ネパール

ブトワールにおける保健衛生教育パイロット事業

公衆衛生コーディネーター 小田 容子
AMDA Journal 2001年 6月号より掲載

プロジェクトの近況

 2000年9月より始まったAMDAネパールの保健衛生教育パイロット事業も8ヶ月が過ぎた。当初2地区、4つだった対象女性グループも3地区、6つになり、また我々フィールドスタッフ側も3人から6人に増員された。毎日とは いかないまでも、週に平均3回、多いと4回はフィールドに出ているよ うな今日この頃である。グループとの良い関係を保ち、発展させていくには、特に集中して何かのプログラムを実施中でなくても、1つの グループを最低2週間に1度は訪問したいところだ。1月に1度3ヶ月先までの大まかな予定を作ってみてはいたが、1月下旬から2月 にかけて、ネパールでは年中で一 番の結婚式のラッシュの期間にぶつかり、約束の日にフィールドに行っても2 〜3 人しかグループメンバーが来ておらずがっかりするという事に何度も遭遇した。 この国では縁起が良いとされる決まった月の決まった日にしか結婚式をしない。 という事で集中するわけだ。電話もないところなので確認して から出かけるというわけにもいかない。それならなぜ前に行った時次はこの日に来て欲し いと言ったのか、結婚式の日なら前もってわかっていたはずなのに!と責めてみても、もともと今日が何日だとかいうことにあんまり注意を払わずに生活している彼らにとっては、次は何日でいいか?と聞かれても、その場では いいという返事をするしかないであろう。というわけで2月はどこのグルー プも、ほとんど何も進展がみられずじまいに終わった。3月 に入ってもうい いだろうと思って行って見たら今度はトリ(マスタードで、油をとるのに重 要)の刈り入れシーズン到来。又2〜3週間ほどこれが続く。それでもこんどはメンバーの家に農作業中の彼女ら を訪ね、近況をたずねる短い話をかわしたりすることで忘れられないように 努める。グループで集まってのミーテ ング時には出来にくい、個人的な家庭の事情や、考え方などにふれるチャンスだ。一見無駄に見えるこのような会話が本音を聞き出せるきっかけになったり、また思わぬアイデアを生んだ りする事があるのであなどれない。 地域に出た日は、たとえその時は無駄足 だったと思っても結局は何かしら得る所があったと後でわかるという事 が幾度となくあった。


グループと付き合う上で経験した問題点

 この様に、地域での仕事は予定どおりにいかない事が多い反面、偶然や、 ハプニングによって思わぬ助けに出会ったり、よかったと思える経験が出来たりすることがあるので、あまり感情的にならず、あせらず、柔軟な対応 がツキを呼ぶと言えそうだ。新しいグループと知り合って2〜3ヶ月間は少な くともグループの特徴を把握するのと、我々が何をしに来たのかをわかってもらうために最大の努力をしないといけない。この国の女性たちは概して控えめであり(貧しい階層では特に)、自分から本音を言わない事が多い。無理に喋らせようとしても、よそ行きの言葉しか聞かれないこともある。また、中には依存性の強い人々もいて、 外国人が、プロジェクトを持って来たと聞くや否や、必ずお金を落として行ってくれるのだという、すでに援助がどこかの国から入ったことのある地区の人ではそういう期待をする人が少なくない。我々の側では、出来るだけ過去にそのような援助が入っていない地区を選ぶ様、グループの選別時に気を つけている。それでもネパールの国自体、他国の援助なしには毎年の予算が賄えていないのが現状であり、地域のオフィスにはやっぱり我々 AMDAもお金を落としてくれると期待されやすい。こういうプロジェクトをやる時は地元の村役場やヘルスポストの了解と協力を得ることがかかせないのだが初めに我々の目的及び方針をわかってもらうためにきちんと話をしておかないといけない。

 一方、このごろでは地域開発関係のプロジェクトでは次第にプロジェクト側主導型から地域住民主導型にかわ ってきているのが世界的な傾向のようだ。当プロジェクトでもグループの自主性を重んじる為に、我々の介入は 最小限にし、彼女らの潜在能力を引き出すことに重点を置く原則を とっている。当然待つ姿勢が必要となる。あせりは禁物なのである。5人のネパール人スタッフ達にも努めてグループから動き出すのを待つように常に言って いるのだが、つい待ちきれずに誘導的になりすぎたり、説教してしま ったり、決断をせまるような圧力をかけたりしてしまうことが初期には特に見られた。あるグループではトイレが是非必要であるという事だったのでトイレ建設に向けて具体的な話を進めて行く途中、グループの中には、みんな が要ると言うので賛成はしたが本当はトイレ なんか要らない、自分は畑で済 ますほうがいい、という者もいたことがわかったり、我々からのお金の補助 が少 ない額であるとわかったとたん、止めると言い出す者が出たりで、結局このグループでのトイレ建設プログラ ムは中止となった。2ヶ月間費やしてアンケート調査をし、衛生教育を行 い、何度も話し合ったうえでの事だったので スタッフの中には最後までトイレを1つでも作ろうと言って頑張る者もいたが、私は本当の意味での啓発には至って いない段階と判断し、しかも依存傾向が強くこちらへの過剰な期待 があり、グループ側に受け容れ体制も整って いないと見られる今こちらが過剰な介入を行う事は止めるべきだと言った。おそらくもしここでトイレを作 っていたとしても実際使用され、かつ掃除など管理がきちんとなされた可能 性は低いであろう。プロジェクト側の自己満足にすぎないような事はするべきでない。このように途中でつまずいた場合、我々側の待つ姿勢が足りなかっ のでは?と振り返ってよく考えてみることが必要である。

