コソボ

何かひとつでも

深谷 幸雄
(長野県厚生連篠ノ井総合病院心臓血管外科・救急科医長)
AMDA Journal 2002年 4月号より掲載

コソボの状況

州内では紛争前に稼働していた大きな工場の多くがまだ閉鎖され、稼働できない状況である。仕事を持っている人は少なく、仕事のない若者が昼間から町にあふれている感がある。 パスポートを持ったものはヨーロッパに出稼ぎに行き金を稼いでいるそうだ。(コソボではパスポートの発給が非常に困難。運良くもっていれば外国で働く者が多い。)

着任したころは、降った雪は道路端に積み上げられ、徐々に融けた水が道路の土とともにどろどろとなり、町一面が泥といった感じである。またその景色に不釣り合いなベンツやアウデイが走り回っている。 ヨーロッパの盗難車が入ってきているとか言われている。

エネルギー供給も不安定で大体一日四時間電気が供給されると、二時間は停電といった状況である。従って、まだ交通用の信号機は動いていない。水の供給も不安定で、一日の半分ないし三分の一は断水といった地域も珍しくない。 食生活に関しては、食べ物が不足するといった状況は見られていない。肉も野菜も穀類も充分供給されている。むしろ肥満の人が多いぐらいで、油でギトギトのハンバーガーの小さな店がいたるところにあり、味は濃く、塩分が多く摂取されている。 カフェもにぎわっており、コーヒーやチャイで時間をつぶす若者や年寄りであふれている。

紛争からの復興

2001年6月をもって、コソボにおける緊急事態は終了し、現在は復興段階という位置付けが UNMIK(United Nation Mission InterIm Kosovo 国連コソボ暫定行政機構)でなされている。 産業の育成や、医療、教育など社会的な整備を進めるとともに、精神的な戦争の傷跡や、住民間の和解に向けての様々なプロジェクトが進行している。 しかし、州内にわずかに残ったセルビア人がKFOR(コソボ平和維持軍)に守られて細々と生活していたり、後述するようにミトロヴィッツア市Mitrovicaのような状況は、解決する見とおしがないようにも思える。

ちょうど私の滞在期間に、もとのセルビア共和国大統領ミロシェヴィッチのハーグでの裁判が行われた。コソボでは完全実況中継で放映されていた。 その日はさすがに講義どころではなく、センターにやってきた訓練担当医師も受講医師もサイトマネージャー(トレーニングセンターの管理者)も、みんなテレビに食い入るように見いっていた。 ミロシェヴィッチが発言すれば大ブーイングで、ののしりの声があがる。

ここコソボでは、アルバニア人が差別され、迫害された歴史があり、やっとそこから解放された現在がある。その状況でセルビア人との和解を説くことがほんとに可能なんだろうか。少なくとも付け焼刃のような僅かの時間では、到底それは無理なことだと思わされた。

しかし、一方で急速に流入している車、携帯電話、ファッション、プラスチック製品に対して、道路は整備されず渋滞が日常的で、電話はかかりにくく、着飾った若者は仕事もなく町にあふれ、ごみは道に散らばったままである。 出稼ぎや仕事に成功したものと、他の人との貧富の差は広がりつつある。

コソボ全体が将来を見据えてコントロールされているとはお世辞にも言えない。この状況をできるだけ早く解決し、整備していかないと復興支援が不平等を生み、単に次の紛争の準備になってしまうのではないかとの不安は拭えない。

ミトロヴィッツア市の状況

私が赴任したのは州北部のミトロヴィッツアである。人口はおよそ十万人。町の中央を東西に川が流れ、北側にセルビア系、南側にアルバニア系が住んでいる。

その川に唯一かかっている橋は、KFORが装甲車を配備し、身分証明書がなければ通行できない。北側のアルバニア系住民も身の危険を感じることが日常的で、南側に移ってきている。先ほど述べた人口も南側の推定で、全体を正確に把握しているところはない。 州内5地区に1ヵ所ずつ設置される病院は北側に、州にひとつ設置される家庭医育成センターは南側に立てられている。南側の住民は入院が必要となると、他の県にある病院に行かねばならないし、北側の家庭医はトレーニングを受ける機会を持たない。 しかもこの状況を解決するための糸口すら見つかっていないというのが実状である。

南側にいる家庭医は全部で19人、内訳は前年優秀な成績をおさめた訓練担当医師5人と、受講医師14人である。 住民の健康に対する意識は低く、ほとんどすべての男性が喫煙し、脂肪と塩分の多い食事をとり、高血圧、高脂血漿、肥満、糖尿病が多く、したがって脳血管障害、心臓血管系の疾患が多い。しかも南側全体で心電計はたったの二台しか存在しない。

人材育成プログラムについて

人材育成のトレーニングは概ね選ばれた訓練担当医師が行う。月曜と火曜はアンビューランタといわれる診療所(外来診療を行う医療機関で50人ほどのスタッフが勤める)の4階のトレーニング・ルームで受講医師14人を対象として、午前9時から午後2時ぐらいまで行われる。

