ミャンマー

ミャンマーの村で働くヘルスワーカーの働きと村人たちの受診行動

産業医科大学公衆衛生学 劔 陽子
AMDA Journal 2003年 1月号より掲載

今年もAMDAミャンマーを訪問させて頂いた。3度目の訪問である。最初の滞在は約半年間、AMDA医師として主に巡回診療を担当していた。その後、産婦人科医を続けながら、主に公衆衛生学教室で研究や活動をしているのであるが、昨年からミャンマーの村で働くヘルスワーカーの働きを調査させて頂いている。 ヘルスワーカーたちの働きに興味を持ったのは、1997年の滞在時からである。当時、巡回診療は村にあるRural Health Center(RHC)やRural Health Sub-Center(RHSC)を拠点として、そこで働くヘルスワーカーたちの助けを得ながら行っており、よく雑談の一環として彼ら/彼女らの仕事について尋ねていた。 彼らから聞いたところでは、RHCやRHSCで働くヘルスワーカーたちは日本の看護職とは異なり、薬の処方や簡単な処置を任せられており、その職務内容は予防から、治療、助産にわたる幅広いものであるようだった。 この国の医療事情や、病気の特徴などを大して知らない、自分のような若い日本人医師よりも、彼らの方がよっぽどいろいろなことができるように思え、当時ミャンマーにおける自分の存在意義を見出せなくなったというのが正直なところである。 しかし、それではなぜミャンマーの医療事情は、「劣悪」とも言える状況から脱することができないのであろうか。どこに手を差し伸ばすことで、限られた予算で、効率的でかつ持続可能な援助ができるのだろうか。その答えを捜し求めて、今も調査を続けている。

今回の調査で(と言っても、小さなインタビュー調査に過ぎないのであるが)垣間見ることができた、ヘルスワーカーたちの働きと村人たちの受診行動について、少しばかり紹介したいと思う。

ミャンマーの村における保健医療システムとヘルスワーカーについて

ミャンマーでは保健省のもとに、管区/州、郡、町、Village tract、Villageという各行政区単位に公立の病院やヘルスセンターが配置されている。地域への保健サービスの供給は町レベルで行われ、町病院にステーション病院が付属し、その管轄下にRHCが、RHCの管轄下にRHSCが存在する。 Village tract、Villageレベルの住民たちに近いところにある医療機関は、RHCやRHSCと言えよう。

ステーション病院までは医師が常駐するが、RHC以下の施設では医師はいない事が多い。RHCの長は普通ヘルスアシスタント(HA)である。HAの職務は、ほとんど医師に近いと思ってもらっていいだろう。患者の診察や投薬、健康教育などを行っている。 他に日本の保健師に近い業務(診療や投薬も行っており、HAがいなければRHCの長となることもあるが)を行っているレディヘルスビジター(LHV)や、主に助産など母子保健業務に関わる助産師(MW)、環境衛生や健康教育に従事する衛生監視員(PHS1, 2)と言った職種が公務員として存在している。 給料は職種によって異なるが、月額4000〜6000チャット(2002年11月現在1ドル=約1000チャット)程度のようである。HAやLHVの責任の元に、RHSCではMWやPHSたちが活動している。 村には他にボランティアのヘルスワーカーとして、準助産師(AMW)やコミュニティーヘルスワーカー(CHW)などが働いており、彼らの仕事内容は場所によって異なっているようであった(つまり、公務員のヘルスワーカーたちが近くにいる地域では、あくまでも彼らの職務をサポートする程度の活動を行っており、近くにいない地域では、ほとんど独立して投薬や助産なども行っている)。

ヘルスワーカーたちへのインタビューから

「一応土日は休みですけど、お産があれば呼ばれますし、休日はないようなものです。自分はRHSCに住んでいて、両親は遠くの町に住んでいます。月に一回くらい両親に会いに行きますが、普通は両親の方が会いに来てくれます」

(30歳代MW女性)

「自分の育った村は、とても医療事情が悪かったんです。だから、HAになることを決意しました。いろいろな病気を診ていますが、自分では手におえず、町病院に送る例も年間20件くらいあります。毒蛇咬傷やひどい骨折などの重篤な外傷などで送ることが多いです」