進歩が見られたグループの例

 また別のグループでは初めから識字教室を行いたいので金銭面で援助して 欲しいというのだが、聞いてみると 教科書、文房具、教師の派遣、そして教師の給料まで全部AMDAで賄ってくれたらやる、というのであった。いろいろなNGOが識字教室をやることがあるのだが中にはすべて面倒を見てい る団体もあるらしい。われわれのプロジェクトではそれは不可能であり、自分たちにも出来る事はないかをもっとよく考えてみて欲しい、たとえば 本当に村の中に1人も教師をできる人材が いないのかどうかや、教師の給料のうち何割かは自分たちで出し合って 運営 していくことができないのかについて話し合ってみて欲しい事を話した。それとそもそもどこから識字教室を やる話が生まれたのか、つまりなぜ必要なのか、教室をやる意義はどんな事にあるのかについても明確にした うえで、 プロポーザルを作成してAMDA側に提出することなしにはどの程度AMDAで補助できるかも決められない ことを説明した。その後、いったん はグループでは全面的な支援がないのなら自分たちのような貧乏な者達には 識字教室のために出せるお金があるわけないので、教室は止めようということで、そのままになっていた。 我々も、彼らの識字教室の意義そのものが明確 でなかったものと思い、今後どうするかは、彼らが動き出すまでこれについ ては口出しせず、ほかのメニュー(村のHealth関係の情報集めや教育ビデ オの上映会など)を 行いつつ、訪問を続けていた。3ヶ月が過ぎたある日、グ ループ代表から、識字教室をやっぱりやりたい。自分たちも お金を出し合うよう努力もする、教師をやってくれる人材も村の中でなんとか候補が見つ かった、という申し出が あった。我々は大変嬉しく思い、さっそく識字教室 のためのプロポーザル作成をメンバーと話し合いながら行った。 ほんとうは メンバー自らの力だけでプロポーザルを書いて我々に提出できるのが理想なのだが、グループ内で文書を 書いたりできる者はいないので我々が彼らの為 に代筆して作成する形を取ったのである。こうして要請背景、実施 目的、到 達すべきゴール、期待できる効果、実施方法、及び予算の見積もりからなる プロポーザルが完成した。 これはブトワルの事務所でタイプされた後、プロジェクトコーディネーターがチェックし、補助金、補助物資の決定を 行った。 教室実施に際して契約書がプロジェクトとグループの間で交わされ、双方の責任と義務が明確にされた。 グループには識字教室運営委員会を組織しても らい、教室の場所確保、毎月の教師への報酬の管理(集金と補助金を 合わせ て決められた額を支払う)、出席簿をつける、その他教室関係の問題の解決 等のためのいわゆるマネージ メントを担当してもらうことにした。


 このメンバーのなかでも識字教室参加者による委員会という制度はいわば画期的といえる。これまで家庭から外に出る機会も少なかった読み書きもで きない、保守的で封建的な性格の強いネパールの僻地の貧しい農村の女性が 自分たちのグループの為に民主的に力を合わせてうまく教室を運営するための委員会を組織できたという、それだけの事が実は大きな意味があると私は思う。3ヶ月前の彼らとは大きく変わったと感じた。

 もちろん急にそうなったのではなく、保健衛生教育を1つずつ行うその 訪問のたびに少しずつではあるが手応えのようなものを感じてきていた。そ して聞き取り調査でスタッフが一軒一軒、炎天下の中、遠く離れたメンバーの家を回った事も我々とグループの親密感、信頼感を高める上で役立ったのは確かである。

