コソボ

家庭医養成プログラムの指導医として

AMDA兵庫 小倉 健一郎
AMDA Journal 2003年 2月号より掲載

プリシュティナ空港に降り立ってから、瞬く間に赴任期間の10週間が過ぎた。当初の1ヶ月間は一人で2ヵ所のトレーニングを担当していたこともあり、移動ばかりしていたような記憶がある。森岡大地医師が赴任されてからも、いろいろな活動が重なり、かなり慌しく時間が過ぎてしまった。

着任直前から養成プログラムは主に週の一日に集約され、セミナーとケースカンファレンス(症例検討会:ある症例に対する診断をめぐって討議を行う)、診療の様子をビデオに記録し、全員で評価するなどのトレーニングが行われている。

ミトロビッツアにあるトレーニングセンターでは月曜の朝9時から開始されるため、われわれは眠気の残る朝7時にはプリズレンの事務所を出発していた。

セミナーのテーマは月毎に代わり、5月はリプロダクティブヘルス、6月は精神保健であった。精神保健というと、養成担当の医師(トレーナー)たちもわれわれ指導医(メンターと呼ばれた)も専門外でかなり難しいテーマである。

そこで、世界保健機構(WHO)の担当官とも相談の上、専門医を招聘しての講義や質疑応答を計画し、このケースプレゼンテーションは成功を収めた。このとき協力してくださったコソボ精神科医は、その後JICAの主催する日本での精神医学研修に参加したとのことである。日本との縁が重なったことは喜ばしい。

現地専門医によるプレゼンテーション
現地専門医によるプレゼンテーション

ケースカンファレンスやビデオを用いたプレゼンテーションは、日々多くの患者を診察している医師にとっては、興味深いトレーニングである。 自身の経験した症例を提示し、トレーナーや受講医と議論したり、自己の診察風景をビデオで撮ったものを他人から評価される、というのは客観的に自分の仕事を見つめられる機会であり、とても有用と思われた。

また、養成プログラムでは調査研究のトレーニングも行われた。受講医師は数名のグループに分かれ、5月にはテーマを決めて、8月までに論文に仕上げ、提出となっていた。

しかし、グループによっては調査研究全体のデザインをすることなく、テーマだけを決めようとしていたところもあり、順調な運び具合とはいかなかった。テーマだけを決めても、調査方法や費用や時間の問題などで制約を受けてしまうと、正確な研究は出来なくなる。 他方、他の研究論文を全く移し変えたような研究デザインを提出したグループもあった。これは研究のひとつの方法ではあるが、ただ真似だけでは調査研究の意義は感じられない。

このように難航したため、WHOからわれわれに、調査研究のワークショップを開くよう要請があり、森岡医師の主導で行われた。

救急救命法の実習 インターネットでの資料検索指導
救急救命法の実習 インターネットでの資料検索指導
筆者による心電計の実習
筆者による心電計の実習

問題点と課題

セミナーは担当者がテーマに沿った講義を行うのであるが、教材や資料が豊富にある訳ではないので、基本事項の確認に偏りがちであった。予め講義内容をチェックすることは困難なので、出きるだけ事前にテーマに沿った資料を提供しようと、インターネットでの検索や医学CD‐ROMを活用した文献や資料検索を担当医などに指導した。

ただ、コソボの医師たちは、コンピューターの使用に不慣れであったり、英語力が充分でないことやインターネットへのアクセスも不便であるために、短期間でこうした資料検索に慣れるようになるとは考えられない。 しかし家庭医養成はまだ始まって間がないプログラムであり、少しずつかれらのこうした資料検索方法が浸透していくことを期待している。フェリザイのトレーニングセンターでは、独自に医師たちに対してコンピューターの講習会を開催しているが、今後他のセンターでも同様の講習が実施されることを願っている。

そもそも家庭医とは、臨床診療の中でプライマリヘルスケアを中心的に担う医師であり、専門医としての視点を持たねばならない。プライマリヘルスケアとは、日常の健康問題の大半を責任をもって取り扱うことができるような包括的なサービスである。 残念ながら、現代の日本には確固とした家庭医も、大学における家庭医教育も存在するわけではなく、開業した一般内科医が必要に迫られて総合的な診療医として地域で活躍するのみである。 日本は医療自体の専門性指向が強く、家庭医育成には発展途上の国であり、そうした国から家庭医の指導医を派遣することはきわめて困難な状況であると言わざるを得ない。

私自身は整形外科を中心に、麻酔や小児科、産婦人科などの幅広い臨床を経験してきたが、家庭医としての経験はない。専門は整形外科です、と名乗ると、受講医師たちは整形外科を中心に質問してきた。このことは、家庭医の指導からはやや離れたものになったようだ。 しかし、かれらにとって、助言を求めることができるという点では、家庭医でない専門医の存在でも、貢献できたのではないかと思うのである。

家庭医の指導医師として求められているものは、WHOのマニュアルを読むと、ひじょうに要求度が高い。これを真剣に受けとめれば、指導医師のなりては(日本には)ほとんどいないだろう。言語の問題も大きい。現地の医師たちには英語を使いこなす者はあまりいないが、私も充分とはとても言えない。 指導医師は通訳を介して業務にあたったのだが、これがかなりの労力を要する。込み入った話や微妙な内容の話になると、意志の疎通に困難を感じた。

一方でコソボの家庭医育成は始まったばかりであり、その将来性についての予測もまだあまりたてられていない。ようやく後半のプログラムで保健省内に家庭医の部局が開かれ、プリシュティナ大学医学部にも家庭医の講座が開かれることになった。 地域の診療所で働く医師たちは、日々たくさんの人々の診察で忙しく、給与も安く、保健衛生環境も整っていない中で悪戦苦闘しているのが現実で、地域のプライマリヘルスケアを推進する中心的な担い手である家庭医として働くには道が遠いという気がする。

AMDAはこの家庭医養成プログラムに主として人材派遣に貢献してきた。現地スタッフの雇用、指導医師の派遣、トレーニングを円滑に行うためのさまざまな支援である。先に触れたように、日本人医師の派遣が最適かという問題を除けば、AMDAはプログラムに対して大きく貢献したと思う。 この家庭医養成プログラムは一般医としてかれらの知識の再構築や技術向上に役立ったことは間違いない。そこでは、私たちの知識や経験が活かされる要素は大きかったと思う。

プログラムは完了したが、現地の医師を中心として自らの手でトレーニングを運営していけるような支援が必要である。とくに器具や映像資料、参考図書など視覚教材の不足には悩まされたが、スタッフの協力のもと、さまざまなかたちで少しずつ揃えることが出来た。 限られた予算と時間の中で、こうした努力は続けていかなくてはならないと考える。

最後に

いったい現地でなにをすればいいのかよく分からず、不安なまま日本を飛び立った。現地で活動を開始すると、「指導」がいかに難しいものであるか思い知らされた。現地にいるとアイディアが浮かんでくるのだが、実際にかたちになって残ったと自分で思えるものは特にない。 あれこれ教材になるものを持ちこめばよかったと後悔したことも多かった。

病院や災害地での直接の医療行為という援助とは異なり、今回は「指導」といういわば側面からの支援であり、自分自身の達成感というものは薄い。「指導」など、ほとんど出来ていなかったかもしれない。逆に、「指導」の難しさを学んだと感じている。

コソボ事務所のスタッフの皆様にはお世話になりました。心からお礼を申し上げます。

コソボの今後の発展を祈って




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