(60歳代HA すでに定年しているが、後任がいないので働いている男性)

「自分の主な仕事は、村の衛生状況を監督することで、家々を訪れてちゃんとしたトイレがあるかどうかや、飲料水に適した水を飲んでいるかなどをチェックしています。予防接種の手伝いや、健康教育も行っています。通信制の大学で勉強も続けており、将来はHAになりたいと思っています」

(20歳代PHS2男性)

「何か村人の役に立ちたいと思い、CHWになりました。具合が悪くても、医療機関を恐がって受診しない人も多いので、村で具合が悪そうな人を見つけたら、RHSCに行くよう説得したりしています。村人に相談されて、薬を処方することもあります。 最初のトレーニングのときに、CHWでも処方が許されている薬のキットを政府からもらったのですが、その後支給はありません。自分で買ってきて、原価で売っています。CHWの仕事はボランティアでやっているので、政府からの給料は出ません。 一番困ることは、CHWの仕事をしているときは自分の仕事ができないので、収入が減ることです。でもCHWを辞めたいと思ったことはないですね」

(40歳代CHW男性 普段は農業に従事)

「自分の担当地域では、お産は月に3〜8件くらいです。お産のときは、臍の緒をはさむペアン、臍の緒を切るはさみ、赤ちゃんの体重を量るはかり、赤ちゃんの心音を聴くトラウベ聴診器を持って、産婦さんのいる家に行きます。 ボランティアなので、政府からはお給料をもらっていませんが、お産を取り上げると時々お礼としてお金をもらうこともあります。時々、最寄りのRHSCで働くMWから研修を受ける機会があります」

(40歳代AMW女性 普段は農業に従事)

「この村では、一つの家庭に子どもは4〜5人程度いるのが普通です。避妊はお金がかかるのであまりしたがらないのですが、デポプロベラ(注射による避妊法)が一番人気があります。コンドームを使っている人はいないですね。一応勧めるんですけど、みんな嫌いみたいです」

(30歳代AMW女性 普段は農業に従事)

「村では、エイズ患者はあまりいません。以前二人、それらしい人がいました。二人ともヤンゴンから帰ってきた人たちで、やせ細って、いろいろな症状が出て、死んでいきました。ちゃんと検査をしたわけではないですが、症状からエイズだろうと思っています。 葬式に参列する人の数は、いつもより少なかったですが、あからさまな差別はなかったです。最後まで家族が面倒をみて、私も時々往診に行きました。残された子どもたちは、親戚の者が育てているはずです」

(50歳代LHV女性)

村人へのインタビューから

「私はまったく健康で、頭が痛くなったことも、お腹が痛くなったことも、熱が出たこともないです。MWのお手伝いのために、ちょくちょくRHSCには来ていますが。ちょっと調子が悪いようなときは、家にあるミャンマーの伝統薬を飲んだりします」

(50歳代男性 農業従事者)

「20歳代の娘が高い木から落ちたことがあり、そのときは病院に連れて行きました。隣村まで車を呼びに行き、病院まで乗せてもらって1000チャットかかりました。しばらく入院しましたが、病院には19万チャット払いました。お金はとても足りず、牛車を2台売ってお金をつくりました。 娘は足に少し麻痺が残っていますが、元気です。ただ今までのように働くことはできなくなりました」

(50歳代男性 農業従事者)

「とにかく交通手段を何とかして欲しいです。RHSCで手におえず、急いで病院に行かなくてはならない状態でも、最寄りのステーション病院まではトレーラーで1時間、牛車で3時間はかかります。町病院はもっと遠いです。道は悪いし、助かるものも助かりません」

(60歳代Village leaderの男性 元教師)

「以前母が毒蛇に咬まれました。毒蛇だとわかってはいましたが、その時は病院に行ったらどんなことをされるかと恐くて、しばらく家で具合をみていました。いよいよ具合が悪くなったのでCHWに相談したら、慌てて村のトレーラーを手配して、病院に行く手はずを整えてくれました。 咬まれてから 1日経っていたのですが、何とか助かりました。うちにはお金が全然なかったのですが、村の人たちがお金を出し合って助けてくれました。この村では困ったときは助け合うのが当たり前で、特に借りたお金を返さなくてもいいのです。もし今度毒蛇に咬まれることがあったら? 今度はすぐに病院に行きます」

