ネパール

AMDAネパール子ども病院
─4年目に入って─

AMDAネパール調整員 岸田 典子
AMDA Journal 2002年 1月号より掲載


C) 三次医療設備充実

 施設、スタッフの部分と切り離して考える事は出来ませんが、新しい小児病棟の完成により、小児集中治療室(PICU)及び、新生児集中治療室(NICU)が出来る予定です。これはカトマンズ外では初めての試みになりますが、現状ではカトマンズへリファーするしか治療の方法のない子どもたちを、子ども病院がケア出来るようになれば、結果として、患者中心の医療や医療サービスの向上を促進し、首都カトマンズへ転送しなければならない患者数を減少させ、患者の精神的、経済的負担の軽減がなされる事になるでしょう。


3.子ども病院の将来


 子ども病院は、これまで色々な困難に直面しましたし、今でもまだ完全ではありません。しかし、多くの支援者に見守られ、たくましく育っています。数年の内にネパールの少なくとも南西部における小児科、産婦人科のリファーラルセンターとして確立されると思いますし、それが地域からも患者さんからも期待されています。スペースの問題は、2001年に日本からのご支援により篠原記念小児病棟を建設したことで、緩和されるでしょう。2002年は、施設に見合ったマンパワーや医療サービス、医療機材の充実の年です。日本の皆さまのご支援に応えるため、少なくとも院内教育をスタートさせ、図書室を作り、スタッフ全体のレベルアップを少しずつ図っていくと共に、集中治療室を管理出来る技術を持った医師、看護婦等の獲得に努力したく思います。

 子ども病院は、開院当初から、多くの支援者の多方面(建設、機材寄付、差額ベット支援、奨学金制度、少額ローン制度、医療技術向上支援等)に渡る支援を得ることのできた、貴重なプロジェクトです。子ども病院は、今後も、ご支援頂いた皆さまの期待に背くことなく、ネパールにおいては、省みられることの少ない子どもや女性のため、貧富の差やカーストにとらわれず、医療支援を行っていきます。こういった日々の活動が、多くの人々の命を助けることにつながり、また、将来的にネパールの貧困やカーストによる差別に何らかの影響を与えることができるかもしれません。多くの支援者に囲まれた子ども病院は、日本‐ネパール間だけではなく、日本の多くの支援者間の、また、ネパール国内の多くの関係者間の、考え方・文化・背景等の違いを乗り越え、違いを財産にしなければならない、複雑な「多様性の共存」が問われるプロジェクトだと言えます。多くの関係者が関わっている為、色々な意見の相違、考えのぶつかり合い等ありましたが、開院から3年がすぎ、ようやく、子ども病院において、多様性が共存しなければならないという事実を実感として多くの関係者が認識出来るようになったのではないかと思います。今、4年目に入り、違いは財産であるというそれぞれの認識の上にある子ども病院は、ネパールの中西部の人々ために、さらに飛躍していけるのではないかと思います。


 3年間、ご支援いただき、誠にありがとうございました。今後とも暖かいご支援、何卒宜しくお願い致します。

─ 篠 原 基 金 ─


 篠原基金は「ネパールの過疎・貧困地域において、将来的に(母子)医療保健に関わっていく熱意と能力があるのにも関わらず、経済的困難または社会的制約を理由にその能力を開発する機会を奪われている人々に対して活用される」(AMDAジャーナル2000年12月号参照)というコンセプトの下、毎年人材育成のために有効に活用されています。2001年度の篠原基金はマノーズ・シュレスタ医師に与えられました。彼は、2001年11月号のAMDAジャーナルでAMDA兵庫代表の連医師が紹介しているように、8ヶ月間兵庫県立こども病院で小児外科を学んだ後、AMDAネパール子ども病院で1年弱働き、現在、バングラデシュのBangabandhu Sheikh Mujib Medical University(BSM医科大学)に留学し、小児外科を学んでいます。


 2002年度の篠原基金については募集の締めきりが2001年の11月末でしたが、合計20名もの応募者がありました。


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