大切な正しい情報収集

 さらに2月の末には2泊3日でスタッフ3名が現地に泊まりこんでメンバ ーと寝食を共にする、参与的観察の方法 も別の情報収集として使われた。こ れによりアンケートによる分析や話し合い等とは違って、実際見て確かめる 事により、これまで得られた情報が正しいかどうかを知る事もできた。この 国の人は知らないよそ者に対して本当 の事を言おうとしない事が多々あるからである。もしプロジェクトの拠点を地域に置き、スタッフは村に住民と共に 暮らしながら活動することができるとしたら、その村の事情を最もよくわかることができるのだが、今はブトワル市 から各村を訪問する形式をとっているので正しい情報を得るのに時間がかかるのである。いくら時間がかかっても この段階をおろそかにすることはできない。まちがった情報に基づいてつくられたプランは人々のためにならない だけでなく、費用の無駄遣いになってしまうからだ。

 いつもスタッフに言っている事だが、村を知ろうと思ったら、とにかくグループの話を聴き手に徹して聴くことだ。 スタッフの多くはCommunity Medical Auxiliary(CMA=村落医療補助員)という資格を持ち、この国ではヘルスポ ストやクリニックで患者に対して指導するような仕事をしてきた人達で、また受けたトレーニングもそのようであっ た と思われるため、たとえ話し手が間違ったことを言っても黙って聴いていなければいけないのであるが、つい 指摘したり正したり説教したりしがちである。そのような態度だと村人はありのままを話さなくなってしまう可能性 がある。やっぱりどんな田舎の人でもプライドがあるからだ。情報収集をする時はありのままを聴き取り、それから聴いた話をそのまま話し手に返してあげながら、グループで 集まり、一緒に問題点を見つけていこう、というやり方がどうやらいいように思う。あなたはたしかこう言われて いましたね、と後で返してあげると、言った本人は自分の言った事を真剣に聞いてくれてうれしいと感じるようで ある。こういうことは何でも事のように思われがだが、慣れていないとつい間違いをおかしてしまうので、スタッフ は自分で気をつけていないといけない。私も含めて我々スタッフは一人を除き、地域でのしごとに関しては初心者で ある。9年Communityでの経験があるというスタッフの一人はさすがだなと、いつも感心してしまう。聴き取りの仕方、 メモの取り方から、村人とのさり げない会話の仕方など、自然で、かつ必要なツボは押えていて、そしてタフで、 それはきっと長年のうちに身についたものであろう。半年や1年ではま だまだ修行が足りないのだろう。

今後について考えること

この保健衛生教育というプロジェクトは、試験的なプロジェクトであり、 2002年の3月までは継続が決まっている が、その先については未定であ る。来年の3月まで、すなわちあと約10ヶ月あるのだが、その間の効果如 何に よって、将来今より大きなプライマリーヘルスのプロジェクトが改めて 組まれるか否かということになるそうであ る。この8ヶ月を振り返ってみ て、本当にあっという間だったように感じる。大した事は出来なかったよう に思う。 プロジェクトの要である Sustainable Developmentが実現できるためにはまだまだ時間がかかるだ ろう。村の女性グループとの交流は 楽しく、各グループとも個性があって、 張り合いがあった。世の中には貧しくても、社会的に不利な立場にあって も、不満を言わず、欲を出さず、楽しく助け合って生きている人々がいたこ とを知り、同じ人間でもこんなに違うも のなんだと驚きもした。最も無学で 貧しいはずの人の出した知恵に心底感動を覚えた時もある。貧しいとか教育が 無いとか一口に言ってしまっているが、グループの問題点はみんな違うの である。ひとつ確実に言える事は、村の 女性達は我々が想像した以上に秘め られた力と知恵を持っているということ。上手にそれを引き出すことができれば すごくいろんな事が出来るのだが今まではまだまだ出せていない。それ にはグループの機能が今よりさらに向上する 必要がある。1〜2年やそこら ではまだグループとしての結束力がタイトでないことが多いし、初めUNDP(国連開発 計画)の方からグループを作る様に半ば強制されて作られたところもあったりで、自分のグループに対して思い入れが 強い人はまだ一部にすぎない。UNDPのワーカーでグループの結成と運営をヘルプする、ソシアルモビライザー達とよく話すのは、各グループに、 ちょうど識字教室のあるグループで組織されている運営委員会のような健康管理委員会または保健委員会を作り、自分 達のあらゆる健康に関する問題の解決ができるようにすれば、将来ずっと、UNDPやAMDAの援助がなくなったあとも彼ら 自身の力で健康を守ることができるのではないかという可能性である。この案は、ことあるごとにグループのメンバー 達に提案として持ちかけているのだが、まだどこのグループでも実現には至っていない。これが実現して初めて、 我々が安心してグループより去ることができるのである。


 私は個人的な事情の為、残念ながら5月いっぱいで退職することになった。正直いえばもっと続けたかったので残念で あるが、ネパール人の後任が引き継いでくれることになっている。8ヶ月にわたるプロジェクトでの経験は、他のどこ でもできないものであり、忘れがたいものである。多くのことを勉強させていただいた。

 最後にこの事業を支えてくださったJ.S.Foundation、小田地原北ロータリークラブに心より感謝したい。




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