ネパール

ブトワールの星

ネパール調整員 岸田 典子
AMDA Journal 2002年 6月号より掲載

祝典

子ども病院は、2001年の11月2日、満3歳になりました。そして、その3歳の誕生日から、3ヶ月後の2月9日、待ちに待った新病棟、篠原記念小児病棟の竣工と、3周年記念を、一緒に祝いました。

祝典は2月8日から始まりました。記念式典イブです。イブは、「子ども病院のファミリー行事」にしようという事で、病院のスタッフと、AMDAネパールメンバー、そして、日本より今回の式典の為に駆けつけて頂いたAMDA菅波代表夫妻のみで祝いました。 豪華なお祝いではなく、皆で集まり、ネパールの日常食であるダルバートを食べ、話をしました。そして、昨年一年間特に活躍したスタッフや部署を表彰しました。シンプルなものでしたが、子ども病院らしい夜でした。 表彰を受けた者は、スタッフ全員の前で日本から来た菅波代表より表彰され、はにかみながらも嬉しそうでした。ちなみに、今回表彰された部署は、急患室、外来、薬局の3部署でした。 前年に比べ、急患患者は4,672名(100%)増加、外来患者は7,176名(17%)増加、薬局の売上は80%増加、と昨年一年で大きな成長を遂げた部署です。限られた人数の中で、チームワークを発揮して対応出来たため、これほど大きな成長を遂げられたのだと思います。

2月9日、日本の2月では考えられない強い日差しの中、式典は2時から始まりました。12時半からの予定だったのですが、カトマンズより来て頂いたJICAの吉山チーフアドバイザー、及び、保健省のモハーンバスネット国務大臣らの飛行機が予定より2時間遅れるというハプニングがありました。 (ネパールでは、国内線が遅れる事はしばしばなので、ハプニングとは言えないかもしれませんが。)

式典オープニングの植樹は、日本大使館より来て頂いた神長特命全権大使と、AMDA菅波代表により行われました。将来、大きくなったその木の木陰で、患者さんの家族が休めるようにと、植樹は、普段、患者さんの家族が良く集まり、食事などを作っている所に行いました。

その後、ビーマル院長が、病院の現状や課題等について200名以上の式典参加者に説明しました。そして、AMDA菅波代表のスピーチを始めに、故篠原明医師のご母堂、浪枝さんから頂いた祝辞の発表、AMDAネパール シシル代表のスピーチと、式典は執り行われました。 そして、新しい篠原記念小児病棟のテープカットを行った後、最後に、今回の式典主賓の神長大使と、モハーンバスネット国務大臣にスピーチを頂きました。神長大使は、スピーチの中で故篠原医師についても触れられました。 AMDA菅波知子代表夫人は、そのスピーチを聞いて、篠原医師の事を思い出し、泣きそうになったと、言われました。モハーンバスネット国務大臣は、日本とネパールの友好関係のもとに出来た子ども病院のこれまでの活躍に感謝の意を表されました。 そして、保健省が今後とも、この病院をできる限りサポートしていきたいと言われました。

今回の式典では、子ども病院の存在が、地域にとって、とても大切になっている事、そして、多くの人々の信頼を集めている事が感じられました。また、この病院が、将来、ネパールと日本の友好関係のシンボルとなる事も期待されているのだと、多くのスピーチを聞いて思いました。

私は、2001年4月から子ども病院に関わり、その成長を見てきました。この1年間は、本当に色々な事がありました。2,000人近くの新しい命がこの病院で誕生し、7,000人以上の緊急患者さんが運び込まれ、40,000人以上の患者さんが外来を訪れました。 ネパールのブトワール市を中心とする、それぞれの地域から、様々な経済的、社会的背景を持った子どもと女性の患者が、この病院を訪れました。そして、子ども病院を信頼し、訪れてくれる人たちの期待に答えるべく、ようやく、集中治療室等を備えた新病棟、篠原記念小児病棟が完成しました。 こうして、2月9日の式典を迎える事が出来て、本当に良かったと思います。ビーマル院長も、気持ちは同じで、式典の後、「力を出しきった、満足だ。」という面持で、チヤ(ネパール紅茶)を飲んでいたそうです。 子ども病院のスタッフ、特に、ビーマル院長は、この1年間、自分の時間を多く割き、子ども病院が地域の為に、患者さんの為になるように、日々努力してきました。その甲斐あり、こうして、沢山の人を迎え、喜びと誇りに満ちた式典を行う事が出来、とても嬉しかったのではないかと思います。

