ミャンマ−

コーカン特別区総合支援
プログラム現在進行中
-step by step-


AMDAミャンマー 岡安 利治
AMDA Journal 2004年 12月号より掲載

         
コンチャンからラオカイへの道
途中で出会った村人
マンモ−村の家族
4.自分の足を信じて

コーカン地区において、ミャンマー側からラオカイ市までのメインロード周辺は比較的アクセスもよく、国 境地帯を除く一般のミャンマー国内と大差はない。しかしAMDAの緊急食料支援対象の村々はそうではない。 えぐれた道を北京ジープで走り、アクセスのできる村に辿り着いたあとは寝袋と最小の食料を抱え対象村へ 出向いて行く。村と村をつなぐ道路は、道路というより獣道といったほうがいい道ばかりである。道の交差 地点では標識もないため、村人にガイドの役目をしてもらって村々を訪れる。小学校やお寺、村長の家に泊 めてもらいながら村々を回る。まさに村人の協力もないと事業は進まない。村と村の距離感は対面の山に隣 村が見えるといった感じで、まだ見えれば良いほうで、「あの山の向こう側が隣村」と言われると疲れた体 に鞭を打つのがきつい。通常、村と村の間には1時間から2時間程度歩かないと辿り着けない。一番遠い村 は車両でアクセスできる村から14時間以上歩かなければならない。二日がかりである。歩いている途中に雨 が長く降り続く、雨季に移動するのはなんともいえないものがある。また村人と私達スタッフの歩く速度は 非常に差があり、近道などもあるようで、彼らが1時間というなら、1.5倍から2倍ぐらいは見ておかないとい けない。自分の足を信じて歩き、1つの山の村から別の山の村へ移動すると、人間の足はすごいものだと自画 自賛してしまう。

5.辺境で働くスタッフ

現在、食料支援プロジェクトに関わっているミャンマー人フィールドスタッフ10名のうち9名は男性であ り、「ジェンダーバランスが整っていないではないか」と批判されそうであるが、首都から遠く離れた国境 周辺地域の悪条件のなかで働くこともあり、なかなか女性は集まらない。実際、事業内容を説明すると、後 日親が許してくれないといって採用を辞退するケースもあった。高いモチベーションと国境周辺で仕事をし てみたいというスタッフを採用したが、常々彼らのモチベーションをどう継続させようかと試行錯誤してい る。ずばぬけて高い給与を払えば問題は解決するかもしれないが、NGO の資金源の限界もあり、いかに彼ら のプライドをくすぐり、気持ち良く働いてもらうかである。食料支援プロジェクトスタッフのうち1名は中 部乾燥地帯事業へ移動、ヤンゴンから来た1名は辞職したが、スタッフも3ヶ月を過ぎ安定してきた。やや他 のミャンマー事業スタッフに比べ平均年齢が高く、男性が多数なので「おやじ集団」ではあるが、残ったメ ンバーは非常に良いチームワークで仕事をしている。プライマリーヘルスケア事業では「母と子」が対象に なることもあって、今、懸命に女性スタッフの増加を計っている。

6.事業計画から現在を振り返って

国境周辺の事業にはロジステック(車両、通信設備、移動、物品購入、治安など)の様々な問題、文化の違 いがでてきて、費用も労力もばかにならない。UNHCR、UNDPの大きなファンドがバックにないと、特に日本 の NGOはなかなか辺境での活動ができないものである。きっと私がこの地域にひかれたのは、2002年にベト ナム北部山岳地域で世界銀行プロジェクトのコンサルタント業務を請け負った際に、辺境地域の少数民族支 援に携わった経験が、もう一度あのような地域で仕事をしたいという動機を高まらせたのだと思っている。
 振り返るとなんらかの問題が面白いほどに次から次にでてきた気がする。ミャンマーという特殊事情の国 柄に、特別区といった少数民族問題が絡んでいるのだろうか?7年間AMDAでかかわった事業のなかでも格別 にプロジェクトを進めるうえで、困難が降りかかってきた気がする。これからも何かと問題がでてくるだろ う。わたしのカウンターパートである保健省保健局公衆衛生課長がこんなことを言っていた。「だから初め から言っただろう?あの地域の事業は格別に難しいって。もともとミャンマー人と日本人の流れる時間は違 うんだよ。確かに君たちは良いことしているのだから、進まないことはない。だけどここでは時間がかかる んだ。」

7.今後の課題

事業が始まって、ヤンゴンから連れてきた通訳が台湾中国語なので、ここでは通じないということがわかっ たり、ここではコーカン人につぐ少数民族がパラウン人であるために、敢えてパラウン人を雇用したが、パ ラウン人も様々に分かれているようで、彼の話すパラウン語はコーカン地区内ではあまり通じないこと、他 のスタッフの記事にあるようにトイレのない村が多いこと、パラウン人の家では家のなかで火を熾すために 蚊や害虫など少ないこと、まさに事業を進めながら私達は彼らから学んでいる。スタッフが言う。「ずっと 同じ生活を続けてきたのだから彼らの行動は変わらないよ。」「女性が表に出たり、意見を言ったりできな いよ。」しかし参加型手法を使い始めて、きっかけが見え始めている。まだまだスタッフ自身の意識改革が 必要だけれど、希望の光は見えている。まだコーカンプログラム始まったばかりである。次回、ジャーナル に記事を書く時には何かが変わってきているだろう




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