水曜と木曜は少し離れたところのアンビューランタで行われ、午前9時から12時までが前半グループ7人、12時から午後3時までは後半7人のグループが講義を受ける。

一週ごとおおよそのテーマが決まっており、私の第一週は肥満、糖尿病関係、二週が心臓血管関係、第三週が呼吸器と定められていた。 しかし教材は不足しており、たとえば心電図の講義をするとしても、もちろん実際に心電図の器械はなく、正常、異常ともに実際のサンプルは不完全である。 ましてや受講者で心電図の器械を持つものはなく、必要とされている状況なのに、器械もない、知識もない、講義を受けても実感がない、したがって危機感もない。

訓練担当医師も受講医師も共に学習意欲はあり、活発な議論が交わされ、教材やテキストがそろっていれば、もっとすばらしい訓練が可能なのに、それがないばかりに不完全となってしまう。非常に口惜しい。

もうひとつ足らないのが経験である。たとえば心肺停止に対する心肺蘇生であるが、訓練医師も受講医師も経験に乏しく、技術は不完全である。もちろんヘルスセンターにはアンビューバッグ(緊急蘇生用器具)すらないため、これを使用した経験もないのである。 これはこの育成システムの持っている弱点でもあるといえる。

つまり、日常的に多い疾患群に対しては、毎年経験も積まれ、その経験が訓練医師を介して蓄積し皆に伝えられる。 しかし逆に、日常的にはあまり経験されることのない内容については、いつまでも教科書の上だけのものとなり、きちんとした、実践的な訓練にならない。その典型的なのが心肺蘇生に関する技術といえる。 だから、このような特殊な技術やあまり日常的に経験できない疾患や病態に対する教育や訓練に関しては、その専門の医師が定期的に巡回し、訓練を施すことが必要なのではないだろうかと思われた。

赴任期間中は、日々のトレーニングに出席し、質疑応答やコメントに応じ、必要に応じて日本における状況、世界の最先端技術などを紹介した。離任直前には、プリシュティナで開かれた、指導医師の全体会議にも出席した。

自身の専門分野から見ると、特に循環器系の診断や治療は著しく遅れており、心臓カテーテル検査はコソボでは行うことができない。クロアチアやベオグラードに行かなければできないのである。

また救急診療に関して器具も経験もないことが気になり、訓練担当医師に対して、講習を実施した。

従来の口対口の人工呼吸は、実質的に非常に困難で、これから口対マスク人工呼吸の方法が普及すると思われる。幸いポケットマスクを持参したので、この使い方を紹介し、AMDAコソボ事務所でアンビューバッグを入手し、使用方法の訓練を行った。

筆者による救急救命の特別訓練

筆者による救急救命の特別訓練
筆者による救急救命の特別訓練

また、赴任中、プリシュティナでヘルスセンター建築のための公開入札が行われ、その監視委員として出席した。これはもちろん日本で見られないほど公正なもので、国際的な入札はこんなに公正なのかと感心させられた。

今後に向けて

コソボでは、日常診療に必要な医療機器の不足は明らかであるが、これは現時点でAMDAが担う部分ではないのかもしれない。しかし教育、訓練というレベルでは必要な教材として様々な医療機器や、教材図書が提供される必要があることを痛感した。

現在コソボでは、まだしっかりとした機構をもつ政府が充分な行政を始めている状況ではない。まして、保健行政に当たってはまさに手つかずと言っていい状態である。この状態は今後しばらく改善するとは言い難い。 しかし食生活や喫煙などから来る肥満、肺疾患、循環器系疾患、糖尿病などの予防に関しては早急に手を打っていかなければならないといえる。

貧困地域ゆえに予防を中心にした活動が今求められているのであるが、そのことに関して危機意識関心も薄く、指導していくべき行政機構が働いていない。

しかし幸いこの人材育成プログラムがすでに稼動しており、州内に散らばる指導医師やサイトマネージャーの全体会議も定期的に行われている。この育成プログラムを利用して保健予防活動を押し進めていくことは可能ではないだろうか。 たとえば半年から一年をめどに塩分摂取量、高血圧の実態調査を行い、この実態を宣伝することで危機感を持ってもらい、予防法を指導する。 このような活動をテーマ毎にこの教育システムを介して行っていくことは非常に有効ではないかと思うし、今始めねばならないことだと考える。

最後に

赴任中、指導医(メンター)とは知識や技術の高度さだけではなく、「家庭医とはかくあるもの」と精神的にも手本を示せる医師だとつくづく思った。

指導医師に求められるのは非常に高度で、繊細なものである。必要なのは日常レベルのコミュニケーションであり、困難を分かち合う気持ちである。これは一定以上の期間滞在して初めて始まるものなのだと思った。 終末期の患者に対する彼らの討論がいつまでたっても果てないときに、何か一つでも医師としての自分の経験を語り、アドバイスできる医師がコソボに求められている。

また、同時に循環器系の疾患やその予防に対する危機感や関心は薄い。食生活、喫煙の状態は日本の寒村の何十年も前の状況を思い起こさせる。若月俊一が長野にやってきて「村で病気と闘う」農村医療の運動を始めた頃の状況に近いのかもしれない。 じっくり根を下ろして、医師自身の「禁煙」の活動から始めるような、ねばり強い地道な活動がいまコソボでも求められているのであろう。




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