新病棟が開設して

2月9日以降、ブトワールは日に日に暑くなりました。4月末現在は、30度を超える日が続いています。しかし、雨季に入る直前のため、強い風が吹き、少し暑さをしのぎ易くもなっています。2月の結婚シーズンも終わり、マオイスト(毛沢東主義反政府ゲリラ)のことを忘れれば、街はとても平穏です。

新病棟が始まり、入院患者さんの増加が見られます。特に小児に関しては、昨年3月(93名)と比べると、今年3月は206名と、倍以上の入院患者さんです。ベットが増えた分だけ、患者さんが増えていると言える数字です。 この要因としては、認知度の高まり、IMCI(小児疾患総合治療プログラム)トレーニングに拠る小児転送ケースの増加等があります。また、新病棟が出来るまでは、ベット数の関係で、収容出来なかった患者さんが居られた事も、一つの要因です。より多くの患者さんが、子ども病院を頼りにしています。

ベット数の増加に伴い、出てきた問題もあります。例えば、朝の巡回(ラウンド)です。小児科では、毎朝、デベシュ医師、ビノ医師が入院患者さんを診察します。しかし、小児病棟、集中治療室、急患室全て、ベット数が倍になり、中部屋、個室も増えた為、巡回に非常に時間がとられるようになりました。 困ったのは、小児外来です。外来は、9時半より開始するのが基本でした。しかし、新病棟ができてからは、毎日、10時半〜11時頃に始まるようになりました。8時から待って居る患者さんは堪ったものではありません。そこで、巡回の方法を変更しました。 現在は、二人の小児科医は交互に巡回へ行き、どちらかは、いつも外来に座ります。そのため、患者さんにはゆっくりとではありますが、9時半より、診療を受けてもらうことが出来ます。その他にも、薬局の移動、集中治療室の管理、料金体制、衛生管理等、色々な事があります。 新病棟建設中は、きちんと病棟が始められるようにと、医療機材購入や、職員の増員を行いました。そして、式典に間に合うように、駆け足で準備をしました。日常業務に戻ってみると、準備し足りなかったと思うところが沢山あります。 今後は、新病棟を含めた子ども病院の、新しいシステム作りが、必要となって来るでしょう。

回診するビノー小児科医
回診するビノー小児科医
乳幼児集中治療室:新生児ケア装置での治療 乳幼児集中治療室:保育器でのケア
乳幼児集中治療室
新生児ケア装置での治療
乳幼児集中治療室:保育器でのケア

最後に(私的)

子ども病院が開設から3年間という短い期間で、ここまで到達する事が出来たのは、奇跡に近いのではないかとさえ思います。このようなプロジェクトに、1年間、関わる事が出来、とても幸せだったと思います。

実は、このような素晴らしいプロジェクトに、自分が調整員では力不足だと、何度も感じました。しかし、幸運なことに、困難にぶつかった時には、いつも、有益な助言を頂く事が出来ました。そのように助言して頂ける先輩方にネパールで出会ったのです。 ネパールには、すごい日本人が沢山いるのだなぁと思いました。この場を借りて、ご助言、ご指導頂いた皆さまに深く感謝したいと思います。

パートナーである、子ども病院院長のビーマル医師、そして、AMDAネパール支部現代表のシシル氏とは、意見の食い違いがあることもありました。お互いの意見をぶつけ合ううちに、「何が患者さんの為か。何が病院の為か。」を何度も考えました。 そして、ベストではないかもしれませんが、ベターな結論を出してこられたのではないかと思います。彼らの居ない、子ども病院や、ネパール支部を想像することは出来ません。子ども病院がこの1年、色々有ったものの、順調に運営してこられたのも、二人の努力があったからこそだと私は思います。

そして、忘れられないのは、日本の支援者の方々です。「ネパールでは、辛いことが沢山あるかもしれない。そういう時には、夜、空を見て下さい。星が無数に見えるでしょう。その星一つ一つが、支援者です。 本当に、数多くの人が、日本から、子ども病院を応援しているのです。だから、頑張りなさい。」これはある方から、ネパールへ派遣される直前に、頂いた言葉です。この一年間、何度、夜空を見上げ、輝く星に力付けられたことか判りません。

阪神大震災の後、一万人以上の方々の浄財でつくられた子ども病院は、多くの方々からの温かいご支援、ご協力を受け、ここまで成長してきました。私の任期は終了しましたが、子ども病院は今後もご期待に添えるよう全力を尽くしていくと確信しています。どうぞ皆様の変わらぬご支援をお願い致します。




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