ミャンマ−

コーカン特別区総合支援
プログラム現在進行中
-step by step-


AMDAミャンマー 岡安 利治
AMDA Journal 2004年 12月号より掲載

はじめに

住民参加型事業を進めるに当たって、私がいつも口うるさいほどにスタッフに協調する言葉が、 「step by step」である。階段を一つ一つ踏みしめるように段階をしっかり踏みこんでいかないと途中 で階段を踏み外す(プロジェクトが十分に住民を巻き込んでいない)という意味を込めている。このコーカ ン特別区という国境沿いでNGOの参画がなかった地域で、ミャンマー事業として初めての異文化での事業に ぴったり当てはまる言葉であり、また自分自身、身にしみて感じる言葉である。
 2002年10月に赴任して以来この国で2年が経とうとしているが、プロポーザルができあがった時点 (2003年7月)では、今日現在(11月1日)までに、私の見込みではこのプログラムは45%から50%が経過 していていいはずであった。今のところどこまで経過しているかと問われれば、15%から20 %というとこ ろであろうか。特殊な政治事情に常に左右されている。特にミャンマー批判が高まった2003年には新規案 件採択が見送りといった事情もあった。現在は3プロジェクトのうち1プロジェクトが軌道に乗り、残りの 2プロジェクトも契約が無事終わり、スタッフが揃い、ロジステックがある程度整ったといったところで ある。

1.全体像

ミャンマー国東北部に位置し、中国雲南省と接しているコーカン第一特別地区は標高800mから2500mの山 岳地帯であり、いわゆるケシ栽培が盛んな「ゴールデントライアングル」の中心地であった。ミャンマー政 府、中国共産党勢力であったMNDAA(Myanmar National Democratic Alliance Army)と呼ばれるコーカン自 治政府、国連、日本政府などの支援により2002年でケシ栽培を撲滅している。しかしその山岳気候、アクセ スの困難さに適したケシ栽培から、他の代替作物の栽培技術移転が進まないなか、静かな「食料危機」が進 行している。
 コーカン支援プログラムは、以下の3つのプロジェクトがある。A.ラオカイ市貧困農復興支援計画(緊急 食料支援)、B.ラオカイ県立病院医療資材支援計画、C.ラオカイ特別区プライマリーヘルスケア事業であ る。BおよびCは特別区内の第一次公共医療施設および第二次公共医療施設へ支援(地区内には第三次公共医 療施設は存在していない)と言った総合的な試みであり、Aの事業も2003年に対象地区であるシャオカイ村 区では56名、マンロー村区で25名がマラリアの突発流行で亡くなっている。また50%以上が乳幼児であった という地域であり、まさに包括的なプログラムデザインになっている。
 コーカンの歴史に関しては、吉田直子氏の記事を参照いただきたい。ある資料によれば、コーカン地区と ミャンマーをわけているタンルィン川を第二次世界大戦中に2000人以上の日本兵が渡ってコーカン地区に 入っていたようである。またターシュエタンという街には抗日の記念碑が建っており、80 名の兵士が日本 軍によって殉職したと記載されている。

2.特別区を支援するために

コーカン地区は15ある特別区のなかで、もっとも早く、もともとの反政府勢力がミャンマー政府と停戦合意 に至ったため、第1区と呼ばれている。 AMDAとして2003年6月からコーカン地区支援を準備していたが、や っと 1年を経て、支援ができるようになった。(政治的に微妙な地域であるという背景もある。)ミャンマ ーという国で支援を行うためには、カウンターパートとなる管轄省庁と覚書を結ばなければならない。AMDA は1996年から保健省とMOU(覚書)を結んでおり、保健医療事業であれば、ミャンマー国どこでも事業がで きそうであるが、特別区は国境省という省庁があらゆる管轄をしており、今回、新たに国境省と覚書を結 ぶ必要性がでてきたので、昨年10月ごろから準備を進め、ようやく今年8月9日に署名をおこなっている。 しかしながら外国人の入国制限が厳しく、今のところ3週間を最大限に同地区内の滞在が認められている状 況である。毎回、特別区に入るたびに情報省スタッフが外国人に1日中同行する。(10月末に、首相が交代 して依頼、情報省がなくなり、警察および国境省職員が同行するようになった。)3週間をどう活かすのか 毎回頭を痛めている。 11月からは日本人スタッフがとぎれないような戦略をとることにしている。
 首都ヤンゴンからマンダレーまで1時間半の飛行機(予算が十分でないときはバス)で行き、中継地点と なるラショウまでトヨタカローラバンタイプの4人乗りタクシーに乗り6時間、またラショウから同様のタ クシーに乗り 6時間、バスに乗った際には宿泊も含めて計48時間費やしてコーカン中心都市ラオカイに着く。 人間30半ばになると移動のきつさが身にしみるのだろうか、移動を苦にしない二十代半ばのスタッフ吉田氏 の若さをうらやましく思う。

3.コーカン特別区の様子

コーカン地区第一の都市ラオカイ市には24時間電気がある(しかし不定期に停電する)。これはヤンゴン以外 で異例のことである(ヤンゴンでも24時間電気がない地域が大半である)。というのは電気はミャンマー側 から供給しているのではなく、中国雲南省から導入しているためである。通貨もミャンマー通貨のチャット ではなく、中国元が通常流通している。ラオカイ市内にはミャンマー通りと呼ばれる界隈があり、ミャンマ ー料理屋、御茶屋、各種店舗など存在するが、いわゆるミャンマー人は少数派である。言語もコーカン語と 呼ばれる中国語が主流ではあるが、雲南訛りというか、北京語に比較してかなり方言が強い。街にはケシ栽 培、麻薬ビジネスで潤ったときにできたと思われるホテル、中国流カジノが存在する。 同地区は中国雲南省からの出稼ぎが多く、そのためにミャンマー国内に比較して人件費も高めである。イン ターネットカフェも数店存在し、携帯電話も流通し、ちょっとした発展途上国首都のような雰囲気もある。 しかしながらケシ栽培が禁止されて以来、空きが目立つようである。私達の事務所はトンジャン(東城) というラオカイ市郊外のどちらかというと住宅地区であるが、これから開発されようとしていて、急に停 滞してしまったかのような印象があり、ケシ経済の衰退を感じざるを得ない。
 一歩ラオカイ市を離れると別世界が広がる。メインの道路を離れると粘土質の道路が村々をつなぐが、四 輪駆動車でないと走ることができない。プロジェクトで北京ジープを購入しているが、走るたびに修理をし なければならない。ここだけでなくミャンマー国内のプロジェクト車両も走るたびに修理しているが、ここ の道はさらにひどく、時に車を壊すために走っているような感覚に陥る。車にチェーンを携帯するが、これ は雪道を走るためでなく、雨季にぬかった道をスリップを防いで走るためである。さすがに雪道以外でチェ ーンを使う経験は今まで訪れた国々ではなかったことである。

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