ここで気づいたことは、環境要因はさておき、それよりも女性が一個人として自分の体を自分で管理することができないことが一番問題であるということでした。
日本では女性が一個人として検診にやってくることができます。女性は自らの体を自分で管理しています。
自分でも日本と比べるのがナンセンスかと思いましたが、それでは、どうして日本は今のようになったのだろうという疑問が沸いてきました。
日本も少なくとも昔は女性が男性に管理されていた社会が存在していたはずです。
しかも、それはそう遠くない昔なはずです。どのようにして女性の地位が今の社会のようになったのか、どのようにして女性が自分の体を自ら管理できるようになったのでしょうか。
ウーマンリブやフェミニズム運動、法律での女性の権利保障など、決して平坦ではない経緯を経てやっと今の状態になったのでしょう。
その過程で今のネパールに生かせることがあるのでしょうか。
しかし、簡単に日本と比較できないのは、ネパールの場合は単に社会的な地位が低いというだけでなく、
そこにヒンズー教という宗教要因が深く関わっているからだと思います。
このように、医療以前の問題のことを考えていくと背景自体にアプローチしていくことは非常に困難です。
しかし、医療の使命はそのような状況であっても、一人でも多くの女性の命を守り、生活の質が可能な限り上がるようなケアを提供することだと思います。
そこが、臨床の視点であり大切さだと思いました。
2.ネパール子ども病院での実習
訪問期間中、正常分娩2件、帝王切開後1件に立ち会うことができました。
また、陣痛室での産婦さんへのケアや産褥室での母子相互作用のケアなど、できる範囲で積極的に実習させていただきました。
日本の病院と比べていたら、あれもダメ、これもダメで終ってしまうのではないかと思い、今あるこの現状でどのような点が優れ
ていてどこまで可能性を秘めているのかを常に頭に置きました。そういう視点で見ていくと、今まで途上国医療を見てきた時には見ら
れなかった素晴らしい点にいくつも気づくことができました。以下に感心した点を箇条書きにしたいと思います。
○陣痛室・分娩室で履物を履き替えていたこと。
○家族ぐるみで産婦さんを囲み、待合室はいつも家族で溢れていたこと。
分娩直前まで家族が背中をさすったり、出産直後から夫が妻の世話をしていた。中でも驚いたのが、帝王切開での出産後、
尿器での排尿を夫が助けていたことである。医療者まかせではなく、出来る事は自分達で、という姿勢が見て取れた。
○このように家族が常に側にいて、色々と世話をするということは、産後24時間で退院していく産婦に対して
、医療者→家族へとケアの橋渡しが上手くなされていると思った。
殆どの産婦が出産直前にやってきて、産後24時間で帰っていきます。医療者が関わることができる時間は本当に限られています。
その限られた時間の中で、母乳教育をはじめ、産後の健康教育をしなければなりません。
このときの産後教育がその後の赤ちゃんの成長・発達、そして命にまで関わってくると思いました。
そのあたりで、もう少し積極的に関われたらよりよいケアになると思いました。しかし、ここで私はジレンマに陥りました。
このように、少しでも時間があれば何かをしよう!という意気込みは「日本的」なものではないのかと感じたからです。
現地の看護師たちは基本的なケアはしても、日本のように、例えば「母乳保育のために教育をしなければ!!」と意気込んで積極的に
教育をしようというモチベーションはそれほど強くないように見えました。それはまず彼らの目標、そしてネパール医療のニーズが
「安全な分娩の確保」だからでしょう。しかし、「安全な分娩確保」と「その後の保健教育」を同時に行なう事ができれば乳幼児死
亡率と共に、5歳未満児死亡率も下げられるのではないでしょうか。そしてそれが、助産師、看護師の大きな役割なのではないでしょ
うか。しかし、そこでこちら側の価値観を一方的に押し付けるのではなく、
現地の看護師と一緒に考えてモチベーションを上げていかなければならないと思いました
。また、看護師の意識化と共に患者の意識化も大切だと思いました。
また、ネパール子ども病院が地元の人の信頼を確実に得ていることを強く感じました。同病院のブトワルでの知名度は非常に高く
、自宅分娩が90%というネパールにおいて、これだけ毎日たくさんの女性たちが同病院で出産していくのには驚きました。
そしてその信頼によって同病院は、単に「適切な医療の提供」というだけでなく社会的な役割を果たしていました。
外来見学をさせていただいているとき、妊娠でもなく体の不調を訴えてやってきた女性がいました。医師が異変を感じ
、処置室に案内しました。そこで彼女のプライベートな空間が出来ると途端に彼女は泣き出しました。彼女は夫からひどいDV
(ドメスティク・バイオレンス)を受けていたのです。首を絞められ殺されそうになったと泣きながら訴えました。
やっと安心できる空間に落ち着いて安堵と共に抑えていた苦しみが一気に溢れ出たようでした。医師はそっと彼女をなだめ、
訴えを聞いていました。彼女にとって病院が駆け込み寺の役割を果たしたのでしょう。しかし、ネパールには日本のようにDV被
害者を公的に保護したりするシステムは確立されているはずがありません。不幸なことに、彼女は結局夫のもとに帰ることになる
のでしょう。また、医師の話によると多くの女性が駆け込む場所もなくDVを受け続けていて、彼女のように自分でやってくるのは珍し
いということでした。ここでもまた、ネパールの現状を、女性の地位の低さをまざまざと目撃することになり、胸がしめつけられる思
いでした。
非常にたくさんのことを学ばせていただきましたが、やはり一番印象的だったのは、無事出産してわが子を胸に抱いて退院していく
お母さんの笑顔でした。とても素敵でした。この笑顔、微笑ましい母子の姿を一つでも多く増やすために、今日もネパール子ども病院
ではスタッフが忙しく働いているのでしょう。学生という身分ではなく、将来私もプロとしてもう一度ネパール子ども病院に戻って来
よう、そう思いながらブトワルを後にしました。
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