(40歳代女性 農業従事者)

「この村にはHIVに感染した人は今までいません。もし、エイズ患者が発生したら村で面倒をみると思います。恐くはありません。だって普通の生活ではうつらないんですよね。(インタビュアーが「もし私がHIVに感染していると言ったらどうしますか?」と聞くと)逃げませんよ。 だって話をするだけではうつらないでしょ。他の村人も恐がらないと思いますけど…」

(60歳代男性 村長)

「僕の村はRHSCからとても遠く、ヘルスワーカーも誰もいないのです。ただ村人に病気のことに詳しい人がいて、普段具合が悪いときはその人に相談していました。3年前に毒蛇に咬まれたときも、その人に相談しました。そうしたら、血清を買ってきてくれて、咬まれてから24時間後くらいにうってもらいました。 命は助かったのですが、足はこのように腫れたままで、ひどい潰瘍になってしまいました。でも病院に行ったら足を切断されると思って、3年間ずっと、そのままその村人に診てもらっていました。ここのMWに会ったのは、たまたま個人的な用事で僕の村を訪れたからです。 MWが自分のRHSCで治療をしてくれると言ってくれたので、牛車で6時間かけてRHSCまで連れて来てもらいました。ここにはもう2ヶ月ほど住んでいて、MWに毎日消毒をしてもらっています。お陰で大分よくなりました」

(20歳代男性 農業従事者)

「私の妻は数年前に、喘息発作で亡くなりました。生前からちょくちょく発作をおこしていて、亡くなったときも入院していたステーション病院から帰ってきたばかりでした。家で発作が起こったので、ステーション病院に連れて行こうと牛車に乗せたのですが、途中でいよいよ具合が悪くなったので、引き返して家につれて帰り、家で最期を看取りました。 なぜ引き返したのかって? 村の外で死んだら、もう魂は村には帰って来れないでしょ。村で葬式も出せません。そんなことになったら、妻に申し訳ないじゃないですか。だから家で看取ったのです」

(40歳代男性 農業従事者)

以上、いくつかの印象的なエピソードを取り上げてみた。インタビューはRHCやRHSCを拠点にして行ったので、ここに挙げた村人たちは医療面では「恵まれた」環境に住んでいる人たちである。ヘルスセンターもなく、ボランティアのヘルスワーカーさえいない村がおそらくたくさんあるのだろう。

病人を運ぶときにも使うトレーラー
病人を運ぶときにも使うトレーラー

毎日話を聞いていて感じたのは、医療機関、医療関係者へのアクセスの悪さとマンパワーの不足である。RHCやRHSCレベルであれば、資金面で受診に困難を感じている人はあまりいないようであり、また病院レベルに受診する際も、もちろん現金は絶対的に足りないのであるが、村人同士助け合ったり、牛車や収穫物を売ったりしてなんとかしているようであった。 実際病院に近い地域では、割と病院を利用している人も多いように感じられた。しかし、アクセスの悪いのはどうにもならない。どんなにお金を出そうが、最寄りの医療機関までトレーラーや牛車で数時間かかるのである。距離的な問題もあるが、とにかく道が悪い。自動車を使っても結構時間はかかるだろう。 道路の整備や、交通手段の確保などが望まれる。もちろん病院の数が増え、近くに病院があれば状況は大きく改善するだろうが、医療従事者の数が絶対的に足りていない。政策としては、村に一人は、最低限AMWやCHWなどのボランティアのヘルスワーカーを配置するようにしているらしいのであるが、それだけでは十分な収入が得られないことから、トレーニングを受けさせても機能していない場合もあるようであった。 AMWやCHWのモチベーションが高い地域では、RHSCが遠くても、村人たちの健康問題への理解の程度も高いように感じられた。こういった辺境の地で働くヘルスワーカーたちのモチベーションを高めるような仕組み、援助が求められるのではないだろうか。

今後さらに調査結果を詳細にまとめることで、自分たちにできることは何かを考えていきたいと思う。




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